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「背中に5人の子のタトゥーが入っています」闘うアームレスラー・山田よう子(48)が語る“シングルマザー生活のリアル”《バツ4の夫と2年半前に離婚して…》

文春オンライン / 2024年7月28日 11時10分

「背中に5人の子のタトゥーが入っています」闘うアームレスラー・山田よう子(48)が語る“シングルマザー生活のリアル”《バツ4の夫と2年半前に離婚して…》

©佐藤亘/文藝春秋

〈 「5000万円でヌードにならないか?」さらに実家も全焼し親を刺すことを決意した…アームレスリング界最強の山田よう子(48)の“ドン底だった青春時代” 〉から続く

 南田洋子の縁戚として期待されながらも思うような結果を残せなかった芸能界に別れを告げた山田よう子(48)が選んだ新たな世界は、アームレスリングだった。そして37歳でバツ4の男性と結婚し、5人の子供を出産…。波乱の生涯でもなぜ彼女は笑顔を失わず前を向きながら暮らせるのか。シングルマザーとして子育てに邁進する日々を尋ねた。(全3回の3回目/ #1 、 #2 を読む)

◆◆◆

アームレスリングの世界チャンピオンと居酒屋で隣り合い

――芸能界からアームレスリングに転身したきっかけを教えて下さい。

山田よう子(以下、山田) 1999年、たまたま居酒屋で隣り合わせた男性がアームレスリングの世界チャンピオンで、アームレスリングに興味を持ちました。その2カ月後に都大会で2位、4カ月後に全日本で2位、6カ月後には世界選手権で2位。自分は“2位女”なのかな?って思っちゃって、世界を獲ろうと思いました。

――世界王者になったのはいつですか?

山田 2005年に東京で開催された「世界アームレスリング選手権大会」(シニア女子45キロ級ライトハンド)です。全日本では2002~2012年まで11連覇して、2008年には50キロ級、55キロ級、60キロ級の3つの階級全てライトハンドとレフトハンドの両方で優勝しています。

――2012年に連覇が止まったのはなぜですか。

山田 私はずっと戦ってきたんですが、子供が大好きだったんで、子供を作らないと、と思ったんです。37歳で結婚して、すぐに1人目ができました。そしたら、全日本の連覇が止まってしまったので、立て続けに子供を産もうって。それでパンパンパンと産んだって感じですね。

すでにバツ4だった夫とは、2年半前に離婚

――お子さんたちは今何歳ですか。

山田 10歳の男子、8歳の男子、7歳の男女の双子、3歳の女子ですね。

――父親はどんな方ですか?

山田 結婚した時、すでにバツ4で、子供が11人いました。2年半前に彼とは離婚したんですが、私の前ではおとなしい、ゆったりとした人でしたね。

――穏やかな男性がタイプですか。

山田 私は自分がどういうタイプが好きなのかよくわからないんです。ドSの人と付き合ったら、「うるさい。はいって言え」って感じで私とは合わないなって思うし、ドMの人と付き合ったら、へにょへにょしてるし。ボーイッシュな女性と付き合ったこともあるんですが、彼女の番号しか登録されていないピッチ(PHS)を渡されて、化粧・マニキュア・スカート禁止。門限は18時でしたね。これまでに付き合った男性もみんなそんな感じ。束縛されて、DVされて。門限を作らなかったのは元夫だけです。

5人の子供が癒し、子供がいるから頑張れる

――シングルマザーでお子さん5人だとお世話が大変そうですね。

山田 全然。私は子供がいるから、今、頑張れているんです。料理は得意だし、趣味は掃除と洗濯です。子供はまだまだ全然ほしいですね。できれば三つ子。双子の時もお腹パンパンだったので、その上を行きたいです。常に挑戦ですね。ただ、誰かと恋愛するのは難しいかもしれません。子供以上に愛せる人は今後もう出てこないと思います。

――子育てを楽しんでいらっしゃるんですね。

山田 私にとっては、子供が癒し。長男がちょっと大変な子で、見守りが必要なんですよ。私には妹がいるんですが、彼女が産んだ子供3人も保護が必要で、喋れないし、自分でお尻が拭けない。一番上の子は自分のことくらいはできますが、2番目と3番目は道路に走って行っちゃうので目が離せないんです。だから、うちの長男にも、妹の3人の子たちにも、寄り添っていきたいんですよね。妹も大変だと思うので、もし彼女に何かあれば命を懸ける覚悟で手助けできたらと思っています。

アームレスラーとして復帰、月に一回は護摩行

――子育てに邁進しながら、アームレスラーとしても復帰されています。

山田 2017年ですね。復帰戦の時はもう不安で、不安で――気分が落ちてしまった時、池口恵観先生に「あなたは私の娘だから、不安に思わなくても大丈夫」と声をかけて頂いて、頭をポンポンしてもらったのを覚えています。復帰戦には勝ちましたね。

――池口さんと出会われたのはいつですか。

山田 25年くらい前、当時仲良くしていた旭鷲山(きょくしゅうざん)に紹介してもらったんです。初めて会った時、恵観先生に私しか知らないことを言い当てられてびっくりして、あまりの怖さに抱きついちゃったんです(笑)。こんな方がいるんだと思ってハマってしまい、恵観先生が住職をしておられる江の島大師に通うようになりました。

――江の島大師では何を?

