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「5000万円でヌードにならないか?」さらに実家も全焼し親を刺すことを決意した…アームレスリング界最強の山田よう子(48)の“ドン底だった青春時代”

文春オンライン / 2024年7月28日 11時10分

「5000万円でヌードにならないか?」さらに実家も全焼し親を刺すことを決意した…アームレスリング界最強の山田よう子(48)の“ドン底だった青春時代”

©佐藤亘/文藝春秋

〈 「男を盗るな」「ツメを伸ばすな」そしてクスリによる自殺未遂…アームレスリング界無敵の女王・山田よう子(48)を苦しめた“壮絶すぎるイジメ” 〉から続く

 アームレスリング世界選手権優勝、そして日本選手権11連覇と7連覇、さらに縁戚には昭和のスター・南田洋子。山田よう子(48)の経歴は一見すると華やかだが、その陰には想像を絶する半生があった。辛く苦しかった青春時代の記憶を辿る。(全3回の2回目/ #1 、 #3 を読む)

◆◆◆

更生施設から祖母の住む田舎へ

――自殺未遂後、中学生活に変化はありましたか。

山田よう子(以下、山田) 中学3年生で、高田馬場の更生施設に入所しました。いじめを受けている子のための施設で、6畳間に4人が寝起き、24時間監視付きです。ここから学校に通う子もいましたが、私は通学せず、「モモコクラブ」はやめたものの、歌の勉強は続けていました。だから、よく歌を歌ったりしていましたが、何かつまんなくて、何もすることがなくて、よく外を眺めていたんです。そしたら、家庭内暴力をする子が入る別館の檻施設に知り合いの男子が入っているのを見つけて、3回くらい一緒に脱走しました。

――脱走して、どこへ向かうんですか。

山田 行き場所がないから、ひと晩中、渋谷をプラプラするだけ。当時はずっと渋谷に出てましたね。“オール”って言葉が流行っていましたから。更生――ならなかったですね。

――学校にも、施設にも、居場所がなかったんですね。

山田 施設を出て、母親の実家である佐賀に預けられました。佐賀県人でも「それ、どこ?」って言うくらいド田舎の東山代町というところ。そこで祖母と一緒に牛の世話をしながら、中学生を終えました。

――寂しくなかったですか。

山田 寂しくても、そこしか居場所がなかったですからね。

稲垣吾郎、草彅剛、松たか子、浜崎あゆみらと堀越学園に入学

――義務教育修了後は?

山田 東京に戻りました。洋子おばちゃんを思い出し、心を入れ替えて真面目に芸能を頑張ろうと、堀越高校の芸能コースに入学したんです。洋子おばちゃん(と長門裕之)が設立した「人間プロダクション」のマネージャーさんと一緒に面接に行って、合格した感じ。芸能コースは1年から3年まで同じクラスなので、稲垣吾郎、草彅剛、TOKIOの松岡昌宏、松たか子、浜崎あゆみ、中山エミリたちがいて、みんな仲良かったですね。でも、芸能コースは「仕事です」と一筆書いて提出したら、通学しなくていいので、相変わらず渋谷によく行っていました。

――渋谷で何をされていたんですか。

山田 ただ、たむろしていた感じです。チーマーが流行っている時代で、渋谷のチーマーと遊んで、トップメンバーとお付き合いをしたりしました。それが女子には面白くなかったようで、渋谷の女子のトップメンバーに狙われて、足立区の五反野のトップメンバーにも狙われて、「頭をカチ割ってやる」って言われてました。もう、どうすれば目立たずに生きられるのかわからなくて。

「5000万円でヌードにならないか?」

――芸能活動の方はどうでしたか。

山田 芸能事務所からのスカウトは降るようにありました。それこそ1m歩くごとに。それで、渋谷でスカウトされた事務所に入って、青木真穂という名前でクイズ番組に出たり、写真集を出したり、結構仕事をもらっていました。水着グラビアやビデオが多く、5000万円でヌードの話まで来たんですが、芸能界では私が何をするにしても、南田が出てきますから。

――南田さんの「人間プロダクション」に入ろうとは思わなかったんですか。

山田 洋子おばちゃんに「ろくな仕事をもらってないし、もうこっちに来なさい」と言われていたんですけど、私が嫌だったんです。「私は今の事務所の人を信じてる」って言ったんですけど、ギャラをピンハネされていることが後からわかったし、結局は裏切られました。信じていたからずっとやって来たんですが――ここが人生における一番のミスっちゃミスかもしれない。この時にちゃんと洋子おばちゃんの言うことを聞いていたら良かったけど、ガッチガチに拘束されることにはなったと思います。

――グラビアアイドルをやってみてどうでしたか。

山田 面白くなかったですね。“可愛い”より“強い”と言われた方がいいですもんね。

16歳の時の彼氏は束縛がすごく、DVも受けていた

――他にも、判断を誤ったと思うことはありますか。

山田 すごい有名な女優さんのいる事務所にも銀座でスカウトされてるんですよ。今思えば、本当に私の選択って――ツイてる面もあるんですが、ミスがいっぱいありますね。すごい道が目の前にあるのに、わざわざ違う方に行っちゃう……。

――誰かが相談に乗ってくれたら。

山田 16歳の時の彼氏は束縛がすごくて、DVも受けていたんです。ある時、テレビでボクシングを観ていたら、彼が試合を観ずに私をずっと見ていることに気づき、怖くなって、急に息ができなくなったんです。心臓もバクバクして。病院に行ったら、パニック障害だと診断を受けました。

――何とか高校を卒業して、その後は?

山田 「人間プロダクション」でマネージャーをしていた方が立ち上げた事務所に所属して、別の芸名でドラマ『闇のパープル・アイ』に出演するなど、女優活動を始めました。でも、洋子おばちゃんが、「何でよう子にこんな脇役をやらせるんだ、こんなの仕事じゃない」と怒って、結局は「人間プロダクション」に移籍することに。洋子おばちゃんと一緒にドラマ『砂の城』に出演しましたが、楽屋で嫌がらせを受けましたね。

“七光り”を妬まれいじめられ、芸能界引退へ

――南田さんの“七光り”だと?

山田 はい。段階を踏まずに、主役級の役をふられるのは重かった。山田よう子としてVシネマ『爆乳戦隊パイレンジャー』に敵役で出演したんですが、2ページくらいの長台詞があったんです。「南田洋子の姪だから、できるでしょ?」って言われて、やれて当たり前。NGを出した時に怒られるのも私だけ。私の立場が羨ましい人たちにはいろいろ言われましたね。でも、洋子おばちゃんのレールに乗らないとって必死でした。

――芸名がたくさんあるんですね。

山田 水沢えつという名前で、テレビ番組で嘘ばかりつかされる仕事をしていたこともありました。自分を変えたかったんです。名前を変えたら、変われると思っていたんです。

――お芝居をするのは楽しかったですか?

山田 楽しかったですね。でも、芸能界の裏は――枕って言うんですか? 私はなかったですけど、周りはありましたね。それは幸運ですけど、やっぱり“七光り”でいじめには遭いました。

――南田さんはそのことをご存じでした?

山田 洋子おばちゃんはわかってなかったです。舞台に出演した時、洋子おばちゃんが観に来てくれて、「今度、主演が決まったよ」と言われた瞬間、重く感じてしまって。結局その作品には出演することなく、引退しました。

実家が全焼、離婚した両親を刺そうと考えて

――帰る場所はありましたか?

山田 私が20歳の時、実家が全焼したんです。堀越の制服も、晴れ着も、もう全部燃えちゃって。成人式には、先輩の晴れ着を借りて出席しました。

――ご家族はどうされたんですか。

山田 私が知らない間に、両親が離婚していました。私、親を刺そうと思いましたよ。

――父と母のどちらを刺そうとしたんですか。

山田 両方かな。パパとママが大好きだったのに、知らない間にそういうことが起きていたから。でも、刺そうと待ち構えている時、友達に包丁を隠されたんです。その後、父とは音信不通になってしまいました。

――現在もですか?

山田 有名になったらパパが会いに来てくれるかもと思って、2003年に総合格闘技の試合に出場したんです。そしたら、本当に観に来てくれたけど、私には声をかけず仕舞いで、後から親戚に「パパ来てたよ」って教えられて。

――その後、再会できましたか?

山田 その2カ月後、パパが脳梗塞で倒れて、私が介護することになりました。認知症のような症状が出ていて、水道の蛇口を閉めるように頼んでも水を流しっぱなし、電気を消すように頼んでもつけっぱなしで大変だったけど、それでもパパと離れたくなかった。施設を経て、そのあとパパは亡くなりました。

撮影 佐藤亘/文藝春秋

〈 「背中に5人の子のタトゥーが入っています」闘うアームレスラー・山田よう子(48)が語る“シングルマザー生活のリアル”《バツ4の夫と2年半前に離婚して…》 〉へ続く

(「文春オンライン」編集部)

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