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「地震でものすごく暇ですわ。大赤字もいいとこです」浜茶屋の経営者が嘆く窮状《能登半島地震から半年、戻らない日常》

文春オンライン / 2024年8月5日 6時0分

「地震でものすごく暇ですわ。大赤字もいいとこです」浜茶屋の経営者が嘆く窮状《能登半島地震から半年、戻らない日常》

能登観光のパンフレットを集めたコーナー(金沢駅観光案内所)

 夏、人々は行楽地へ向かう。

 能登半島の観光地はどうなっているのだろう。

 2024年1月1日に地震が起きてから半年が経過したというのに、奥能登と呼ばれる震源に近いエリアでは、復興どころか復旧さえ進んでいない地区が多い。「あの日のまま何も変わっていない」と諦め顔で話す被災者がいるほどだ。

 奥能登で随一の観光名所だった輪島市の朝市は、露店が並んでいた商店街が火災で焼失した。珠洲市でも見附島(別名・軍艦島)が崩落でやせ細り、「奥能登絶景街道」と名づけられた海岸道路も寸断されたままだ。

 岸田文雄首相は能登観光の宿泊費の7割を補助する「復興応援割」の具体化を進めると表明したが、「宿泊できる状態なのか。それ以前の問題として、手をつけなければならないことがあるのではないか」と指摘する声が少なくない。

 果たして、能登を観光することはできるのか。

 取材者というより、一人の観光客として能登半島を巡ってみることにした。

観光案内所でおそるおそる尋ねると「ぜひ来てください」

 まずは、情報収集だ。それにはやはり金沢駅だろう。駅構内に設けられた「観光案内所」を訪れた。フロアには能登観光のパンフレットを並べたコーナーがあり、半島の地図も掲示されている。

 ということは、観光に行ける場所もあるのではないか。おそるおそる尋ねてみた。

「地震で大変な時に聞きにくいのですけれど、能登で観光はできるのですか」

 案内デスクにいたベテラン女性職員は「もちろん」という表情で、能登半島の地図を指す。

「場所によってはできます。被害が酷かった奥能登の珠洲市や輪島市の方では、まだお受けできる状態ではありませんが、羽咋(はくい)市や志賀(しか)町、あとは七尾市の一部などで観光が可能です。七尾市の能登島ではガラス工房などの施設も営業していますし、水族館も営業再開予定です(取材後の7月20日に再開)」

 能登半島は石川県12市町と富山県1市の計13市町でできている。面積は2404平方kmあり、東京都より広い。現在も通行止めの道路が多く、帰れない地区はあるものの、これだけ広ければ観光できる土地もある。

 ただ、いかにも観光客という感じで訪れるのは気が引けた。その不安を告げると、案内デスクの職員は「そんなことはありません。大丈夫ですよ。地元の皆さんは『ぜひ、来てください』とおっしゃっています」と語る。ホッとした。

砂浜を車で走れる「千里浜なぎさドライブウェイ」

「例えば、『千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ』はどうですか。日本で唯一、砂浜を車で走れるんです」と勧めてくれた。

 能登半島のつけ根に位置する宝達志水町の今浜から羽咋市の千里浜まで、約8kmも続く砂浜の道路だ。

 普通の砂浜ならタイヤが埋もれてしまうのに、ここでは走れる。秘密は砂だ。白山に源流を発する石川県最大の河川・手取川は暴れ川としても知られており、日本海に大量の砂を運ぶ。海岸に打ち寄せる砂は河口から離れるほど粒が小さくなり、千里浜なぎさドライブウェイ付近では0.2mmぐらいになるのだという。また、この辺りの砂浜は傾斜が緩やかなので海水で湿っている。粒の大きさがそろった砂が湿ると、固く引き締まるから、観光バスでも走れるのである。

 石川県観光連盟のHPには「青空の下、打ち寄せる波のすぐ横を颯爽とドライブ。映画のワンシーンのような光景」と書かれている。

震度7でも奥能登ほど被害は大きくなかった志賀町

 その先の志賀町にも見どころがある。「巌門(がんもん)では、能登金剛遊覧船が運航しています」と案内デスクの職員が教えてくれた。

 断崖や奇岩が続く「能登金剛」の海岸でも、一番の見どころは巌門だ。浸食でできた洞門が幅6m・高さ15m・奥行き60mもの大きさになっている。

 しかし、志賀町と言えば、能登半島地震で震度7が計測された地ではないか。大丈夫なのだろうか。

「実は揺れのタイプが珠洲市や輪島市とは違っていたようです。両市ほど被害は大きくありませんでした」と案内デスクの職員が解説する。

 砂浜道路、そして絶景の海岸。能登観光の魅力は「海の美しさ」である。

「お勧めした千里浜や巌門は能登半島の西側にあり、荒々しい日本海に面しています。夕陽がとっても美しいだけでなく、夏の穏やかな海はすごくキレイです」。説明しているうちに思い出したのか、職員は次第にうっとりした顔つきになる。

穏やかな七尾湾と「のと鉄道」…地場産の魚介類も味わえる

「かたや能登半島の東側には七尾湾があります。穏やかなので全く違いますよ。七尾市には被害が大きかった地区もあるのですが、七尾駅から穴水駅(穴水町)に向けて第三セクター『のと鉄道』に乗ってみてはどうでしょう。車窓から静かな七尾湾や、昔ながらの漁村風景が見えて、こちらも本当にキレイです。終点の穴水駅の隣には『道の駅あなみず』があり、土産物が充実しています。列車の応援かたがた買物をしてきたという人もいらっしゃいます」

 のと鉄道は地震で全線が不通になり、4月6日に完全復旧した。車窓からはブルーシートがかかった屋根や崩れた家など沿線の生々しい被害も見える。美しい海だけでなく、こうした現実をしっかり目に焼き付けることも重要なのだろう。

