1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

「おねだり」でもなく「ミラーリング」でもなく「自由に黙らない」でもなく…批判され続けた田中角栄が語っていた“政治家に最も必要なこと”

文春オンライン / 2024年7月30日 6時10分

「おねだり」でもなく「ミラーリング」でもなく「自由に黙らない」でもなく…批判され続けた田中角栄が語っていた“政治家に最も必要なこと”

斎藤元彦知事 ©時事通信

 良くも悪くも、地方自治体の首長がこれほど注目されるのは珍しい。

 兵庫県の斎藤元彦知事は今、辞職を迫る圧力に晒されている。今年3月、県庁の幹部職員が、知事のパワハラや「おねだり」疑惑などを告発した。すると、これを斎藤氏は「嘘八百」「公務員失格」と厳しく糾弾。その後、幹部は自殺するが、告発を裏付ける音声データが発覚した。さらに最近、もう一人の職員も自殺していたことが明るみに出た。斎藤氏は続投したいようだが、その包囲網は狭まっている。

 今年7月の東京都知事選も異様だった。小池百合子知事の学歴疑惑に加え、過去最多の56人が出馬、選挙と関係ないポスターが張られる混乱もあった。だが特筆すべきは、勝者でなく敗者が、その後も関心を集めていることだろう。

 約165万票を獲得し、2位となった石丸伸二・前安芸高田市長は、開票特番のやり取りが物議を醸した。質問に正面から答えず、冷笑し、高圧的とされ、「石丸構文」なる言葉も生んだ。これに本人は、ネットメディアのインタビューで「僕、常にコミュニケーションの基本としてミラーリングするんですよ。善意に対しては善意で返すし、敵意に対しては敵意をちゃんと返す」と答えた。

 また、まさかの3位で敗れた蓮舫氏への批判も止まない。曰く、「日本共産党との連携が嫌われた。演説も攻撃的で批判ばかりで、ゆとりやユーモアがない」。余りのバッシングに、女性蔑視の声まで出る。これに本人は、自身のX(旧ツィッター)で「私はね。黙らないよ。いま、最も自由に黙らない」などとコメントした。

 こうした声にどう向き合うかで、今後の人生が変わる。それに格好の教訓を与えそうな男がいる。「庶民宰相」と呼ばれ、今も愛憎相半ばする気持ちを抱かせる昭和の政治家、田中角栄だ。その足跡は斎藤氏や石丸氏、蓮舫氏とは大きく異なる。

 雪深い新潟の農家に生まれ、小学校卒の学歴しかない。裸一貫で上京し、建設会社の経営を経て政界入りした。持ち前のエネルギー、官僚を操る手腕で総理大臣の座を掴んだ。

角栄と令和の政治家の“違い”

 一方で田中には、“金権政治”のダーティーなイメージがついて回った。権力を握るため、政界に札束をばら撒いたとの疑惑だ。結局、金脈を追及され退陣、後に戦後最大の疑獄「ロッキード事件」で逮捕された。

 かつて私は、 田中とロッキード事件についての本 を書いたことがある。その時、田中の元秘書や自民党、野党の関係者、地元の人々を訪ねて話を聞いた。そこで驚いたのは、誰一人、彼の悪口を言う者がいないことだった。

 中には、熾烈な権力闘争で真っ向からぶつかった者もいる。それが今でも、田中とのやり取りを懐かしがっているようだった。あれほど強烈な個性の持ち主が、なぜ。その答えの片鱗は、彼に20年以上仕えた秘書、早坂茂三の著書を読んで分かった。

政治家に必要な「敵を減らすこと」

 1962年の暮れ、大蔵大臣だった田中がこう訊いたという。政治家として頂上を極めるには、何が必要か。

「味方を作り、増やすことです」

 早坂が即答すると、田中が切り返した。

「違うな。逆だ。敵を減らすことなんだ」

 そして、そのための心得を諄々と説いてきた。“人の好き嫌いはするな。誰に対しても一視同仁。いつでも平らに接しろ。来る者は拒まず、去る者は追わず。他人のために汗を流せ。できるだけ面倒を見ることだ。手柄は先輩や仲間に譲れ。損して得を取れ。進んで泥をかぶれ。約束事は実行せよ。やれそうもないことは引き受けるな”。

