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「男を盗るな」「ツメを伸ばすな」そしてクスリによる自殺未遂…アームレスリング界無敵の女王・山田よう子(48)を苦しめた“壮絶すぎるイジメ”

文春オンライン / 2024年7月28日 11時10分

「男を盗るな」「ツメを伸ばすな」そしてクスリによる自殺未遂…アームレスリング界無敵の女王・山田よう子(48)を苦しめた“壮絶すぎるイジメ”

©佐藤亘/文藝春秋

「WAF世界アームレスリング選手権大会」45キロ級世界王者(2005年)に輝き、「JAWA全日本アームレスリング選手権大会」でも11連覇(2002~2012年)という偉業を残して一度はアームレスリングから離れた山田よう子(48)。17年に復帰し、さらに日本選手権7連覇を更新中である王者は学生時代、オーバードーズで自殺未遂に追い込まれるほどの壮絶なイジメに悩まされていた。(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)

◆◆◆

「洋子おばちゃん」南田洋子さんとの思い出

――山田よう子さんの本名の「洋子」は、女優の南田洋子さんによって命名されたそうですね。

山田よう子(以下、山田) 南田は父方の親戚で、うちのパパのことを息子のように可愛がっていたんです。私が生まれた時、パパがすぐに洋子おばちゃんのところに連れて行ったら、「洋子と名付けなさい」って。洋子おばちゃんには子供がいなかったから、「うちの子に欲しい」と言われて、実子のように可愛がってくれました。だから、私はいつも洋子おばちゃんを喜ばせないといけないって思っていたんです。

――ご出身は東京都中央区の勝どきですね。

山田 もともと洋子おばちゃんも勝どきに住んでたんですよ。パパはそのあたりで着物の販売などをしていて、その後は洋服の販売や喫茶店をやっていました。パパはゴルフ、麻雀、競馬、女と趣味が多くて、働いた姿を見たことがなかったです。

プロレスラーになりたくて、全日本女子プロレスに電話

――勝どきでどんな幼少時代を過ごしましたか。

山田 小学校時代は何でもナンバーワンで、わんぱく相撲も、水泳も、バドミントンも、羽根つきも男子に負けたことがなかったですね。50mを6・9秒で走れたので、リレーに出れば5人抜き。クラッシュ・ギャルズのファンで、自分もプロレスラーになりたかったので、小学校2年生から腕立て100回を3セット、寝そべって腰から上に足を上げての“自転車漕ぎ”100回を毎日こなしていました。小学校6年の時、実際に全日本女子プロレスに電話をかけたんですよ。長与千種をいじめるダンプ松本を倒せるのは私しかいないと思っての行動ですが、「もう少し大きくなってからね」で終わりました(笑)。

――その頃、プロレスラーとは正反対の経験もされていますね。

小学6年でスカウトされ「モモコクラブ」でアイドル活動

山田 小学6年の時、渋谷でスカウトされて、「モモコクラブ」でアイドルとして活動を始めました。アイドル、好きだったんですよ。おニャン子クラブが人気の頃で、渡辺満里奈さんに憧れていたし。でも、実際に自分がアイドルになると、全然面白くなかったです(笑)。作り笑顔をしたり、手を振ったり、いわゆる“きゃぴきゃぴ”することに違和感があって、自分には合わないなって。今考えると、恥ずかしいですね。メイクして、アイドルっぽく振る舞おうとしていた自分が。

――小学校の同級生の反応はどうでしたか。

山田 男子にも女子にもすごくモテました。私の髪や爪をお守り代わりに名札に入れておくのが流行ったくらい。当時大人気だったフィリックス・ザ・キャットのキャラクターグッズを私にいくつ受け取ってもらえるかを皆が競っていて、ぬいぐるみとかをそれこそ山のようにもらいましたね。ほとんどの方が、山田よう子を好きだったんです(笑)。

――「モモコクラブ」での活動はいつまで続けられたんですか?

山田 中学1年まで。中学校に上がっても、変わらず男子にモテたので、女子からのいじめが、まぁーキツかったですね。学校に行くと、必ず上級生女子に呼び出されて、「挨拶しろ」「ポニーテールにするな」「爪を伸ばすな」「男を盗るな」って。確かに何人かの上級生に告白はされたんですけど、全部断ってるんですよ? 同級生の女子からは机を最後列まではじかれての集団無視。あらゆる女子の標的になりました。

集団無視とか精神的に何かをされるのが一番キツい

――身体的な暴力も受けましたか?

山田 私は銀座の中学だったのに、八王子の中学からも女子が来て、「山田はどこだ」って。東銀座駅で20人くらいに囲まれて、身体に触れてきたので、正当防衛で50倍くらいにして返しました。今思えば、何で八王子にまで私の名前が伝わっているのか謎。

――力で、山田さんに勝てる女子は少なそうですね。

山田 実際に手を出されるのは、まだキツくないんですよ。人って、叩かれるよりも集団無視とか精神的に何かをされるのが一番キッツいんじゃないかと私は経験上思います。それで、中学1年の2学期から不登校になって――思いつめて自殺未遂を図りました。何を飲んだのかちょっと覚えてないんですけど、今でいうオーバードーズ。目が覚めた時、「あぁ、生きちゃった」と思いましたね。きつかった。まだ薬が効いていて、ちょっと頭を動かすだけで、脳がぐるんぐるんと回って苦しかったです。「早く薬を抜かないと」と思いつつも、「何で死ねなかったんだろう」って感じたのを覚えています。

――自殺未遂前、未遂後に相談できる人はいましたか。

山田 自殺未遂をしたことを、親も、学校の先生も、誰も知らないです。騒がれるのが嫌なんですよ。周りに迷惑をかけるのとか、そういうことが嫌だったんです。

撮影 佐藤亘/文藝春秋

〈 「5000万円でヌードにならないか?」さらに実家も全焼し親を刺すことを決意した…アームレスリング界最強の山田よう子(48)の“ドン底だった青春時代” 〉へ続く

(「文春オンライン」編集部)

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