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“蒸気機関車の夜行列車”は「夜も走らせたらどうか」の一言で生まれた? 秩父鉄道の現場スタッフ総出で実現した“奇跡の人気イベント”

文春オンライン / 2024年8月6日 7時0分

“蒸気機関車の夜行列車”は「夜も走らせたらどうか」の一言で生まれた? 秩父鉄道の現場スタッフ総出で実現した“奇跡の人気イベント”

三峰口駅で深夜の給炭作業(筆者撮影)

 漆黒の蒸気機関車が小さなライトの光を浴びて闇夜に浮かぶ。その姿に威厳と力強さを感じた。まるで「せっかく隠れていたのに、聖なるチカラで居場所を突き止められたラスボス」だ。

 そのラスボスの背中、C58形363号機の炭水車に人影がふたつ。真っ白な水蒸気に包まれている。どっさり積まれた石炭の山を整えている姿。それはまさしく強敵に立ち向かう勇者に見えた。

 ここは埼玉県秩父市の秩父鉄道三峰口駅だ。秩父鉄道は2024年3月16日から17日にかけて、夜行急行「第51三峰号」を運行した。熊谷駅を22時58分に出発し、三峰口駅で折り返して、翌朝5時56分に熊谷駅に戻るという行程だ。

 秩父鉄道といえばSL列車「パレオエクスプレス」の運行で有名だ。秩父、長瀞観光のシンボルでもある。夜行列車は秩父鉄道の新たな目玉商品として、2018年12月から不定期に運行されている。日本旅行が催行する団体ツアーという枠組みだ。今回は初めて、蒸気機関車による夜行列車が実現した。

「夜も走らせたらどうか」というアイデア

 秩父鉄道が夜行列車を始めた理由のひとつに「2020年問題」があった。2020年に蒸気機関車、C58形の全般検査が予定されている。作業には1年以上が見込まれていた。全般検査は自動車で言えば車検に当たる重要な検査だ。

 鉄道車両の全般検査と言えば、車両を可能な限り分解して点検し、不具合があれば部品を交換して組み立て直すという大がかりなものだ。C58形363号機は1944年製で製造から75年も経過するから、徹底的な検査が必要だった。

 蒸気機関車が不在のあいだ、電気機関車による「ELパレオエクスプレス」を運行する。この電気機関車は、ふだん石灰石輸送の貨物列車に使われていて、客車を牽く珍しい機会となった。電気機関車と客車の組み合わせは国鉄末期にも多く存在し、往年の鉄道ファンにはウケるかもしれない。しかし、蒸気機関車の不在は厳しい。

 そこで、夜も走らせたらどうか、というアイデアが生まれた。2018年から運行し、人気が定着すれば、電気機関車と客車の組み合わせも味わい深いことを知ってもらえる。だいたい夜行列車と言うだけで、昭和世代の鉄道ファンには郷愁がこみ上げる。

 もともと夜行列車は「夜間に移動すれば、到着地で朝から活動できる」という実用的な列車だ。それは現在の夜行高速バスにも受け継がれている。しかし、夜行列車の魅力はそれだけではない。日常から離れてゆっくりと旅になっていく。自分は遠くに行くんだと、覚悟するための列車だった。

 賑やかな都会を出発し、深夜の住宅街を通過する。夏は部屋の中まで見えてしまう家があり、きっとテレビで野球を観戦しながら、お父さんがビールを飲んでいるだろう、などと思いを巡らせる。

 列車の窓ガラスの中は旅、外は日常だ。夜も更けて、車窓に現れる建物の灯りが減っていく。やがて街灯だけが蛍のようにぽつん、ぽつんと通り過ぎていく。明るい場所と言えば駅だけだ。しかしそこに人はいない。

どこへ向かおうと、夜行列車の旅人の心には通じるものがある

 列車は闇に包まれて、車内灯も少し暗くなる。防犯のために真っ暗にはならないけれど、眠りを誘う。寝台車は横になれるけれども、座席客車は窮屈だ。しかも普通列車の4人掛けボックスシートは背が垂直で硬い。そんな窮屈な姿勢で、豪胆な者は眠り、繊細な人は眠れずに思いにふける。

