1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. カルチャー

「連合艦隊の重大な事故だから、絶対に口外するな」…護衛戦闘機乗り唯一の生き残りが語った、山本五十六長官の死が発表されるまでの経緯

文春オンライン / 2024年8月15日 6時0分

「連合艦隊の重大な事故だから、絶対に口外するな」…護衛戦闘機乗り唯一の生き残りが語った、山本五十六長官の死が発表されるまでの経緯

柳谷飛行兵長が登場したゼロ戦32型機。ラバウル飛行場で

〈 「P38戦闘機が数10機、ズラーッと」…山本五十六長官機の護衛戦闘機乗りただ一人の生き残りが語った“絶望的な空戦状況” 〉から続く

「記録文学の巨匠」吉村昭氏は、戦史文学でも非常に優れた多くの作品を遺した。『戦艦武蔵』『帰艦セズ』『深海の使者』『総員起シ』などがその代表作だが、その圧倒的リアリティを支えたのは、氏がたった一人で行った太平洋戦争体験者への膨大な数の証言インタビューだった。

 その数多のテープ記録から、選りすぐり9人の証言を集めた『 戦史の証言者たち 』。本書から、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死、いわゆる「海軍甲事件」勃発時、長官機の護衛任務についた戦闘機隊のただ一人の生存者である柳谷謙治氏の証言の一部を紹介する。(全2回の第2回/ 前編 を読む)

◆ ◆ ◆

1機は黒煙を吐いてジャングルへ、もう1機は白煙を吐いて海上へ

吉村 最初見たときは、まだ撃ってなかったんですか。

柳谷 撃ってないです。まだ近づかないですから、回り込みの態勢だったんです。それで、私たちも急速に行動を起こしたわけですよ。それで、トップにきた敵機を撃退したのですが、後続機が一式陸攻を攻撃していましてね、多勢に無勢といいますか、どうすることもできないんです。敵機は、一式陸攻に目標を定めて突っ込んでくるんですから、必死でくるんですから、手に負えないんです。

吉村 こういうことはいえませんか。私もよく東京でB29の空襲を見ていたんですが、それを迎撃する日本の戦闘機が一撃して反転し、またB29を追うときは、たいへんな距離が開いている。

柳谷 開くんですよ。一撃して、もう一回向こうの飛行機をたたき落とすという態勢を整えるには、そうとうな時間がかかる。

吉村 護衛戦闘機がP38を追撃しているあいだに、ほかのP38が一式陸攻のほうへくっついちゃったという感じなんですね。

柳谷 そうなんです。そのうちに、P38を撃退して態勢を整えた時には、長官機か参謀機かわかりませんが、1機は黒煙を吐いてジャングルのほうに突っ込んでいくし、他の1機も白い煙を吐いて海上のほうへ……。

吉村 別々にですね。

柳谷 そうです。奇襲をうけたので2機が逆の方向へ分れたんです。2機一緒ですと、目標が集中してしまいますからね。海のほうへ1機が不時着、1機はジャングルに突っ込んでゆきました。海に不時着した機は、炎上はしませんでした。

