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体中におできができて、指先は細菌感染…黒柳徹子が振り返る戦時中の窮乏生活《15粒の大豆が1日分の食糧だった》

文春オンライン / 2024年8月15日 6時0分

体中におできができて、指先は細菌感染…黒柳徹子が振り返る戦時中の窮乏生活《15粒の大豆が1日分の食糧だった》

黒柳徹子氏 撮影:下村一喜

父がヴァイオリニストであり、幼少期は比較的裕福な暮らしができていたと振り返る黒柳徹子さん。しかし、8歳で太平洋戦争が始まったことで、生活は次第に困窮していき、自身も栄養失調に苦しむようになる。

◆◆◆

「徹子の部屋」でのタモリさんの一言

 2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、「戦争」というものが、すぐそこまで近づいてきていると感じます。この年の12月末かしらね。「徹子の部屋」にタモリさんが出演してくださったの。

 覚えてらっしゃる方もいるんじゃないかしら。放送終了間際に、私が「来年はどんな年になりますかね?」と尋ねたところ、タモリさんはしばらくの間考えてから「新しい戦前になるんじゃないですかね」とお答えになったんです。

 そうよね、やっぱりこの人も、戦争は嫌いだものね、絶対に。「新しい戦前」と彼が言ったのを聞いて、そう思いました。昨今の穏やかではない社会をみて、そう表現したのでしょう。タモリさんはいつも面白いことを言って人を笑わせていますけど、それだけではない人。心の中ではきっと、戦争は絶対にしてはならないと思っていますよ。

 もしあの時、タモリさんに対して私がなにか返すとしたら……「やあねッ」って答えたいわ。新しい戦前――そうよね、「やあねッ」って。その一言だけで、タモリさんには十分伝わるんじゃないかしら。

 タモリさんが「新しい戦前」と表現した2023年も、8月15日に78回目の終戦の日を迎えます。今年、わたくしの戦争体験を綴った絵本『トットちゃんの15つぶのだいず』(講談社)を監修しました。「今のうちに話しておかなければ」と思っていたことを、素晴らしい絵本でお届けすることができました。

 イラストを担当した松本春野さんは『窓ぎわのトットちゃん』で挿絵をお借りした、いわさきちひろさんのお孫さん。素敵なご縁を感じています。

 絵本のタイトルにもなっている「15つぶのだいず」。これは、小学生だった私が戦時中に与えられた、1日分の食糧でした。

ひもじかった戦時中

 東京・乃木坂で生まれ、新交響楽団(現NHK交響楽団)のヴァイオリニストだった父の下で育った私は、戦前は不自由ない食事ができていました。そんな家庭ですら、戦争が始まるとあっという間にモノは消え、お金があっても食糧が手に入らない状況に陥りました。

 朝、母が「上手く按配して食べなさいね」って、煎った15粒の大豆を渡してくれるの。ぽりぽり食べるとすごくおいしくてね。「食べたらお水をたくさん飲むのよ」とも言われました。小さい子どもがお豆を食べて、お水をいっぱい飲むのよと言われて。ちゃんと飲まなきゃと思って一生懸命お水を飲んで、お腹を膨らませようとする……やはりこれが「戦争」なんだなと思います。

 朝からちょっとずつ食べていって、残りの大豆は何粒だろうと、電車で数えながら学校に向かったりしてね。日中、空襲警報が鳴るたびに校庭の防空壕に入るんですが、そのなかでも大豆を食べながら、空襲が終わるのを待っていました。

 母には「途中で全部食べちゃったら、家に帰ってきても何もないのよ」と言われたのを覚えています。だから家で食べる分の大豆を残さないといけないけど、空襲で死んでしまったら無駄になる。でも、全部食べて死ななかったら、夜食べる大豆がなくてお腹が減っちゃう……防空壕のなかでは、そんなことを考えながら過ごしていたものです。

 空襲警報が鳴り止むと、学校から帰って良いですよって言われてね。それで帰って、家が焼けずに残っていると、毎回「あぁ、よかった」と安心するの。今考えると不思議な気がしますよね。あんな危険な時にどうして学校に行かせたのかしら。あの年齢のうちに勉強しておかないといけないのは分かるけど、食べものがろくにないわけでしょう。勉強したって大して頭の中には入ってなかった。母も「大丈夫かしら」と心配しながら、食糧がなんとか手に入らないか考えながら家で待ってたり、父は父で仕事から急いで帰ってきたり。家族みんなが、家が焼けていないか、死んでいないだろうかとびくびくしながら生きてるわけだから、本当に……なんて言うんでしょうね。まぁ、最悪よね。

 それでも、大豆があったときはまだ良いほう。次第に大豆すらも手に入らなくなってね。海藻麺というものが配給されるようになりますが、これがほんとうに美味しくなかったのよ。海に打ち上げられた海藻を粉にして、麺状にした食糧なんですが、お湯で茹でて、お醤油もお塩もないから、そのまま何もつけないで食べる。味もなければ栄養も全くなくて。そんな食事が続くから、戦況がひどくなるころには栄養失調に陥っていました。体中に「おでき」ができて、指先は「瘭疽(ひょうそ)」といって、細菌感染で炎症を起こしていた。ひどくなると膿んで、ズキンズキンと痛むんです。

 お腹は空くし、昼夜問わず鳴り響く空襲警報で眠ることもできない。おまけに冬の寒さが厳しい時は、「寒いし眠いしお腹が空いた」と、しょっちゅう口にしていました。

本記事の全文は「 文藝春秋 電子版 」に掲載されています(「 『新しい戦前』なんて嫌ねッ 」)。全文では、下記のテーマについて黒柳さんが語っています。https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h6835

 

●スルメ欲しさの戦争責任
●父が弾かなかった軍歌
●テレビの可能性を知った日
●三波春夫さんの戦争体験
●平和活動はテレビ以外にも
●あっという間に戦争は始まる

(黒柳 徹子 2023年9月号)

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