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「ルーズベルト、チャーチル、ハル長官は馬鹿すぎる」…武者小路実篤や横光利一も熱狂した、12月8日の日本人の心の真実

文春オンライン / 2024年8月10日 6時0分

「ルーズベルト、チャーチル、ハル長官は馬鹿すぎる」…武者小路実篤や横光利一も熱狂した、12月8日の日本人の心の真実

徳川夢聲

〈 「日本人の出っ歯を叩きのめす」…真珠湾攻撃に激怒したアメリカ国民が抱えていた、拭い難い“人種差別意識” 〉から続く

 太平洋戦争開戦の日までの熾烈な国際外交交渉と、開戦の日の24時間を描いたドキュメント『[真珠湾]の日』は、「昭和史の語り部」半藤一利さんの、もう一つの『日本のいちばん長い日』と言うべき作品である。

 本書より一部抜粋して、真珠湾攻撃の日における、日米双方の緊迫感あふれる事態の推移を紹介する。第4回は、真珠湾攻撃の一報を聞いた当時の日本人たちの反応である。(全4回の4回目/ 最初から読む )

◆ ◆ ◆

「生きているうちにこんなめでたい日に遭えるとは」

 日本では――午後8時45分、ラジオが軍艦マーチとともに、大本営海軍部発表の驚倒(きょうとう)するような大勝利の報をやっと全国民に伝えた。

「1、本8日早朝、帝国海軍部隊により決行せられたるハワイ空襲に於いて現在までに判明せる戦果左の如し。

 戦艦2隻轟沈、戦艦4隻大破、大型巡洋艦約4隻大破(以上確定)、他に敵飛行機多数を撃墜破せり。我が飛行機の損害は軽微なり。

 2、我が潜水艦はホノルル沖に於いて航空母艦一隻を撃沈せるものの如きも未だ確実ならず。

(3、4、略)

 5、本日同作戦に於いてわが艦艇損害なし」

 戦果は、山本の「少し低い目に見とけ」という指示にもとづいたものであったが、轟沈(ごうちん)という目新しい言葉で勝利に景気をつけている。ラジオは、1分以内に沈んだものを轟沈とよぶ、と解説した。

 ほとんどすべての国民が、ラジオの報に聞きいった。いくらか反戦的であったわたくしの父は、これを聞くと神棚に燈明(とうみょう)をあげたのを覚えている。作家長與善郎(ながよよしろう、53歳)は「生きているうちにまだこんな嬉しい、こんな痛快な、こんなめでたい日に遭えると思わなかった。(中略)すでにアメリカ太平洋艦隊は木っ端微塵に全滅されていた。これではこの聖戦がこれからであると百も承知しつつ、兎も角も万歳を叫ばずにはいられない」と書き、芸能家徳川夢聲(とくがわむせい、47歳)は「今日の戦果を聴き、ただ呆れる」と記し、さらに翌9日には「あまり物凄い戦果であるのでピッタリ来ない。日本海軍は魔法を使ったとしか思えない。いくら万歳を叫んでも追っつかない。万歳なんて言葉では物足りない」と興奮を日記にぶつけている。

西欧と衝突すると、強烈で過敏な反応を示す日本人

 評論家青野季吉(あおのすえきち、51歳)は、「戦勝のニュースに胸の轟くのを覚える。(中略)アメリカやイギリスが急に小さく見えて来た。われわれのように絶対に信頼できる皇国を持った国民は幸せだ。いまさらながら、日本は偉い国だ」と記し、作家武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ、56歳)も書いた。

「愚かなのはルーズベルト、チャーチル、ハル長官たちである。日本を敵に廻す恐ろしさを英米の国民が知らないのは当然だが、彼ら責任者がそれを知らなかったのは馬鹿すぎる」

 つまりは、日本人の多くが、真珠湾の捷報(しょうほう。編集部注:勝利の報せのこと)に字義どおり狂喜したということなのである。痛快の極みと思ったのである。そしてだれもがこの戦争を独自の使命感をもった戦い、「聖戦」と信じた。あるいは信じようとした。

 わたくしは、その根本の日本人の精神構造に、幕末いらいの、いったんは開国によって死んだかと思える攘夷の精神が、脈々として生きつづけていたゆえに、と考えている。

 それはナショナリズムという型をとる。他の民族から日本人を峻別(しゅんべつ)し、優秀民族とする信念をもつ。そしてそれは欧米列強にたいするコンプレックスの裏返しでもあるのである。そのことについては拙著『永井荷風の昭和』(文春文庫)にくわしく書いたことがある。それをくり返すことはやめるが、日本国民は西欧との衝突で、日本人の自尊心や国家目的が問われるような事態に直面すると、異常に強烈にして過敏な反応を示す。それは戦闘的になる。白い歯をむく。つねに攘夷という烈しく反撥する型をとる。

「尊王攘夷の決戦」としての“大東亜戦争”

 昭和史を彩るさまざまなスローガン、「満蒙権益擁護」「栄光ある孤立」「東亜新秩序」「月月火水木金金」「ABCD包囲陣」「撃ちてし已(や)まむ」……すなわち、これらは日本国民が対外関係で興奮し猛り立った攘夷の精神の反映そのものなのである。そして幕末の「尊王攘夷」は「鬼畜米英撃滅」となって蘇り、ついには「尊王攘夷の決戦」としての“大東亜戦争”へとつながっていったのである。

 評論家中島健蔵(なかじまけんぞう、38歳)は「ヨーロッパ文化というものに対する一つの戦争だと思う」と述べ、同じく小林秀雄(こばやしひでお、39歳)も語った、「戦争は思想のいろいろな無駄なものを一挙に無くしてくれた。無駄なものがいろいろあればこそ無駄な口を利かねばならなかった」。

 同じく保田與重郎(やすだよじゅうろう、31歳)になると、もっとはっきりする。

「今や神威発して忽(たちまち)米英の艦隊は轟沈撃沈さる。わが文化発揚の第一歩にして、絶対条件は開戦と共に行われたのである。剣をとるものは剣により、筆をとるものは筆によって、今や攘夷の完遂を期するに何の停迷するところはない」

「不思議以上のものを感じた」…神がかりを信じた横光利一

 34歳の亀井勝一郎(かめいかついちろう)も胸をはって書いている。

「勝利は、日本民族にとって実に長いあいだの夢であったと思う。即ち嘗(かつ)てペルリによって武力的に開国を迫られた我が国の、これこそ最初にして最大の苛烈極まる返答であり、復讐だったのである。維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴すべきときが来たのである」

 作家横光利一(43歳)も日記に躍動の文字をしたためた。

「戦いはついに始まった。そして大勝した。先祖を神だと信じた民族が勝ったのだ。自分は不思議以上のものを感じた。出るものが出たのだ。それはもっとも自然なことだ。自分がパリにいるとき、毎夜念じて伊勢の大廟を拝したことが、ついに顕れてしまったのである」

 引用が多すぎたかもしれない。が、これが12月8日の日本人の心の真実であった。少なくともほとんどすべての日本人が気の遠くなるような痛快感を抱いたのであり、それはまさしく攘夷民族の名に恥じない心の底からの感動の1日であったのである。

(半藤 一利/文春文庫)

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