「戦死したのは皆、餓死。骨と皮になって死んでますよ」パラオで飢餓地獄をさまよった日本兵の証言《サツマイモの盗み食いで銃殺も》
文春オンライン / 2024年8月14日 6時0分
米軍が上陸したペリリュー島のオレンジビーチ ©時事通信社
〈 「棒地雷を持ったまま、戦車に突っ込め!」1万2000人が戦死したペリリュー島の壮絶な戦法《帰還兵の証言》 〉から続く
日米双方で約1万2000人が戦死した西太平洋の島・ペリリュー島(西太平洋、パラオ共和国)。元日本兵の尾池隆氏はペリリュー島での戦闘には加わららず、パラオ本島で後方支援を担当していたのだが……。
◆◆◆
島のあちこちから唸り声
〈九月十五日、米軍がペリリュー島への上陸作戦を開始。パラオ本島に駐留していた尾池さんも、ペリリュー島への後方支援に奔走する。〉
何とかしてペリリュー島の部隊を助けなければいけないと、物資を運びに行くんですね。夜、食糧や武器を船に積み込んで送るわけです。米や甘味品の他、対戦車砲が足りないということで、私はそれらの物資を運びました。夕方に用意しておいたものを船に頑丈に縛り付け、夜になってから出ていくのです。
夜が明ける頃にはペリリュー島に着きます。現地の第二連隊は惨めなものでしたよ。島のあちこちから「ウウー、ウウー」と唸り声がする。重傷を負った兵たちが、可哀想に椰子の木の下で呻いていました。
〈九月二十二日、パラオ本島の集団司令部は、劣勢に喘ぐペリリュー島への「逆上陸部隊」の派遣を決定。第十五連隊第二大隊に属する約八百四十名が、パラオ本島からペリリュー部隊の援護に向かうこととなった。大隊長は飯田義栄少佐である〉
友軍を見殺しにするなというわけですね。夜、船に乗って斬り込みに行くことになりました。飯田大隊長は「南征一心隊」という襷を肩から掛けていました。
七、八十人ほど乗れる舷の広い大発動艇(上陸用船艇)に、私も乗り込みました。そして、飯田大隊長が仁王立ちになって訓示しましたよ。「我々はいよいよ命を投げて日本のために、さあ、時期が来たぞ」「これからペリリュー島に突っ込むから覚悟せい」と。軍刀を抜いて「帰ることを許さず」とこう言いました。
ところがですよ、実はその時、私は四十二、三度の高熱を出してフラフラの状態だったのです。その様子に気付いた中隊長の桑原甚平中尉が、「尾池はどうしたんだ?」と准尉に聞きました。准尉は「尾池は実は二、三日前から高熱を発して、この通りなんです」と。すると桑原中隊長が「よし、わかった。降ろせ。船から降ろして入院させい」と言いました。
私を降ろしてから、船はペリリュー島に向かいました。私は涙を流して「行ってこいよ」と見送りました。『俺は降ろされて、申し訳ねえことをしたなあ。俺はもう落伍者だ』なんて思ったもんでしたよ。『俺は屑になっちゃったわい』と。それから、私は陸軍病院に入れられました。それで私は生きたんです。
戦死したのは皆、餓死
〈記録によれば、桑原中尉の指揮する第三艇隊(二百二十三名)は、九月二十三日の午後九時四十分にペリリュー島に向けて出発。ところが、ペリリュー島の五キロほど手前の海上にて、船艇が次々と浅瀬に乗り上げ、座礁してしまったという。桑原中尉は「徒歩での上陸」を命令したが、米艦船からの激しい掃射に晒され、珊瑚の海は亡骸で埋まった。結果、ペリリュー島まで辿り着いたのは、半数以下の約百名と伝えられる。上陸できた兵士たちも、その後の戦闘においてほぼ戦死したとされる。
十一月二十七日、米軍はペリリュー島を占領。その頃、尾池さんはパラオ本島のジャングルで、飢餓地獄をさまよっていた。〉
食べ物がないので、ジャングルを開墾してサツマイモを植えました。でも、サツマイモが大きくなるのを待てない。葉っぱを食っちゃう。イモが大きくなったら、コソ泥の兵隊が抜いちゃって。それが見つかると銃殺です。監視兵がいて照明を照らす。兵隊がサツマイモを掘って殺されちゃうんですよ。
食糧を持って無人島に逃げようとした兵なんて、首を切られるんですよ、首を。憲兵が行って、そいつを引きずり出してきてね。頭を落とすわけだ。えらいことをしたもんですよ。
一方、パラオの島民は、食べ物を分けてくれたりと、日本軍に対して親切でした。有り難かったですね。
その内に、「日本が降伏した」と部隊長から聞きました。「終戦になったから」と。「敗戦になった」とは言わない。その後、「日本は何だか自由になったらしい」なんて大騒ぎしたこともありました。
その後もジャングルの中で過ごしましたが、やはり食べ物がなくて。まるで飢えた犬ですね。動くものは、何でも食うんです。例えばトカゲ、ヘビ。火を燃しておいてトカゲを放り込むと、パーンと跳ねるから、それをむしって。それから木の葉っぱを食ったりね。パラオ本島にいた人で戦死したのは皆、餓死です。骨と皮になって死んでますよ。
◆
本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています(早坂隆、土田喜代一、尾池隆「 ペリリュー生残の記 」)。
(尾池 隆,早坂 隆 2015年5月号)
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