吉村 水しぶきを上げて落ちるのが見えたんですか。

柳谷 そんな細かいところは見ていません。見ていませんけれども、態勢をたて直して見たときには、ジャングルに落ちた機から煙が上がっていました。

吉村 炎も上がっていたんですか。

柳谷 炎も少しみえましたね。煙は真っ黒で……。そんなことを見ている暇はなく、私はブインの飛行場へ直行しまして、飛行場の左のほうから突っ込んで行って、低空200メートルくらいで、緊急合図の射撃をバーッとしたわけですよ。緊急事態発生ということを知らせたわけです。基地でも気づいて、何かあったらしい、おかしいというので戦闘機が急上昇してきたわけです。私は、すぐに引返して敵機をとらえようとしたのですが、すでに退去したらしく一機も見えません。しかし、敵機はガダルカナルの基地にもどってゆくはずですから、それを追いかけたんです。どんどん高度をとって約30分追ってゆきましたらね、コロンバーラ島附近を、P38が単機で悠々と飛んでるんですよ。高度3500メートルで飛んでいる。向こうは気がつかないわけです。私はP38よりも1000メートルぐらい高度をとりましてね。一撃のもとに撃ったんですよ。命中しました。墜落はしませんでしたけれども、真っ白い燃料をスーッと吐いて、海のほうへ突っ込んでいきました。おそらく不時着したか、帰れなかったのではないでしょうか。それで機首を返して引返しましたが、私がブインの飛行場に下りたのは一番あとでした。岡崎(靖)二等飛行兵曹機はエンジン故障で、ショートランド島の近くのバレラ島飛行場に着陸していました。

吉村 5機が帰ったわけですね。

柳谷 そうです。米軍の公式記録によると、「ゼロ戦を2機撃墜した」と言っていますけれども、そのような事実はありません。

吉村 すると、柳谷さんたちの護衛戦闘機がP38を追い払っているうちに、他のP38が長官機と参謀長機を襲ったというわけですね。

柳谷 そうです、残念ですが……。飛行場におり立ったら、森崎中尉が基地の指揮官に報告していました。1機はジャングルに不時着し、炎上。1機は海上に不時着、これは大抵大丈夫じゃないか、ジャングルに突っ込んだ機に乗っていた者は多少けがをしたかもしらんけれども、戦死ということはないのではなかろうか……と。確認していませんが、希望的にですね。

隊の者はみな察知していた

吉村 みんな真っ青になっていましたか。

柳谷 非常に緊張していましたね。

吉村 柳谷さんは、それからラバウルへ引返したんですか。

柳谷 すぐには引返さず、訓辞を受けたり、たしか昼食もブインで食べたような気がする。しかし、何時に帰って来たかということは……。午後には間違いないんですが。

吉村 どんな訓辞があったんですか。

柳谷 訓辞というよりも、重大なことなのだから、一切他言するな、と。海軍だけではなくて全軍の士気に影響することも考えられるから、慎重な行動をとるようにという訓辞でした。

 それからラバウルに帰って来て、基地の司令官に報告したんです。

吉村 柳谷さんはラバウルに帰ってどこにおられたんですか。自分の宿舎に帰ったんですか。

柳谷 いえ、すぐには帰らずに、飛行場の指揮所でしばらく待っておれということで……。そこで司令から、連合艦隊の重大な事故だから、宿舎に帰っても絶対に口外するな、と。全軍の士気に影響することだから、何かこちらの指示があるまで絶対に口外してはいかん、と。その訓辞を受けて待機所幕舎に帰ったわけですけれども、言うなと命じられたものですから言えないです。隊の者が「どうしたんだ」と言うものですから、全然言わないわけにもいかんので、P38の襲撃を受けて長官機が不時着したけれども大丈夫だったという程度のことを口にしましたよ。

 しかし、隊の者は察知していましたね。不時着と言っても、落ちて炎上すれば、もう助かりませんし……。

吉村 話が前後しますが、ブインで不時着機を捜すという動きは、すぐにあったのでしょうか。

柳谷 偵察機が捜索しています。それからすぐに、陸海軍合同の捜索隊が向かっています。それは基地の指揮官が指揮してやっていることで、私たちにはわからないのですが、偵察に出たということは聞きました。その結果がどうなったかということは知りません。当時は、ほとんど何にもわかりませんでした。

吉村 その後、どうなさいました。

柳谷 20日に、また飛びました。

吉村 目的は?

柳谷 不時着機の捜索です。ブインとラバウルを往復しました。捜索は、奇襲を受けた私たちでないとわからんですから……。このときは宮野隊長が指揮官で、森崎中尉と私たちが行きました。

吉村 その後は?

