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「癌になったときの『頑張れ』って…」下咽頭がんステージ4で入院した見栄晴(57)の考えが変わった“意外なワケ”

文春オンライン / 2024年8月31日 11時0分

「癌になったときの『頑張れ』って…」下咽頭がんステージ4で入院した見栄晴(57)の考えが変わった“意外なワケ”

〈 “末期がん”を宣告された見栄晴(57)が味わった“最後のビール”と入院生活の意外なリアル「痛みはなかったけどツラかったのは…」 〉から続く

 下咽頭がんのステージ4と宣告され、突然の検査・入院生活を送ることになった見栄晴さん(57)。

 副作用との対峙もありながら、計3回の入退院と通院で、現在は初期治療を終えている。

 闘病中に「頑張れ」という言葉への見方が変わったという、その真意は……。

◆◆◆

――入院中、体調は安定していたとのことでしたが、メンタル面はいかがでしたか? 落ち込んでしまう方も多いと思います。

見栄晴 大きく落ち込んだことはないけど、さすがにちょっとはありましたね。入院中は体力が落ちちゃうから室内で運動しようと思ってたけど、やる気が起きないとか、そういう細かいこと。

――何を考えることが多かったですか?

見栄晴 入院中はね、治すことしか考えてなかった。放射線を打ってるときも、心の中で「癌死ね、この野郎」って言ったりして。あ、入院中はずっと朝が来るのが楽しみでした。

――それは、生きているという実感からくるもの?

見栄晴 いや、太陽が昇ってからのほうが時間の流れが早く感じるんですよ。点滴やたくさん水分をとるように言われてトイレが頻繁だし、看護師さんが生存確認で1時間に1回まわってくるから敏感に起きちゃうのとで夜眠れなくて。それで朝も起きられなくなっちゃったんですよね。

「すごいすごい! すごく効いてる!」

――それでも2月12日には、予定通り1回目の入院から退院しています。

見栄晴 奥さんに「おかえり」って言われて、照れくさかったって日記に書いてある。今までは酒飲んで夜中にそっと帰ることが多かったから、「おかえり」なんて言われたことなかったんですよね。

  夕飯にグラタンをリクエストして作ってもらったんですけど、食べたときに味が薄く感じて「ちょっと味覚が落ちてるかも」って気がつきました。入院中も若干味が薄いとは思ってたんだけど、病院食だからかなぁと。でも、いつものグラタンを食べて薄く感じるってことは……って。

――1回目の入院では出なかった副作用が。

見栄晴 そうですね。でも退院翌日に診察があって病院に行ったら、放射線科の先生が喉の写真を見ながら「すごいすごい! すごく効いてる!」って手を叩いて大喜びしてくれて。それがすごく嬉しかったんですよね。

  多分あの喜んでくれている先生の顔って、僕の中で死ぬまで消えない。あのとき、この先生のためにも頑張ろうっていう気にもなったし、たった1週間だけど、やっぱりこの先生についてきてよかったって思えました。本当に包容力と明るさがある方でした。

  で、そのあと退院したから好きなもの食べに行こうと家族3人でお寿司に行ったら、今度はなんの味もしなかったんです。醤油の味もしなくて、食感しかない。穴子のタレの甘みと、娘に一口もらったアイスの甘味だけは少し感じたから、甘味だけ少し残ってるんだなって。人によって塩味だけ残ったり、いろんなパターンがあるらしいです。

――味覚障害は、コロナでも話題になりましたよね。

見栄晴 うん。僕は今回が初めてだったけど、コロナでなった人も本当に大変だったんだろうなって。ひとつ救いだったのは、 この時点で甘味がまだ感じられたこと。先生に味覚障害のことを話したら、「甘くてハイカロリーなものでもいいから食べて、とにかく体重だけは落とさないで」って言われました。味覚障害も、みんなが体重減っちゃう原因のひとつらしいから。

――インスタグラムでは、「五目あんかけそばは味を少し感じた」など、味覚障害時の食べ物事情も発信されていました。

見栄晴  味もだけど、食感が違うものとか、食べやすいものとか、とにかくいろいろ試しました。梅干しと「ごはんですよ」はなんとなくでも味がしたから助かったな。競馬番組のプロデューサーが喉にいいからって送ってくれた「マヌカハニー」とか、先生に栄養が取れるってオススメされたのは「アバンド」っていう水で割って飲む粉末とかも。先生のことは全信頼してたから、言われたものは全部試すようにしてたんだよね。

「一番怖さを感じたのは5月2日に治療の結果を聞きに行ったときかもしれない」

――その後も2回の入退院を経て、3月28日の退院で初期治療が終了。その後も病院へは通っているんですか?

見栄晴 検査などで行ってましたけど、一番怖さを感じたのは5月2日に治療の結果を聞きに行ったときかもしれない。今後同じ場所が再発したら、もう放射線治療はできないから手術で声帯を取るしかないと言われて、これは余計なこと聞いちゃったなって。でも、最後の放射線治療をした3月28日時点でそれを知らなくて良かったかもしれない。消えてるかどうかわからないまま治療を終えるのは、もっと怖かっただろうから。

――そうですよね。でも、初期治療が無事に終わって良かったです。

見栄晴 癌は治療から5年経過して再発しなければ治癒したことになるようで、現時点で「治った」とは言えないんだけど、とりあえず5月2日のCT検査の結果では、最初にできた癌は消えてて、他に転移もしてなかった。

  普段は無口な耳鼻科の先生が、CTの結果を伝えるとき微笑んでたんですよ。しょっちゅう会ってたから、言葉で聞くよりも表情でわかるんですよね。それに、先生が何を本気で言ってくれてるかっていうのもなんとなくわかる。でも、次回の検診が1ヶ月後って言われたときは、不安で「1ヶ月経たないと来ちゃダメですか?」って聞いちゃった。

――確かにいきなり1ヶ月も空くのは不安ですよね。

見栄晴 そうなんですよ、急に空くのが不安で。1ヶ月後の次はもっと間隔を空けていいって言われたんだけど、「そこも空けなくていいですか? 月に1回来ていいですか」聞いたら、いいですよって笑ってくれました(笑)。

 放射線科では、頻尿のこととか、CTで出た他の数値のこととか、癌以外の悩みも相談に乗ってもらって。最後に「次は3ヶ月後で」って言われて嫌がったら「来たがる患者さん珍しいですよ」って言われました。でもね、先生に会いたいの。

――先生方とのいい関係性が窺えます。師匠の萩本欽一が見栄晴さんについて「見栄晴は友達を作れるから芸がなくても生きていける」と話していたのも納得できます。

見栄晴 とにかく皆さんに感謝ですね。看護師さん含めて本当に全員いい方たちだった。入院先の若い看護師さんには、インスタ用の写真を撮ってもらうこともありました。もうお友達の気分っていうか、完全に命を預けてる存在。

 全部のことが初体験だから、中途半端に頭はデカくしないで、言われたことは全てこの先生たちに従おうと思って。先生がやれって言うこと、やるなって言うことが、いつの間にか自分の目標になってました。

  ただひとつだけ気になってるのが、 一番最初に「癌だと思う」って言ってくれた看護師さんに会えてないんですよ。家の近所の病院なんだけど、そんな患者さんいっぱいいるだろうからわざわざ行くのも迷惑かなと思って。

――その方が最初に知らせてくれたんですもんね。ちなみに早期発見が難しいご病気とも言われていますが、健康診断などは受けられてましたか?

見栄晴 市のざっくりしたものは毎年受けてました。でも、癌家系じゃなかったから癌を意識したことは今まで1回もなかったです。

「嫁はずっと気丈に振る舞ってくれてたんだけど…」

――CT検査で癌が消えていたときは、ご家族の方も安心されたかと思います。

見栄晴 そうですね。2日は嫁と、お茶や水で乾杯しました。家族にとっても、あっという間でわけのわからない時間だったと思います。それに俺があまりにも今普通に過ごしてるから、娘なんて俺が癌だったことをもう忘れてるんじゃないかな(笑)。今ではすっかり生意気な娘に戻りましたけど、入院前に、学校帰りに神社で自分の小遣いでお守りを買ってきてくれたこともありました。

  嫁はずっと気丈に振る舞ってくれてたんだけど、「1月8日の日光旅行に戻りたい」ってボソッと言ったことがあって、それを思い出すとちょっと涙が出そうになる。癌だってわかる前の、酒飲んでた俺がいて、家族3人で何も気にしないで過ごした温泉旅行に戻りたいっていうのが本音なんだろうなって。

――見栄晴さんは、お母様の介護も経験されていますよね。今回のことで、自分が介護される側になる可能性についても考えられましたか?

見栄晴 介護の大変さっていうのはわかってるんで、それは考えました。家族になるべく迷惑かけないために病室でスクワットとかしてたんだけど、大腸の手術後だけは先生にやめてくれって言われたな(笑)。でも終活みたいなことはしなかったです。

――ご家族にとっても、見栄晴さんにとっても、大変な時間でしたね。

見栄晴 何がツラかったかと聞かれると、わからないぐらいあっという間の出来事。それぐらい切羽詰まってたのかもしれないし、考える暇がなかったのかもしれないし。やることは少ないけども、とにかく治すことに一生懸命だったんですよね。

――治すことへの集中力が凄まじかった。

見栄晴 病気になった人って、原因を探りたかったり、納得するために「あのときこうしてたら」ってことをお医者さんに聞きたくなると思うんですよ。

  俺も、治療が始まるタイミングで耳鼻科の先生に「喉がチクチク痛かった最初の段階で先生のところに診察に来てたら、こうなってないですかね」って聞いたことがあったんです。そしたら、先生が何にも返事しなかったの。

  そのとき、「癌のステージ4になった人がそんな細かいこと聞いてどうすんだろう? 治療のことを一生懸命考えてくれてる先生に、なんて失礼なこと聞いちゃったんだろう」って気付いたんです。そこから、過去のことを振り返るのはやめて、前向きなことだけ考えようって思うようになりました。 

今までわからなかった「頑張れ」が、大好きな言葉に

――今後のことがわからない状況下でインスタグラムに近況報告を載せるのは、勇気がいることだったかと思います。

見栄晴 こんなにいろんな人が心配してくれてるんだから、何かを残さないといけないと思って、元々あんまり投稿してなかったんだけど、マネージャーと相談してなるべく投稿することにしました。「正直に全てを伝えたい」という想いが強かったです。もし余命宣告されていたら、それも書いてたと思う。

――「現実を受け止め受け入れて、笑顔で明日に向かって行きます」という一文も印象的でした。見栄晴さんのその明るさに安心した人も多いかと思います。

見栄晴 暗くなってもしょうがないっていうか、治すために起こる副作用とかは受け入れないと、治らないから。俺ですら嫌だったんだから、たとえば「髪の毛が抜ける」なんてことは女性はやっぱりツラいと思うんだけどね。

――コメントも読まれていましたか?

見栄晴 全部読みます。周りの反応を見た嫁が「私ならこんなにたくさんの人に心配してもらえないよ? あなたは幸せ者ね」って言ってくれたんですけど、本当にいろんな人が「頑張れ」と言ってくれて、その言葉の本当の意味がわかりました。

 芸能界にいると「頑張ってください」ってたまに言われるんだけど、あんまり意味が分かってなかった。でも癌になったときの「頑張れ」って本当にヒシヒシと伝わってきて、ものすごく効くんですよ。

  病院内でも、放射線治療を受けるときにすれ違う患者さんが「見栄晴くん、頑張ってよ!」って言ってくれて、「お互い頑張りましょう」って返したり。こんなに頑張れって言われるんなら、この人たちのためにも頑張って治そうって思えたんです。だから、「頑張れ」が好きな言葉になりました。

――ご病気の方への「頑張れ」は禁句のような風潮もあって、声掛けに悩む人も多いかと思います。

見栄晴 それは、「頑張れ」っていう言葉の意味がわかってない人に言うのが無意味ってことなんだと思う。僕の場合は頑張らないといけないことがわかってたから、言ってもらった「頑張れ」に、素直にありがとうございますって思えたのかな。

〈 「癌は治る。頑張れ。俺のドラマはダメだったけど(笑)」ステージ4のがんで入院した見栄晴(57)に届いた木梨憲武からの粋すぎる“メッセージ”「普段こんな真面目なことを言う人じゃないのに」 〉へ続く

(佐々木 笑)

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