山田 月に1回、江の島に行って、護摩行をするんです。護摩行はもう熱いどころじゃなくて、覚悟して行かないと死んじゃいますね。熱くても下がらず、逆に向かっていくんです。その火と戦っているんですよ。来るなら、来いよって。自分の気が充実している時は熱く感じないし、気が弱ってる時はめちゃくちゃ熱く感じます。

――試合の前にも護摩行をされるそうですね。

山田 恵観先生がユニフォームに阿字マークを付けてくれるんです。対戦相手に見えるように。それで、試合の順位を予想してくれますね。

阿字マークと子供たちの名前のタトゥー

――“阿字”とは、「梵語(サンスクリット語)の母音の最初におかれる音にあてられる文字」で、「観ずることで真理を体得できる」とされるものですね。

山田 私の背中には、阿字マークのタトゥーが入っています。阿字マークの周囲を5人の子供たちそれぞれの名前の梵字が囲んでいるデザイン。入れる時は痛かったけど、子供たちを背負っていくという意思表明と——あとは、恵観先生への感謝の気持ちですね。恵観先生は常に人の助けになろうとされていますが、私も一緒の思いなんです。今、先生が少し体調を崩されているようにも見えるので、感謝を述べつつ、私が“池口恵観の弟子”であることを世にどんどん出していきたくて。

――池口さんの息子さんである池口豪泉さんとも親交があるそうですね。

山田 高野山伝燈大阿闍梨や烏帽子山最福寺貫主を務めておられます。豪泉先生にも様々なことを相談させて頂いていて、おかげで安心を得られています。強く感謝を伝えたい、もう一人の方ですね。

人のためだとめちゃくちゃ力が湧く

――池口さん親子とは“同志”なんですね。

山田 恵観先生に、「人を救うことが、よう子ちゃんの役目なんだよ」という風に言われました。若い時は自分が良ければいいと思っていましたが、今は全くそういう考えはなくなったんです。自分のためと思うと全然力が湧かなくて、人のためだとめちゃくちゃ湧くんですよ。

 トー横キッズの支えになろうとするメンバーと一緒に、新宿・歌舞伎町に行ったことがあるんですが、メンバーは誰もその子たちに心を開いてもらえなかったですね。でも、いじめに遭ったことのある私は、その子たちの心の中に入ることができる。この子たちのために私に何ができるかを考えていきたいですね。

――SNSで悩みを相談されることも多いとか。

山田 20年くらい前から、いじめや親の虐待、学校に行けない子たちからの相談が多く寄せられます。弱っている子に元気を与える自信が私にはなぜかあって、みんな笑顔になるんですよ。閉鎖病棟に入っていた子と2年間一緒に過ごした時は、薬の過剰摂取もなくなり、すっかり元気になりました。でも、私がその子から離れて、地方で3日間過ごしている間に、自殺してしまったんです。私が100人いたら、100人の子と一対一で一緒にいられるのに。でも、実際、山田よう子は1人しかいないから、それはできないですよね。

8月4日「世界の働く人々アーティスト」行きたい人は一緒に

――何か手立てはありますか?

山田 私は「チアサポ」という配信サイトのアンバサダーを初期からやらせてもらっているんですが、要は「みんながみんなを救う」「1円で1人を救う」のがテーマなんですね。それで、その配信サイトが2024年8月3・4日に「世界の働く人々アーティスト」というイベントを「ヒューリックホール東京」(東京都千代田区)で開催するんです。山田よう子もトー横キッズや子供たちを連れて4日に顔を出そうと思っていて。もし一緒に行きたい人がいたら誰でも山田よう子のインスタグラムにご連絡をくださいね。今、恵観先生にお加持してもらい、ちゃんと気を入れた数珠を制作中で、のちにオーダー制でお渡ししようと思っています。

 数珠には阿字マークと“不動明王”の文字、さらに男性向けには“大和魂”、女性向けには“大和撫子”の文字を入れようかと。「山田よう子とつながっているよ、大丈夫だよ」という気持ちを一人でも多くの人に伝えたいんです。

――“アームレスラー・山田よう子”のイメージがすっかり変わりました。

山田 1年半前、腰の骨が折れた状態で総合格闘技の試合に出場して以来、身体がもうぐちゃぐちゃなんですよね。“戦うアームレスラー・山田よう子”としてよりも、これからは“アンパンマン”みたいな活動を本格化させたいんです。自分の顔を差し出して、困っている人を助ける正義のヒーロー。アスリートとして勝ち負けはもういっぱい経験してきたから、今後は「助けて」の声に耳を傾けて、未来ある子供たちのためにできることをしたい。

ちょっとカッコつけすぎだよって周りに言われても

――これからはどんな活動をしていきたいですか。

山田 男女を問わない駆け込み寺みたいな場所を作りたいんです。そこに行けば、不思議とパワー&エネルギーがもらえるような。私はそこで相談を受けたり、交流会を設けたり、石の譲渡などができたら。講演会で私の経験をみんなに伝えることもやっていきたいですね。

 あとは、山田よう子に寄り添って来てくれた方たちが笑顔になれる腕相撲大会を主催するのも楽しそう!

――もう未来しか見ていないんですね。

山田 山田よう子、ちょっとカッコつけすぎだよって周りに言われても、みんなが喜んで笑顔になれば、きっとそこに光が当たって、何かに変わると私は思っています。だから、言いたい奴には言わせておけばいいかなって(笑)。

撮影 佐藤亘/文藝春秋

(「文春オンライン」編集部)

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