 やがて夜が明けて建物や山の形が見えてくる。しかし外の世界の人々は眠ったままだ。車窓が明るくなるにつれて、犬を散歩させる人、通学する児童や生徒が現れる。目的地に着く頃は、もうその土地の日常が始まっている。この土地の人々と同じ歩調で歩けるだろうかと、少し不安になりつつ、終着駅に着く。

 都会へ向かう夜行列車に乗る人はどんな気持ちだろうか。住み慣れた街の夜。暗い車窓に自分の顔が映っている。その瞳は希望に燃えているか、不安で揺れているか。目的地は大都会だ。この土地になじめるか。同じ歩調で歩けるか。どこからどこへ向かおうと、夜行列車の旅人の心には通じるものがある。

 石川さゆりの名曲「津軽海峡・冬景色」は、夜行列車を降りたところから歌い出す。でも、昭和の夜行列車を知る人々は、青森駅に着く前の主人公の心情を想像できる。前奏にも歌詞があり、聞く人の心を映す。だからあの曲は歌い出しから心に響くのだ。

 旅行や出張などで、いまさら夜行列車で行きたいとは思わなくても、あの時の郷愁が懐かしい。もういちど浸りたい。それがいま、各地のローカル線で単純往復するだけの夜行列車が企画され、人気となっている理由だと思う。

 秩父鉄道はローカル線とはいえ、沿線には市街地、住宅地も多い。2018年の初運行の時は、あらかじめ各地区の町内会長に連絡し、夜間運行を事前に伝えるなど根回しをしたという。その初運行列車に私も乗った。クリスマスシーズンのためか、列車から見える位置にイルミネーションで飾った家もあって、街から静かな歓迎をうけた気がした。

 秩父鉄道の夜行列車は年に2、3回の貴重なイベントという希少性もあって大人気となった。そして、回を重ねるごとに、蒸気機関車の要望も高まっていく。そして2024年3月16日、ついに実現したというわけだ。

ローカル鉄道のほとんどの現場社員が総出で夜勤を買って出たことになる

 蒸気機関車は電気機関車に比べて手間がかかる。運転士は2名、彼らとは別の作業員たちが、駅に停車するたびに足回りを点検する。そして折り返し点の三峰口駅は機関車の向きを変え、客車の前後に付け替える。転車台の操作、給水、給炭など、たくさんの人々が関わっている。

 駅員や信号係員などの裏方も含めると、ローカル鉄道のほとんどの現場社員が総出で夜勤を買って出たことになる。めったにできることではない。

 三峰口駅の作業風景を、私は少し離れたプラットホームから見物していた。3月中旬の秩父はかなり寒い。手袋やマフラー無しでは立っていられない。冷え込んだ闇の中、蒸気機関車をいたわり、運行を維持する鉄道員たちの姿。仕事に誇りを持っている人はカッコいい。私は冷たいカメラを冷たい手で持ちながら、ただ感動するばかりだった。

 すっかり明るくなった熊谷駅で、蒸気機関車付近に乗客たちが集まり、名残惜しそうにシャッターを押している。やがて最後部の客車に電気機関車が連結され、蒸気機関車は後ろ向きで回送されていった。ここから上野東京ラインに乗れば1時間と少しで東京に着く。6時半まで待てば上越新幹線が走り出し、約40分で東京着だ。

 しかし私のオススメは、もういちど秩父鉄道の電車で御花畑駅に行く。所要時間は1時間10分。御花畑駅から徒歩数分で西武秩父駅。この駅に隣接して温泉施設「祭の湯」がある。露天風呂でゆっくりと朝湯を楽しみ、窮屈な姿勢を続けた身体をほぐす。

 帰路は西武秩父駅から特急電車「Laview」で池袋へ。所要時間は約1時間20分だ。昭和のSL列車から令和の特急電車へ。旅情から日常への荒療治。夜行列車の締めくくりはこれがオススメだ。

(杉山 淳一)

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