「これを長い間、続けていけば敵が減る。多少とも好意を寄せてくれる広大な中間地帯ができる。大将になるための道が開かれていく」

「味方というのは、一緒に死んでくれる奴のことだ。そんなのがザラにいるはずはない。やみくもに味方を作ろうとして、相手の性根も確かめず、コメツキバッタの真似ごとをするな。味方顔した連中は、こっちの雲行きが危うくなれば、すたこら逃げ出すに決まってる。そんな手合いに頭を下げ、愛想を振りまくのは、愚か者のすることだ」(『オヤジの知恵』)

 これまたいかにも昭和、時代がかった親父の説教に聞こえなくもない。ここで、政治家としての田中の功罪には触れない。だが、小学校卒でエリートを使いこなそうという気迫は伝わる。東京大学卒で総務省入りし、知事になった斎藤氏と明らかに違う。だからこそ、周りも全力で支えようとした。

真冬の山道を1時間も歩いて角栄に会いに来た老女

 そして、それは選挙でも発揮された。ロッキード事件で逮捕された後、1976年12月の総選挙で、田中は約17万票という大量得票でトップ当選する。保釈から4カ月後、金権政治の権化とされる中でだ。これには朝日新聞も驚き、「日本で最低の政治意識」とのコメントを載せた。

 地元では、山間の辺鄙な村ほど田中支持が強い。立会演説に「角さんが来なっしゃる」と、1時間も山道を歩いてきた86歳の老女もいた。真冬に、しかも日本有数の豪雪地帯である。下手すると命に関わる。これこそ田中の言う、“一緒に死んでくれる”味方だった。

 むろん、今の選挙はユーチューブやSNSで様変わりした。だが、たかが数十年で人間の本質はそうそう変わらない。

 今後、石丸氏が国政に進出するか、都道府県の首長をめざすか、あるいは新党を作るか、明らかでない。だが記者会見やインタビューを観ると、敵と味方を峻別し、分かり易いメッセージを出しているようだ。「恥を知れ!」の言葉は強烈で、それがさらに支持者を熱狂させる。

 これがはたして、一緒に死んでくれる味方か、すたこら逃げ出す輩か、それとも広大な中間地帯になるのか。それによって運命が変わるだろう。

 一方、蓮舫氏は、田中の元秘書、早坂に重なって見えてならない。じつは、若い頃の彼は共産党員、それもバリバリの活動家だった。

 函館出身の早坂は、戦後間もない1950年、早稲田大学に入学した。そこですぐに日本共産党に入党したという。マルクスやレーニンの本を読み、デモ隊の先頭に立った。折しも朝鮮戦争で世情は騒然とし、公務執行妨害で逮捕、留置場にぶち込まれた。

 本人は、社会正義の実現に真剣だったが、次第に葛藤も感じたらしい。後にこう振り返っている。

「人生は間だよ。間。一本調子だと、うまくいかない」

「当時の共産党は四分五裂で離党者が相次いだ。警察のスパイ扱いされ、党査問委員会の過酷な追及で自殺したり、正気を失った同志も出た。陰惨な季節である。私は火炎ビンを投げてアメリカ占領軍、吉田内閣の巨大な風車に突進したが、はね返された。阿呆の典型である。われ笛吹けど、大衆踊らず。無告の民は生活に追われる毎日だった」(『オヤジの知恵』)

 結局、離党した早坂は、新宿界隈で酒を食らい、赤線で遊ぶ日々を送る。そんな中、寄席に通って、古今亭志ん生や桂文楽の芸に聞き惚れたという。

「私が感心したのは、師匠たちの絶妙な間の取り方である。パンパンと話を拡げて、一瞬の沈黙があり、観客が息をひそめた途端、舞台が変わって客席が沸く。センテンスが短く、たたみ込む調子で客を引き込む。千変万化の抑揚はリズム感に溢れ、何の抵抗もなく、客を江戸の下町情緒へ誘い込んでくれる。この寄席通いは、後年、私の演説や講演に測り知れない影響を与えた」(同書)

 当時の共産党は、機関銃のように政府や財界を罵倒、批判するのが目立った。甲高い声で、相手を吊るし上げる女性党員もいた。そして、国民は潮が引くように離れていった。

 言葉は悪いが、蓮舫氏の国会での質問、演説から似た印象を受けてならない。われ笛吹けど、大衆踊らず。今、それを最も痛感しているのは彼女ではないか。

 これを乗り越え、自己改造するため、しばらく政治から離れ、寄席通いしてみてはどうか。かつて早坂がそうしたように。そして、その早坂の過去を承知の上で、秘書に採用したのが田中角栄だった。田中は、こうも言っていたという。

「人生は間だよ。間。一本調子だと、うまくいかない」(一部敬称略)

(徳本 栄一郎)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください