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〈部下に自殺強要し責任逃れ〉辻政信には「旧軍エリートの悪いところが如実に表れている」《保阪正康氏らが徹底分析》

文春オンライン / 2024年8月13日 6時0分

〈部下に自殺強要し責任逃れ〉辻政信には「旧軍エリートの悪いところが如実に表れている」《保阪正康氏らが徹底分析》

戦後しばらく逃亡し、国会議員にもなった辻政信 ©時事通信社

〈 「牟田口廉也は無能、悪玉、卑劣の“三冠王”と言ってもいい」各界専門家が分析する“無責任”日本陸軍エリートの実名 〉から続く

昭和の陸軍を分析すると、日本型エリートの問題点が浮き彫りになる——。経営、軍事、歴史の専門家が、太平洋戦争で露わになった日本型組織の欠陥を語り合った。軍人の愚行を振り返ると、現代に通じる教訓が見えてきた。

◆◆◆

失敗してもなぜか舞い戻る

 保阪 私は服部(卓四郎)と辻(政信)は旧軍のエリートの悪いところが如実に表れている人だと考えています。派閥の引きで出世し、失敗しても責任を取らず、戦後は自分たちの失敗が無かったかのように振舞う。

 楠木 服部と辻は共に陸軍幼年学校出身で、陸士、陸軍大学校を優等卒の俊才でした。服部の方が陸士は2期上ですね。

 保阪 2人が最初に問題を起こしたのはノモンハン事件です。関東軍作戦主任参謀だった服部は、作戦の積極拡大を作戦参謀の辻と共に主張したところ、ソ連軍の大規模攻勢により大打撃を被ってしまいます。しかし東條の機嫌を取るような報告をすることで、服部は一時閑職に移るも、すぐに栄転しました。

 辻も部下に責任を押し付けました。部下を査問した後、何も言わずにピストルを置いて部屋を出て行った。自殺の強要です。結果、辻も軽い処分で済んだのです。

 新浪 ノモンハンでは約8000人の兵士が亡くなっています。それでいて東條に気に入られているからと言って、責任を問われない組織はおかしいと思います。緩すぎますよね。

 保阪 1940年に服部は参謀本部作戦班長に就任します。さらにその服部によって、辻は1942年3月に参謀本部作戦課に呼び戻されるのです。同年夏からのガダルカナルの作戦では、戦死・餓死者約2万2000人という大損害を出してしまいます。服部は一旦東條の秘書官になりますが、不思議なことに10カ月でまた作戦課長となった。東條にとって服部は、相当使いやすい人間だったのでしょうね。

 川田 1944年のサイパンの守備作戦を計画したのが服部でした。彼は米軍の戦術や情報をまったく分析せずに、中国戦線での作戦をそのまま適用した。激戦の末、最終的に日本軍は全滅しました。約3万人の兵士が亡くなり、民間人の死者も約1万人だったと言います。

 その結果、東條が首相・陸相を辞め、服部はその後、作戦課長から外されました。

 山下 辻は各部署で厄介払いされている間に栄達してしまったと言われています。ノモンハンの後、支那派遣軍総司令部付になるのですが、そこでも波風を立てた。すると総参謀副長の本多政材(まさき)は、「台湾軍に出して、将来はまた参謀にするか」と台湾軍に行かせた。たらい回しにされている内に、また参謀になったというわけです。

 川田 彼は統制派というか、もろに東條派なので、どこへ飛ばされても東條が目を配っている。だから失敗しても必ず戻ってこられる。

 もう一つ指摘すべき点があります。彼は行った先の上官の行動調査をするんです。弱みを握って、脅すわけではないけれど、「知っているぞ」と匂わせる。だから巷間言われているように、部下に持ちたくない人になるわけです(笑)。

 保阪 辻はシンガポール華僑粛清事件の後、陸大の教官もしています。当時、陸大で学んでいた人から辻の試験問題を見せて貰って驚きました。すべて本土決戦を想定した問題だったんです。ある意味、勘の良い人ではあったのだとは思いますが。

 楠木 破滅型というか……自分が気持ちよくなれるなら、破滅してもいいやという印象も受けます。どこまでも自分本位の人だったのではないでしょうか。

責任逃れの本を出版

 保阪 服部は戦後、ガラッと生き方を変えました。

 楠木 服部は官僚のように出世第一で、そこまでは一つの生き方としてありだと思います。ただちょっと驚くほどの変わり身の早さです。

 新浪 確かに開戦時は、まだ40歳で作戦課長だったので東京裁判の訴追は逃れている。前線に出ていないのでBC級戦犯にも問われていない。責任を問われないポジションでしたが、対英米開戦派の中心人物ですよ。「責任」ということについて、しっかり考える必要があると思います。

 山下 まず、第一復員局の史実調査部長となり、その後、GHQ参謀第2部の部長チャールズ・ウィロビーの下で、復員してくる各軍の要員に聞き取り調査をして、太平洋戦争の戦史編纂を行っていましたね。マッカーサー最高司令官の意に沿う太平洋戦史づくりが目的でした。再軍備研究のための「服部機関」も作られます。

 楠木 いま、我々が振り返ってみても、この人、なんで戦後すぐにGHQに取り入ってこんなことが出来るんだろうと思ってしまいます。おそらく軍の同僚たちは、もっと憤っていたはずです。きっと彼は、それが平気な人なのだと思いますが。

 保阪 服部は旧軍の参謀を次々に呼び出して、戦況を聞き出します。私は、そのとき彼らは隠蔽工作などもしていたのではないかと疑っています。東京裁判の陸軍側被告に有利になる証拠や資料がないか、聞きまわっていたようですから。

 さらに1953年には、『大東亜戦争全史』を自分や元陸軍将校の名前で出します。しかし、ノモンハン事件での自分や辻の役割に一切触れないなど、典型的な責任逃れの本なんです。「歴史を舐めるな」と言ってやりたいですよ。

本記事の全文は「文藝春秋 電子版」に掲載されています( 大座談会 昭和陸軍に見る日本型エリート )。全文では、下記の6つのテーマについて議論しています。

(1)東條英機|トップに立ってはいけない根に持つタイプ
(2)永田鉄山と石原莞爾|突出した才能は組織では生き残れない
(3)山下奉文と武藤章|人事に翻弄された「亜流」の名コンビ
(4)今村、本間、栗林|旧制中学出身の非主流派は戦場で活躍する
(5)牟田口、服部、辻|威勢のよい行動派は自分本位なだけ
(6)陸軍の“失敗の本質”は人事にあり

(保阪 正康,川田 稔,山下 裕貴,新浪 剛史,楠木 建/文藝春秋 2023年12月号)

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