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「何も見えません!」「どこでもいいから撃て!」9000人のソ連兵が北海道に襲来…元日本兵が〈最後の死闘〉を証言

文春オンライン / 2024年8月16日 6時0分

「何も見えません!」「どこでもいいから撃て!」9000人のソ連兵が北海道に襲来…元日本兵が〈最後の死闘〉を証言

いまも島に残る日本軍の戦車の残骸

1945年8月17日、ソ連が千島列島北端・占守島に侵攻を開始した。玉音放送後に武装解除を進めていた日本軍は完全に不意を突かれたのだ。ノンフィクション作家の早坂隆氏が「占守島の戦い」の秘話を伝える。

◆◆◆

ソ連の奇襲が始まった

 17日の夜、状況は一変した。島の北部が不意の砲撃に晒されたのである。終戦後にもかかわらず、ソ連が奇襲を開始したのだった。

 18日午前1時過ぎには、ソ連軍の海軍歩兵大隊などが占守島北端の竹田浜に殺到。陸軍の狙撃連隊などがこれに続き、ソ連軍の兵力は延べ約9000人に及んだ。浜一帯は激しい地上戦の舞台と化した。

 ソ連軍侵攻の報は、「北の備え」の指揮をとっていた札幌の第5方面軍司令部にもすぐに送られた。この時、第5方面軍の司令官だったのが樋口季一郎(きいちろう)中将である。樋口は満洲のハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年3月、ナチスドイツの迫害から逃れてきた多くのユダヤ難民に特別ビザを出すよう奔走して救出した経歴を持つ。そんな「知られざる名将」である樋口は、ソ連軍の侵攻に対する戦いを「自衛戦争」と断定。実は樋口は若い頃から「対ソ戦」を専門とする情報将校だった。樋口はソ連の南下政策と野望について充分に研究していたのである。樋口はこう現地に打電した。

「断乎、反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」

 ソ連軍の侵攻を占守島で阻止しなければならない。もしここで跳ね返さなければ、ソ連軍は千島列島を一気に南下し、北海道まで迫るであろう。樋口はそう分析した。

 樋口の考えは当たっていた。ソ連最高指導者のスターリンは、釧路と留萌(るもい)を結んだ北海道の北半分を占領する計画を有していたのである。

「申し訳なく、自決します」

 午前3時頃、小田が属する戦車第4中隊にも「非常呼集」がかけられた。「敵襲」ということだったが、詳細はわからなかった。

 第4中隊に命じられたのは索敵(偵察)だった。そこで伊藤中隊長の乗る中隊長車を含む3輛の戦車が出動することになった。小田もこの偵察要員に選ばれ、95式軽戦車に乗り込んで中隊長車のすぐ後ろを進んだ。95式軽戦車は3人乗りだが、小田は機関銃手だった。

 3輛は占守街道を北に向けて走った。しかし、四嶺(しれい)山の山麓を抜けた辺りで、先頭を走る中隊長車が急に反転。来た道を戻るよう指示された。敵兵が速射砲の準備をしているのを発見したという。偵察が任務のため、深追いはしなかった。

 結局、3輛は四嶺山の山麓まで戻った。周囲の草原には20名ほどの日本軍の歩兵がいた。彼らは兵舎で寝ていたところを急襲された兵たちということだった。その中の1人が小田の上官にこう言った。

「拳銃を貸してください。陛下よりいただいた小銃を置いてきてしまったので、申し訳なく、自決します」

 小田らは、

「もう戦争は終わっているんだ。心配するな」

 と説得を試みたが、その兵士は「申し訳ない」の一点張り。結局、根負けして戦車内に置いてあった歩兵銃を手渡した。以後、その兵士がどうなったか、わからない。

 小田たちはその後、中隊の駐屯地まで戻り、改めて戦闘準備を整えた。小田はまず水を補給しようと2本の水筒を持って炊事場に走ったが、係の班員がお湯を沸かしていなかった。水筒には必ず煮沸済みの水を入れることになっていたのだが、混乱の中で班員が準備していなかったのである。小田は仕方なく小川の水を汲み、水筒に征露丸を2粒ずつ入れた。

 時刻は午前5時頃となっていたが、朝飯も用意されていなかった。古参の曹長が炊事班長に聞くと、

「中隊長の命令でないと食糧倉庫は開けられない決まりになっている」

 との返答。曹長は、

「中隊長は今、偵察内容を各部に必死に報告している。飯のことなど炊事班の考えで決められるだろう。飯も食わせずに兵を戦場に出す気か」

 と怒鳴ったが、炊事班長はそれでも倉庫の鍵を渡さない。するとついに曹長は拳銃を抜き、

「お前を殺して鍵を取るから覚悟せい。そこに直れ!」

 と叫んだ。事ここに至り、炊事班長はようやく鍵を渡した。曹長は周囲に、

「食べ物を好きなだけ積み込め!」

 と指示を出した。小田は言う。

「私は四嶺山の山麓で出会った兵隊たちにもいろいろ持っていってやろうと思い、羊羹、きびだんご、キャラメル、飴、乾パンなどを戦車内に運び込みました。上官から『お前は戦場で店でも開くつもりか』と笑われましたよ」

「敵でいっぱいだ!」

 こうして小田らは四嶺山方面へと再び向かった。第4中隊は11輛の戦車から成っていたが、途中で他の中隊と合流。池田末男連隊長の乗る連隊長車も見えた。

 やがて激しい戦闘が始まった。敵の装備や軍服から「相手はソ連軍」と判明した。これが小田にとって、生まれて初めての実戦だった。

「不思議と落ち着いていたように思います。物怖じもなくカッカもしない。冷静でもないけれど、やるべきことをただやるだけという感じです。しかし、そのうちに戦車が低木のハイマツなどが茂る地帯に入り込んでしまって。枝などをなぎ倒しながら進むのですが、葉っぱで前方が何も見えなくなってしまいました」

 狭い戦車内に車長の声が響いた。

「目の前は敵でいっぱいだ! 小田、すぐ撃て!」

「何も見えません!」

「どこでもいいから撃て! 連射しろ!」

 小田は夢中で機関銃の引き金を引いた。

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(早坂隆「 証言・ソ連を北海道から撃退せり 」)。

〈 「目玉を飛び出させながら、こちらを見てニタッと…」ソ連軍との“玉音放送後の死闘”を元日本兵が語る〈ゴロゴロ転がる死体を戦車で踏み潰し…〉 〉へ続く

(早坂 隆/文藝春秋 2022年9月号)

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