 能登半島では漁を再開した港もある。七尾市では営業している寿司店があり、地場産の魚介類が味わえる。

「ただ、七尾市でも能登の宿泊の拠点になっていた和倉温泉は被害が大きく、ごく一部の旅館でしかお客様の受け入れが再開できていません。市内の能登島では再開した民宿もありますが、現実には金沢で泊まり、能登には日帰りで往復というお客様が多いですね」

 職員は七尾市に寿司を食べに行くなど、被災後の能登半島にしげく足を運んで調査しているようだ。実体験に基づき、親身に相談に乗ってくれる。「おススメ」に従えば、安心して能登半島へ向かえると分かり、最初の目的地は「千里浜なぎさドライブウェイ」と決めた。

 金沢駅の近くでレンタカーを借り、無料の自動車専用道「のと里山海道」へ入る。25kmほどで今浜インターチェンジを下りると、そこがドライブウェイの入口だった。

浜茶屋は「ただもう開けてるだけ、大赤字もいいとこ」

 すぐに浜茶屋があったので、寄ってみた。

 客はいない。店の人もいない。シーンとしていて、波の音しか聞こえない。

 どうしたのだろう。

 様子をうかがいながら、「こんにちは」と声をかける。「はーい」と男性が出てきた。

「浜茶屋ちさと」。主人の定免(じょうめん)武治さん(75)は不在にしていて、息子の康弘さん(44)が店番をしていた。

「地震の影響で、ものすごく暇ですわ。ただもう開けとるだけで、大赤字もいいとこです」。康弘さんはため息をつく。

 浜茶屋への来客には2通りある。

 被災前の能登観光は、輪島市や珠洲市など奥能登が本場だった。金沢方面から奥能登へ向かう途中、もしくは帰りがけに、千里浜なぎさドライブウェイを走る。そのついでに寄る人が多かったのである。

 さらに、今浜の海岸を目的にした海水浴客も多かった。

「奥能登へ行く人の流れが少なくなったので、ドライブウェイを走る車も減っています。例年と比べると本当に暇。この辺りで商売をしている人は皆、同じ状況です。頭を抱えていると思いますよ」と康弘さんは言う。

 それでも寄ってくれるお客さんはいる。

「輪島に遊びに行った人が帰りがけに来てくれました。『輪島に行ってはみたけど、ご飯を食べるところもあんまりないし、道も悪かった』という話でした。実際に奥能登は観光どころじゃありません。自分の住む家や道路を復活させるのに、皆さん一生懸命な状態です。せめて和倉温泉に泊まれれば、途中で寄ってくれる人もいるでしょうけど、それも難しい」

高波になると閉鎖されてしまう砂浜道路

 苦境は地震の他にも理由がある。

「砂浜が狭くなって、ドライブウェイを走れない日が増えているのです」と康弘さんは嘆く。

 原因はいくつか指摘されている。手取川にダムが建設されたことで海に流れ出る土砂が少なくなった。波による海岸の浸食も進んだ。このため、少し高波になると砂浜道路は閉鎖されるようになった。

 石川県は沖合に人工リーフ(海面下の構造物)を設置したり、砂を投入したりしているが、なかなか効果は上がっていない。

 ドライブウェイの閉鎖日は南の宝達志水町側の区間で特に多く、石川県の羽咋土木事務所によると、この7月中に通行できたのはたった1週間程度だった。北の羽咋市側の区間では3週間程度通れたという。

 康弘さんは「波が高いと海水浴もできません。梅雨が明けると海が穏やかになるので、お客さんが増えると思いますが、下手をするとドライブウェイは僕が生きている間になくなってしまうのではないかと心配しています」と話す。

後日、電話で状況をうかがうと…

 私が浜茶屋を訪れたのは、晴れてはいたものの、梅雨時期だったので、その後の状況を電話などで聞いた。

 北陸地方が平年より9日遅れて梅雨明けしたのは8月1日。その前日と翌日にお父さんの武治さんに連絡がついた。武治さんは今浜浜茶屋組合(宝達志水町)の組合長である。

「7月11日に浜開きをしたのですが、土砂降りの日が多くて、波も高く、なかなかお客さんには来てもらえませんでした。新型コロナウイルス感染症の流行が一番酷かった年でもこんなことはなかったですね。8月は天気になるという予報だから期待しています」と話す。

 奥能登観光のついでに寄る人は相変わらず少ない。「今年は海水浴のために、日帰りで来る人が中心になりそうです」と予想していた。

 困ったことに、「浜茶屋が営業していないと思い込んでいる人がかなりいる」のだという。

「つい先日も岐阜県の高山から毎年海水浴に来る人が電話をくれました。『今年も行きたいけど、浜茶屋はやっていますか』という問い合わせでした」

 これには「能登半島へ行くな」という大合唱が起きたのも影響しているのではないか。

 地震の発災直後、奥能登の道路は完全に寸断され、ライフラインも壊滅したことから、ボランティアにさえ来てもらうことができなかった。だが、次第に「行ける」地区が広がり、「来てほしい」という人が増えても、「能登半島には行けない」というイメージだけは残った。

「行くな」とは宣伝されても、「行ける」とはなかなか宣伝されないのである。

 能登半島の海水浴は盆までが勝負だ。武治さんの浜茶屋の営業も8月末で終わる。

「浜茶屋は今年も頑張って営業しています。『元気でやっています』と皆さんに伝えて下さい」

 能登の夏は短い。武治さんの切実な声が聞こえた。

〈 「ジャーン!」「ズズズズズズー」「ドドドドド」謎すぎる彫刻が出迎える石川県羽咋市では、UFOが見られるってホント? 〉へ続く

(葉上 太郎)

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