柳谷 4月22日に、森崎中尉をはじめ護衛戦闘機隊の6名の者だけで、トラック島へゼロ戦を取りに行かせられました。九六式陸攻に乗りましてね。それでトラック島で、試飛行をやって、24日にゼロ戦をもらってそれを操縦してラバウルへ引返しました。

吉村 なぜ六名だけが、トラックに行ったんでしょう。

柳谷 ラバウルにわれわれがいると、なにかへたなおしゃべりでもされたら困るし、飛行機を取りにでもやらせろ、というわけなんでしょう。それに、悩んでいるわれわれの気分転換の意味もあったんだと思いますよ。

吉村 座をはずさせるというような……。

柳谷 そういうわけですね。いろいろ上層部の意志が働いていたかもしれませんね。

長官旗を立てた「武蔵」の艦橋に立っていたのは…

吉村 その後、いつ頃長官の戦死を知ったわけですか。

柳谷 約1カ月ぐらいたってから発表になりましたから……。その前に司令長官が、古賀峯一大将に交代になっていたんですね。その時は、むろん山本長官の戦死は知らなかったんですが、5月10日にトラックへ飛行機を取りに行った時、旗艦「武蔵」に長官旗が上がっているんですよ。それで「山本長官が生きていて帰って来ているんだ」ということになりましてね。そのうちに、司令長官が、艦橋に出ているのを基地の見張り員が双眼鏡で見たんです。が、どうも山本長官とは違うようだ、背が少し高く、体も大きい、と。山本長官とはちがう人が艦橋に立っていると、もっぱらの評判なんですよ。それで私は、山本長官は戦死し、代わりの長官が来たのかな、と思いましたよ。しかし、まだ発表がないですよね。発表は、それから10日ほどしてからでした。

吉村 その間、山本長官は生きているなんていう噂もありましたか。

柳谷 それが余り出ないんですよね、不思議なんです。デマもありましたけれども、生きているというようなことは聞かなかったですね。中には、原住民に助けられて今、山を下っているなんていう情報も、ちょっとはありましたが……。

吉村 柳谷さんたちは、責任を問われるということはなかったんですね。冷たい目で見られるとか。

柳谷 ありませんでした。

吉村 その後、護衛戦闘機隊の隊員の中には、戦死した方もいるんでしょうね。

柳谷 私以外は、全員戦死しました。毎日のように出撃ですから……。

吉村 これは一つの想像ですが、指揮官が、柳谷さんたちに死地を選ばせてやろうというような気持もあったんでしょうか。

柳谷 それは私たちにはわかりませんが、私たちとすると、基地にいるよりも戦闘に従事していたほうが気が楽なんですよ。

吉村 そういう心理になりますかね。

柳谷 基地にいて、長官の生死はどうなのか、責任問題は? とか、他の隊員になにも言ってはいけないんだとか、そんなことを思い悩んでいるよりも、飛んでいたほうがいいですから。我々としては、作戦に参加していたほうが気が紛れるわけですよ。そうしたこともあって、出撃の回数が比較的多くなったですね。

吉村 自分ですすんで、ということですか。

柳谷 いや、そうじゃありませんが……。

吉村 自然にそういうふうに命じられて、結局そのほうがよかったということですね。

柳谷 そうです。ですから、私の5月の戦闘記録をみても、出撃は20、23、24、25、26、28、29、30、1、2、3、4日――と連日ですよ。

吉村 何か責任を問われるんじゃないかという恐れというか、そういうような不安もありましたか。

柳谷 責任を問われるという不安より、責任問題を超越した戦争の深刻さと言いますか、それ以上の重い責任といいますか、やらなければならん、戦わなければならんという気持ですよ。何とか劣勢を立て直す。それにはわれわれがやらなければならんというような。

※注:吉村氏はこの証言を元に「海軍甲事件」(文春文庫『海軍乙事件』所収)を執筆した。

(吉村 昭/文春文庫)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください