1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

「娘にだけは『早期発見』って嘘をつきました」下咽頭がんステージ4を宣告された見栄晴(57)が“死ぬよりも怖かったこと”とは

文春オンライン / 2024年8月31日 11時0分

「娘にだけは『早期発見』って嘘をつきました」下咽頭がんステージ4を宣告された見栄晴(57)が“死ぬよりも怖かったこと”とは

見栄晴さん ©文藝春秋 撮影・石川啓次

「本当ならこの取材もビール飲みながら受けたいんだけどね」

  今年1月にステージ4の下咽頭がんが発覚した見栄晴さん(57)は、そう言いながらアイスティーを片手に3時間半、病気の一部始終を鮮明にお話ししてくれた。 ステージ4の咽頭がんは5年生存率が50%以下と言われ、「末期がん」に分類される。

  発覚した同月末、自身がMCを務める競馬番組で公表し、3回の入退院を経て初期治療を終え、現在は経過観察をしながら番組にも復帰している。

「この日々が“走馬灯に出てくる”んじゃなくて、“相馬灯のように過ぎていった”感覚かな」と語る、怒涛のように過ぎ去った約3カ月の闘病生活のお話。(取材は5月末におこなった)

◆◆◆

検査をしたら先生の顔色が変わり「これはうちではちょっと……」

――今日は、同じご病気で悩まれてる方や見栄晴さんのファンに読んでいただくために、事細かにお伺いしてもいいでしょうか。

見栄晴 全然大丈夫ですよ。隠すくらいなら公表してないし。インスタグラムに癌の経緯を載せてたけど、そこに載せてないもっと大変なこともありましたから。

――ありがとうございます。まず、今年1月27日に『競馬予想TV!』で公表されましたが、実際はいつ、どんなタイミングで発覚したんですか?

見栄晴 最初に病院に行ったのは1月9日です。昔から紙タバコを吸ってたんだけど、去年IQOSに変えてから、なんか喉がチクチク痛いなと。魚の骨が刺さってるようなチクってする感じがあって、市販の薬を買いました。

――その痛みはIQOSを吸うタイミングで?

見栄晴 いや、吸ってないときも。昨年の11月、12月ぐらいから、 キンキンに冷えた生ビールを飲むと痛かったんですよ。でも、喉が慣れちゃうのか痛いのは1杯目だけなのでそのうち治るかなと。

 でも痛みがだんだん強くなって、痰が絡んだり声が枯れたりしてきて、全然治らなくて。「市販薬じゃダメなんだな……」と薬のせいにしつつ、でも他に異変はないから放っていたんです。

 年明けの8、9日に家族3人で日光へ旅行に行ったんですが、その帰りに地元の耳鼻科に行きました。そこで鼻から管を入れて検査をしたら、先生の顔色が変わって「これはうちではちょっと……」という感じで大きい病院を受診するように言われて。多分、先生は初見で癌ってわかってたんだけど、そこでは診断できないから断言せず、大きい病院を紹介してくれたんだと思います。

 説明を受けて帰ろうとしたとき、看護師さんが走ってきて「藤本さん、多分癌だと思うんで、そのことを伝えてすぐに予約を取ってください!」ってすごい強く言ってきたんです。

――癌という言葉を初めて聞いたのはそのときですか?

見栄晴 そう、看護師さんから。先生の表情で何か良くない病気の可能性があるんだろうなとは思ってたんですけど、言われたときはさすがに驚きました。それで家に帰ってすぐに連絡したら、たまたま次の日に予約が取れて。

 紹介先の大きな病院の耳鼻科の先生には、見た瞬間に「癌の可能性が大です」とはっきり言われました。その日にそのままあらゆる検査をされて、終わったら5時間くらい経っていましたね。

 そのとき、もし癌だった場合どうするかも尋ねてみたんです。そしたら、手術もしくは抗がん剤プラス放射線治療の2択だと。で、手術すると声帯を取らないといけないので、声が出なくなりますと。その時点で、手術の選択肢はないなと自分の中で決断しました。

――それはなぜでしょう?

見栄晴 今までずっと声を使って仕事をしてきた僕にとって、声が出なくなるってことは、仕事がなくなるってこと。高校生の娘と嫁もいるのに。

 なのでマスクを取って「実は僕、タレントをやってる見栄晴というんですけども……わかります?」って先生に言ったら、「いや、ごめんなさい、わかんない」って(笑)。だから僕の仕事を説明したうえで、声を失うと完全に仕事を失ってしまうっていうことを先生に伝えました。

――それほどまでに。

見栄晴 僕には声が大事ですって伝えたら、「ではその方針で進めましょう」とすぐに決まりました。ただ、まだその時点では癌と決まったわけじゃなくて、はっきりとした結果は約1週間後にわかる予定だったんですよね。

病院の予定表に「放射線科」の文字を見つけ「俺、癌なんだ」

――その約1週間の間に、疑惑のある病気については調べてましたか?

見栄晴 いや、一切調べなかったです。元々アナログな人間でパソコンとかも使えないから、先生に聞こうと思って。

 で、1週間後にまた病院に行きました。受付表を機械に入れるとその日の予定表が出てくるんですけど、9時に耳鼻咽喉科、その下に“放射線科”って書いてあったんですよ。それを見て、オチ先に言っちゃうんだ、って。

――放射線科の予約が入っているということは。

見栄晴 その時点で「俺、癌なんだ」って気付きました。そのあと、主治医とその上司の部長先生の2人と正式にお話をするんですけど、そこで「下咽頭がんのステージ4です」と言われました。それで、「治らない可能性もあるかもしれないけど、今までやったことない薬だろうがなんだろうが、僕のことを実験だと思ってなんでもしてください」って言いました。

――肝の据わり方がすごいです。

見栄晴 もうね、時間がないんですもん。次に放射線科へ行ったら僕の場合は治療の選択肢も決まってたので、そのあとすぐに放射線治療の話になり、進行が早い癌だからやることがどんどん出てきたんです。

 あと、最初の耳鼻科で看護師さんに「癌だと思う」と言われてたし、その後も先生にいい状態じゃないと言われてたから覚悟はできてました。

――それでも、実際「ステージ4」と宣告された瞬間は、どんな思いに?

見栄晴 そのときは、涙も何にも出てこなかったんですよ。自分がなんでこうなったのかとかを考えることもなければ、ステージ4と聞いても全然死ぬ気がしなかった。

――実際、ステージ4のレベルについては先生からどのように伝えられるものなんですか?

見栄晴 下咽頭がんはリンパに転移するとステージ4になることがあるから、ステージ4でもいろいろあるからと言われたんです。だから、先生から生存率とかこれからの生と死っていうことに関してはあんまり言われなかったような気がします。

「“仕事もできないのに生きてる”ことの怖さのほうが強かった」

――それもあって、死ぬ気がしなかった?

見栄晴 昔から自分の人生のことを、自分が主役のドラマだと考えてたんですよ。家族がいて、他の人もいて……。そのドラマの脚本として、主役の自分が死ぬことはまだないなって勝手に思ってたんです。

 むしろ逆に、“仕事もできないのに生きてる”ことの怖さのほうが強かったかもしれない。このあとどうなっちゃうのかまるでわからないじゃないですか。“生き地獄”って言葉があるけど、一歩間違えるとそうなっちゃうのかなと。だから死ぬこと以上に、生きることが怖かった。

――すごく不躾な質問ですが、「死にたいな」というのとは違うんですよね?

見栄晴 希望があるから「死にたいな」とは違うんですよね。仕事に復帰できれば、家族も含めて生き地獄を味わわなくて済むし、それが一番いいのは当たり前だからね。

 でも死んだら8歳のときに死んだ親父に会って「なんで早く死んじゃったんだ」って文句を言えるし、女手一つで育ててくれた大好きなお袋にも会えるから、逝くことへの怖さはなかった。

 それでも、自分がお袋に注がれてきた愛情を、自分も一人娘にしてあげたいとは思ってました。娘の成人式姿を見たいし、結婚するとこももちろん見てみたい。だから「死にたい」とも全く思ってませんでした。

「娘にだけは『早期発見だった』って嘘をつきました」

――娘さん、現在は17歳でしたよね。

見栄晴 うん、高校2年生です。成人するまであとちょっとなんで、そこまではっていうのもありました。

――病院で「ステージ4の癌」と言われたことを、ご家族にはどういうタイミングでお伝えされましたか?

見栄晴 検査が終わったのが14時ぐらいで、終わったら嫁から携帯に着信が来てたんですけど忙しくて気付かなかったんです。帰るときに電話して、嫁から「どうだった?」と聞かれて答える瞬間、初めて涙が出ました。

  ロビーから駐車場の精算に移動するまでのたった50mぐらいの間でしたけど、今でも覚えてる。やっぱりステージ4っていうのが自分の中でキツくて。嫁が泣いてるのもわかったし。(ノートを取り出して読みながら)「緊張してた」とも書いてあるから、たぶんそれが解けたんだと思います。

――それは日記帳ですか?

見栄晴 癌がわかってから、日々考えたことを書くようになりました。その日に癌かどうかがわかることは娘にも伝えてたんで、学校から帰ってきたらすぐに「どうだった?」って聞かれました。嫁にはステージ4だと伝えたんだけど、娘にだけは「早期発見だった」って嘘をつきました。嫁と相談して、癌とは言うけど進行度は言わないでおこうと。

――それはやはり心配させたくないという気持ちで。

見栄晴 そうです。僕は調べなかったけど、娘は心配してスマホで“喉の癌”でいっぱい調べちゃてたんですよ。だから、ステージ4の生存率がどうとかっていうのも多分見てるだろうと思って。早期発見って伝えたら娘は安心して泣かずに済んだから、それでよかったんだなと。

 それでもメディアでステージ4を公表する前には本人に伝えました。日記にも「こんなに娘に優しくされたことない」って書いてますね(笑)。

〈 “末期がん”を宣告された見栄晴(57)が味わった“最後のビール”と入院生活の意外なリアル「痛みはなかったけどツラかったのは…」 〉へ続く

(佐々木 笑)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください