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先生が注意しただけで「パワハラを受けた」と不登校になる子も…「否定しない子育て」が招いた学校教育の惨状

文春オンライン / 2024年8月3日 17時0分

先生が注意しただけで「パワハラを受けた」と不登校になる子も…「否定しない子育て」が招いた学校教育の惨状

教育現場で今何が起きているのか? 写真はイメージ ©getty

〈 小学生がモップで先生の眼鏡を破壊する事件も…少子化なのに「校内暴力」が右肩上がりの理由【データ有り】 〉から続く

 同級生を叩いた子を注意したら、「先生にパワハラを受けた」と言って不登校になったという事例も…。止まらない校内暴力に学級崩壊。今、教育現場では何が起きているのか? ジャーナリストの石井光太氏の新刊『 ルポ スマホ育児が子どもを壊す 』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

絶対に先生は僕を嫌ってる!

 先生はつづける。

「今の子はすごく打たれ弱いといわれていますよね。私としては子どもたちが打たれ弱くなったことにも、親の甘やかしが関係しているように思っています。甘やかす親は、子どもが間違ったことをしても注意しません。子どもに嫌われたらどうしようと考えて黙っているのです。そのような家庭で育つ子どもは、大人から何かを指摘されたことがないので、注意されると信じられないくらい大きなショックを受けます」

 先日も、先生のクラスで、ある子どもが忘れ物をしたそうだ。何日も同じことがつづいていたため、先生は「メモを取って忘れないように気をつけましょう」と言った。普通の子どもなら「はい」と言って終わる。だが、甘やかされて育った子どもは、「先生に悪口を言われた」「先生も学校も大嫌い」と落ち込み、学校に来なくなったという。

 大人が感情的になって叱り飛ばすことと、間違いを指摘して正すことは、根本的に異なる。幼い頃から、家庭で親にきちんとした指導を受けてきた子は、先生が自分のためを思って言ってくれたのだとわかるので素直に聞き入れる。

 一方で、そうした経験に乏しい子どもたちは、自分を否定する言葉はすべて罵詈雑言だと受け止める。ゆえに、「先生は僕のことを嫌っている」「自分は学校にいちゃいけないんだ」などと被害妄想を膨らます。

 子どもが打たれ弱くなっているという話は、他の先生においてもほぼ共通認識だった。それを実感する出来事として挙げられたのが次のような例だ。

・学校でタブレットをやたらと近づけて見ていたので、「画面を見る時はもう少し目を離しなさい」と言ったら、その場で号泣しはじめた。


・同級生を叩いた子を注意したら、「先生にパワハラを受けた」と言って不登校になった。


・教科書の音読で読み間違いを指摘したところ、家に帰って親に「先生が私のことをみんなの前でバカって言った」と言いつけた。


・子どもたちが一株ずつアサガオを育てていた。あるアサガオが枯れかけていたので、先生が「ちゃんと水をあげなさいよ」と言ったら、子どもは「このアサガオが不良品なんだ!」と反論してきた。


・少年野球の試合で監督に「今日は調子悪いな」と言われて途中交代を命じられた。その子は「自分だけ差別されている」と言って少年野球をやめた。

 どの例も、大人が理不尽に子どもを叱っているわけではない。物事がより良く回るように指導しているだけだ。それを「不条理に怒られた」と受け止めているのは、子どもの方だろう。

止められない学級崩壊

 小学校で校内暴力が増えれば、教室はどんどん荒れていく。そうして起こるのが学級崩壊だ。

 教室では子どもの暴力に加え、本書のプロローグで見た“静かな学級崩壊”も起きている。だが、先生方にしてみれば、それを抑えるのは至難の業だそうだ。

 先生が子どもたちに指導できない一因が、発達障害との関係だという。学校の中で発達障害の線引きや対応が決まっていないがゆえに、子どもの奇行を注意できないのだそうだ。

 これを教えてくれたのは、プロローグに登場する副校長だった。

「小学校には特別支援学級がありますが、通常学級にも発達障害のあるお子さんはいます。保護者が自分の子を特別支援学級に入れるのを拒んだり、診断を受けさせたがらなかったりするので通常学級に入ってくる。もちろん、グレーゾーンの子もいます。クラスにもよりますが、多いと5、6人いる。そういう子たちが授業中に問題行動を起こすことがあるのです。障害がある子に対する対応は簡単ではありません」

 文科省の2022年の調査では、小学校や中学校の通常学級に通う子どものうち、発達障害の可能性があるのは8.8%とされている。35人学級なら、クラスに3人の割合だ。

 発達障害の症状や重度はそれぞれだが、集中力がつづかない、音や臭いに過敏になる、自己表現が不得意、言われたことを理解できないなどといった特性から、教室で和を乱すような行動に及ぶ場合がある。

 現在、学校では、子どもたちに発達障害があった場合、その特性を認めようという流れになっている。朝礼で一列に並んでいるのがつらければ並ばなくていい、みんなと給食を取れなければ校長室で食べていい、といったような具合だ。

 注意欠陥にせよ、感覚過敏にせよ、発達障害のある子どもが自らの特性をコントロールするのは至難の業だ。そういう意味では、学校側の方向性は間違いではない。問題は、誰の行為をどこまで容認するかが定まっておらず、現場の先生の判断に委ねられている点だ。

 副校長は言う。

「子どもに発達障害の特性があって、教室から出ていった場合、先生は『あの子は発達障害だから認めるしかない』と考えて放っておきます。押さえ込むことができないので、そういう判断になる。

 でも、これをすると、他の子にまで波及してしまいます。別の子が真似をして教室からいなくなったり、『なんで彼はよくて僕はダメなんですか。それって差別ですよね』という声が上がったりする。

 ややこしいのは、こういう子たちもグレーゾーンだということです。そうなると、彼らの行動も認めなければならなくなり、今度はグレーゾーンではない子にも認めなければならなくなる。これで、クラスがメチャクチャになります。

 教員の側も、この子は障害で、この子は違うという明確なものがあれば、それなりの対応ができると思うんです。けれど、知的障害と違って、発達障害の場合は診断を受けていない子もいるし、グラデーションの幅がとても大きいので一筋縄ではいかないのです」

 副校長の指摘の通り、発達障害は介護認定やがんのステージのようにレベルが決まっているわけではない。人なら誰もが持っている特性の出方の違いなのだ。

先生の力量に頼るのは限界

 発達障害の専門家でもない先生方が、35~40人に上る子どもたち一人ひとりの特性を細かく分析して、それぞれに合った対応を決め、他の子どもたちにも納得させて実行することなど到底無理な話だ。

 そうなると、先生は子どもたちの行動を注意できなくなる。だから、教室を出ていったり、床に座り込んだりする子を無視し、席についている子だけを相手に授業をする……。

 これは校内暴力でも同じだ。発達障害の疑いのある子が暴れても、どこまで注意するべきか判断がつかない。そうなると、他の子にも適切に対処することができなくなり、教室に荒れが広がっていく……。

 こう見ていくと、先生の力量に頼るのは限界にきているのかもしれない。

(石井 光太/Webオリジナル(外部転載))

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