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「なぜ自分が嫌なことをされ、妬まれないといけないの」14歳の金メダリスト・岩崎恭子が体験した“日常の崩壊”《「一番幸せ」から一転》

文春オンライン / 2024年8月10日 18時0分

「なぜ自分が嫌なことをされ、妬まれないといけないの」14歳の金メダリスト・岩崎恭子が体験した“日常の崩壊”《「一番幸せ」から一転》

岩崎恭子さん ©文藝春秋

1992年、14歳で出場したバルセロナオリンピックで競泳史上最年少金メダリストとなった岩崎恭子さん。「時の人」となった彼女は、狂騒の渦に巻き込まれる。金メダルがもたらした光と影ーー。

◆◆◆

14歳は14歳

 ――1992年、14歳で出たバルセロナ五輪の記憶はまだ鮮明ですか。

「とにかく楽しかったんです。予選のときから調子がいいというのはわかって、本当に『スイスイ』という言葉はこのことなんだろうなと実感できるくらいすごく気持ちよく泳げました。決勝に残っても別に重圧があるわけではなく、メダルなんて意識していませんでしたから」

 ――200m平泳ぎの予選では自己ベストを3秒以上も更新し、当時の世界記録保持者アニタ・ノール(米国)に100分の1秒差と迫る、2分27秒78という日本新記録を出しています。一躍世界トップの仲間入りをして、決勝までどう過ごさなければいけないかと神経質になったりはしませんでしたか。

「私、あんまりそういう意識がなくて、14歳は14歳だと思っていたので(笑)。『代表選手として』という気持ちが芽生えたのもオリンピック直前の合宿に行くとき、体重制限のため、飛行機の中のデザートすら食べてはいけないと言われたときでした。オリンピックはそういうところなんだと。私は年齢的にも太ることはなかったんですけど、みんながそうやってるのに自分だけ食べるわけにいかない。だから終わってから好きなものをたくさん食べよう、ジュースも飲もうと」

 ――決勝は2分26秒65の五輪記録で競泳史上最年少の金メダル。「今まで生きてきた中で一番幸せです」と語りましたが、その幸せはあの瞬間からどれくらいまで続いたんですか。

「まず帰国した空港にすごくたくさんの人やカメラマンさんがいて、自分の想像を超えたことが起こっていると少し怖くなりました。その日は東京に1泊して、次の日、テレビをつけたら私の『今まで生きてきた中で……』という言葉がものすごく取り上げられていて、え? という感じでした。そのまま沼津に戻ってパレードした後の記者会見でもあの言葉のことを聞かれて、あれ? と。そして会見も終わってさあ家に帰ろうと思ったら、『今日はもう危ないから家に帰れないので、伊豆の温泉に行ってください』と言われて……。ただ、その時はまだ周りに連盟の人や守ってくれる人がいてくださったのでそこまでではなかったんですが、本当に大変だったのは、やはり実家に戻ってから。どこに行っても視線を感じたり、外で見知らぬ人に追いかけられたり、だんだん生活しづらくなってきて……」

 ――バルセロナで金メダルを取ってからわずか数日で「幸せ」が霞んでいくわけですね。ちなみに帰国当初、金メダルはどうしていたんですか。

「母が管理していた……と思います。バルセロナでもらって自分で持って帰ってきて日本で母に渡した……。多分そうだったと思います。その辺りのこと全然、記憶になくて。14歳だったのでどこに行くのも母と一緒でした。東京でテレビ局まわりもしたんですけど、すべて母がついてきて、私の持ち物を持っていたので、たぶんメダルもそうだったと」

〈表彰台で受け取った直後から金メダルについての記憶が薄いというのは興味深い。確かに14歳の少女がその重みを本当に実感するのはまだ先だった。そして皮肉なことに、そのきっかけとなったのは日常の崩壊だった。中学2年で「時の人」となったことで、自宅には中傷の電話がかかってきたこともあったという。〉

私のせいなのかな

「今はそういうことはどこでもあることなんだ、よく思う人もいれば、嫌だなと思う人もいるということはわかるんですが、当時はなぜ自分が嫌なことをされたり、妬まれないといけないのか、何で私がこんな思いをしなきゃいけないんだろう、なんで家族まで巻き込まれないといけないんだろうとか、何で? 何で? とそればかり思ってしまって……。そこから2年間はずっとそういうことで悩んでいました」

 ――家族も巻き込んでというのは特に、同じく水泳をやっていた3歳上の姉・敬子さん、2歳下の妹・佐知子さんのことでしょうか。

「そうですね。特に姉は大変だったと思うんです。姉は勉強もできてスポーツもできて、性格的にはひとりで部屋に閉じこもって本を読んでるのが好きなタイプ。私は正反対で、昔から知っているコーチに言わせれば悪ガキでしたから。姉はよく私のことを八方美人と言っていて逆に私はお姉ちゃん空気読まないけど、すごいねって(笑)、尊敬していました。水泳ではジュニアオリンピックで優勝し、バルセロナ五輪の選考レースにも出るほどの選手だったので、私は姉がつくってくれた道を歩いていけた。姉の記録を塗り替えることだけを目標にやれたんです。それほどの選手なのにバルセロナの後は常に『岩崎恭子の姉』として見られるようになってしまって。結局、大学進学と同時に水泳をやめてしまいました。私がこんな状況になってなければお姉ちゃんも普通にもっといい成績をおさめて水泳を続けられたかもしれないのに、私のせいなのかな、きっとそうなんだろうなと。だからずっと気になっていたんです。ただ、当時の私は一方で『そんなの私のせいじゃない』という思いもあって。私も自分のことで精一杯だったので」

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(「 岩崎恭子 14歳の金メダリストの『天国と地獄』 」)。

(鈴木 忠平/文藝春秋 2020年1月号)

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