「決勝直前、熱田神宮のお守りを飲み込んだ」日本女性初の金メダリスト・前畑秀子が抱えていた異次元のプレッシャー「一番でなければ海に身投げも」《長男が語る》
文春オンライン / 2024年7月29日 17時0分
![「決勝直前、熱田神宮のお守りを飲み込んだ」日本女性初の金メダリスト・前畑秀子が抱えていた異次元のプレッシャー「一番でなければ海に身投げも」《長男が語る》](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/bunshun/bunshun_72393_0-small.jpg)
前畑秀子 ©文藝春秋
1936年のベルリンオリンピックにおいて、200メートル平泳ぎで金メダルを獲得し、日本初の女子オリンピック金メダリストになった前畑秀子。NHKのラジオ中継における「前畑がんばれ!」の実況は有名だが、ではなぜ彼女は「がんばれた」のか。長男の兵藤正臣氏がその理由を語った。
◆◆◆
銀メダルを取っても歓迎されなかった
母・秀子は、サインを求められると、必ずと言っていいほど色紙に『努力』と『根性』の文字をしたためていました。母は終生この言葉を大事にし、水とともにある人生を送りました。
母は子供の頃から地元・和歌山の紀の川で練習に励み、小学生で学童日本記録を樹立。早くから頭角を現していました。母から聞かされた話で印象深いのが「水の中で汗をかく」こと。名古屋の椙山女学校(現・椙山女学園)に編入してからコーチにそう教え込まれ、1日1万メートル以上泳ぐなど、水中で汗をかくほどの練習を日課としていたそうです。
昭和7(1932)年のロサンゼルスオリンピックでは、200メートル平泳ぎで銀メダルを獲得し、練習の成果が表われたのですが、意外にも日本国民からは歓迎されなかった。金メダルだったデニスとの差が0.1秒だったこともあり、「なぜ、もっと頑張れなかったんだ」「一番でなければ意味がない」と、厳しい言葉をかけられたのです。
4年後のベルリン大会では、「負けたら、日本には戻れない」というプレッシャーが原動力になっていたように思います。母はこう漏らしていました。「シベリア鉄道でベルリンに向かっている途中で思った。帰りはパナマ運河を通り、船で日本に帰る。もし、一番になれなければ海に身を投げなくては、と」。そして、決勝レースの直前には、出国前に熱田神宮で祈祷してもらった際に頂いたお守りを飲み込んだ。それほど鬼気迫るものがあったわけです。
地元ドイツのゲネンゲルとの競り合いを伝えたラジオ中継は、あまりにも有名です。残り25メートルを切ったあたりから、NHKの河西三省アナウンサーの声が熱を帯び「前畑がんばれ、がんばれ、がんばれ!」と連呼する。母がライバルを振り切り一着でゴールすると「勝った、勝った、勝った!」と絶叫。河西さんの、応援のような生々しい実況が、日本人の心を打ちました。
日本人女性初の快挙は、ドイツのヒトラー総統からも称えられたといいます。面会を許された母が、五、六人のナチス親衛隊に囲まれている写真を見せられた時は、何とも強烈でした。一方、帰国途中にロンドンやパリなどに立ち寄り、エジプトのピラミッド前でラクダに乗って記念撮影した母の笑顔は、プレッシャーから解放された清々しさに満ちています。
どこへ行っても「前畑がんばれ」が…
翌年、後に内科医となる父・兵藤正彦と結婚して競技の一線を退き、私と弟の正時を育てながら、母は日本中を飛び回っていました。当時は学校に続々とプールが完成し、金メダリストの母は「初泳ぎ」に招待されたのです。どこへ行っても、プールサイドに流れるのは「前畑がんばれ」が収録されたレコード。活躍の話は小学校の教科書にも採用され、私も先生から「息子の兵藤が読め」と朗読させられたものです。それほど、「前畑がんばれ」は流行語でした。また、マスコミの取材などで、幼い息子ふたりを背負って長良川を泳いで横断するサービス精神も発揮していました。
忙しかったとはいえ、家族4人で過ごしていた時間は母にとって安らぎの時だったように思います。自分の仕事がなければ、父の診療所の手伝いをしていましたし、休日にはよく旅行にも出かけました。夏は知多半島でキャンプ、冬は志賀高原などでスキーを楽しむ。旅行好きな父の影響もあって、愛車のルノーに乗って色々な場所へ行きました。
父が昭和34年に急逝してからは、私たちを養うために母の生活の中心は仕事になりました。母校の椙山女学園でコーチをし、シニア向けの水泳教室など世代を問わず指導していました。本心では「日本水泳界発展のため」と思っていたのでしょうが、それを声高に叫ぶことはありませんでした。本当に水泳が好きだったんでしょう。
昭和58年にプール内で脳溢血を起こしたとの連絡が入った際は、私もとても驚きましたが、今になってはこうも思うのです。もし、倒れたのが自宅や路上など地面が固い場所なら、命の危険があったかもしれない。衝撃が緩和される水が、母を救ってくれたのだと。病後に後遺症が残り、リハビリは大変だったと思いますが、持ち前である努力と根性で克服したと聞いています。
「日本人女性初の金メダリスト」の功績を自慢げに語ることなく、謙虚に生きた母は80歳で旅立ちました。水泳に捧げた人生。兵藤秀子は、がんばったと思います。(取材・構成 田口元義)
◆
本記事の全文は「文藝春秋 電子版」にも掲載されています(「 前畑秀子 水の中で汗をかく 」)。「文藝春秋 電子版」では、大特集「 昭和100年の100人 激動と復活編 」を展開中。昭和の忘れがたい人物100人の「本当の姿」を、意外な著名人、親族が紹介しています。
「 昭和天皇 や、元気? 」久邇邦昭(義甥)
「 宮本常一 土佐源氏をアニメに 」鈴木敏夫
「 井伏鱒二 すげぇ小説 」町田康
「 力道山 俺の笑顔は千両だろ 」田中敬子(妻)
「 三島由紀夫 あそこだ、空飛ぶ円盤だ! 」横尾忠則
「 淡谷のり子 あんた帰りなさい 」清水アキラ
「 美空ひばり 錦之介さんの口紅 」石井ふく子
(兵藤 正臣/文藝春秋 2024年8月号)
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