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「ネットが社会に広がった以降の匿名性を表現できるんじゃないか」永瀬正敏(58)が主演映画『箱男』に込めた“27年越しの情熱”

文春オンライン / 2024年8月23日 6時0分

「ネットが社会に広がった以降の匿名性を表現できるんじゃないか」永瀬正敏(58)が主演映画『箱男』に込めた“27年越しの情熱”

©撮影 杉山拓也/文藝春秋

 映画『箱男』(8月23日公開)に主演する永瀬正敏は、この作品に並々ならぬ思いがあるという。公開を直前に控えた今、胸に秘め続けたことを明かした。

◆◆◆

箱の中にこもって「わたし」の眼を撮り続けた

 カメラマンの「わたし」は、膝まである段ボール箱をすっぽりかぶり、わずかに開けられた四角い穴から都市を見つめて、さまよっている。段ボールなので、一見ゴミのように見えて、周りから意識されることはない。こうして社会の枠から外れた彼は、覗いた世界を写真と文章で記録し、妄想をノートに書きつけ、優越感に浸る。すべての存在証明を捨て、完全な匿名性を手に入れた、人間が望む最終形態が「箱男」なのだ、と──。

 そんな石井岳龍監督の『箱男』は、1973年に世界的な前衛作家・安部公房が発表した小説だ。石井は安部から直接映画化を許諾され、ドイツとの合作映画として、27年前にクランクイン直前までこぎつけていた。主演は永瀬正敏に決まった。永瀬は言う。

「石井監督は僕の若いころからのスター監督で、作品もすべて観ていたので、とてもうれしかったですね」

 オファーを受けた永瀬は、まず「わたし」の眼にこだわった。劇中、当然ながら「わたし」は多くの場面で箱をかぶっている。

「ただ、覗き窓から見える『わたし』の眼、この眼の芝居がどうもうまくいかなかったんです。ロケ地のハンブルクへ行ってからも、美術さんから箱を借りてホテルの自室に持ち込んで、トイレやシャワー以外はずっと閉じこもっていました。部屋のドアも開けっぱなしにしていたので、たまにスタッフさんが覗いては、心配していましたね(笑)」

 永瀬は箱から覗く自分の眼を、ポラロイドで撮り続けた。

「毎日その写真を監督に見せて『いや、違うな』『もうちょっとだな』なんて話をしていました。すると、クランクインの前日に、やっと自分でも納得する『わたし』の眼ができたんです。監督にも『これだよ!』と言ってもらえて……」

27年間、僕の中には「わたし」がいた

 こうして、準備万端で翌日のクランクインを迎えた、はずだった。

「衣装も着替えて、ロケバスに乗るためにホテルのロビーに全員集合していたんです。そうしたらプロデューサーさんに監督が呼ばれて、『なんだろうね』なんて話をしていたんですよ」

 どれくらい過ぎたか、永瀬は何気なく窓の外を見た。そこには石井監督がどこかへ歩いてゆく姿があった。

「監督は僕たちのほうへ降りてくるのではなく、裏からロビーのガラス越しの前の道を歩いて行かれた。肩を落とすわけでもなく、前を見てまっすぐ歩かれているんですけど、その後ろ姿が何とも言えない感覚があって。するとプロデューサーさんが僕らの前に来て『この映画は今日で中止にします』と言われたんですよ」

 このときの石井監督の姿を、永瀬は「一生忘れられない」と話す。

「それからお目にかかるたびに、監督は『あきらめていない』とおっしゃっていた。なので、僕のなかには、あのときからずっと『箱男』がいたんです」

 だから、27年越しに「わたし」を演じることが決まっても、すんなりとクランクインできた。

「今回、箱を前に演出している石井監督を見て、グッとくるものがありましたね。僕も正直、ファーストカットを撮ったときには、今までにないような、なんともいえない感情になりました」

自分のなかの「わたし」像を、できるかぎりゼロにして

 真の箱男となるべく生きる「わたし」を誘惑してくる謎の女性・葉子(白本彩奈)、箱男を利用しようとする軍医(佐藤浩市)、さらには軍医と奇妙な依存関係にあるニセ医者(浅野忠信)たちの思惑がからみあうなかで、物語は混沌としはじめる。

「これは原作のすごさでもあるんですが、『箱男』は主観がずれていく物語なんです。話が進むうちに、どんどん誰の主観で語られているのかわからなくなっていく」

 そして「わたし」同様に箱男という存在に魅せられたニセ医者は、箱男の行動をトレースし、自ら箱をかぶって「この街に箱男はふたりいらない!」と「わたし」と対決する。なんと、箱男たちがうめき、走り、闘うのだ。

「そもそも、僕も箱男があんな動きをするなんて考えていませんでした。街の景色の一部として箱のなかから見ている『わたし』が、どんな動き方をして行動を起こすのか。石が当たったときの振り向き方や、眼の動き、動作のスピード感といった動きについては、監督といろいろ話をしました。とくに浅野くんと争う場面は、シミュレーションしきれない部分がありました。現場にいってみないとわからない(笑)」

 本作に当たって、永瀬のなかにはどういった演技プランがあったのだろうか。

「そうですね……そもそも最近はあまりプランニングしないんですよ(笑)。いや、もちろん役者として、今回はとくに27年間の思いがありますから、自分のなかに『わたし』像はあるんです。でも、それだけ持っていっても、楽しくならない気がしていて」

 その言葉には、役者・永瀬正敏の映画づくりへの考え方が見て取れる。

「映画の現場は、監督や照明さん、衣装さん、役者といった参加するそれぞれの人たちが持つ世界があって、みんな一緒にひとつの銀河のようなものを作っている感覚なんです。僕はその銀河の中で動いたほうが画面が面白くなると思う。だから、自分の考えをできるかぎりゼロというか、フラットな感覚にして現場へ向かうようにしているんですよね」

自分の150%を出さないと、石井岳龍の世界には近づけない

 その感覚は、本作においても同じだった。たとえば、ニセ医者役の浅野忠信とのスリリングな演技についても、こう語る。

「撮影の合間に浅野くんと話をするのは、役柄の話ではなく、くだらない話ばかり(笑)。彼の演技を先に知ってしまうより、一緒にカメラの前に立ってみて『そうきたか!』と対峙するほうが面白いんですよ」

 現場の空気から、演技が生まれる。それは石井岳龍監督の作品であることも大きいだろう。

「それは浅野くんと話していて一致するんですが、石井監督の現場は自分のなかで考え得る100%を現場で出してもダメなんです。120、いや150%を出さないといけない。自分の想像以上のものを出さなければ、監督の世界になかなか近づけないですから」

 そう言って、永瀬は石井監督の『蜜のあわれ』(16年)での思い出を語る。永瀬は、少女に姿を変える金魚と老作家の関係を見つめる金魚売りの役である。

「最初に現場へ入った日、監督が僕にひとこと『今回は仏様の役なんだよね』と言うんです。一瞬『えっ?』となりますよね。この自分の考えを超えたひとことが、芝居のスタートラインになるので、自分の想像が100だとしたら、役者はそれを超える150%を出さなければならない。だから、必然的に現場全体の熱量が高まるんですよね。今回の『わたし』も、ニセ医者も、軍医も、葉子も、少なくとも役者の想像以上のものが引き出されているのは、そういう力がはたらいているからだと思います」

現代だからこそ体感できるリアリティ

『箱男』の原作は、前衛作家と呼ばれた安部公房のなかでも、実に先鋭的な作品である。新聞記事や独白、詩などが断片的に入り乱れ、写真が8枚挿入されている。

 本作のオープニングにも登場するこの写真は、写真家の一面も持つ安部が撮影したものだ。永瀬は、本作の撮影前に1冊にまとめられた安部の写真を見たという。

「安部さんの視点を頭にたたき込もうと思って見ていると、独特のアングルなんですよね。街並みの写真でも、トイレの写真でも、普通のカメラマンが考えるよりも下から覗くような感覚と言えばいいんでしょうか。ひょっとして、安部さん自身が箱男だったんじゃないか……なんて思うくらい」

 永瀬もカメラマンとしての一面を持つ。永瀬の演じる役柄は、原作では30代のカメラマンという設定。27年前はちょうど同じ世代であったが……。

「監督は、今回の『わたし』は原作が書かれたころに生まれた男にしようと、年表を作って説明してくれました。僕の実年齢で演じていいんだと安心したのと同時に、匿名性というひとつのテーマをうまく表現できるんじゃないかと思いました。インターネットが社会に広がって以降の匿名性を」

 社会からちょっと外れて、箱をかぶって匿名性をまとえば、年齢も地域も超越できる。そして小窓から社会をのぞき、ひとりの観察者としてふるまう自由を得る──安部公房の『箱男』を今読むと、現代社会を予見していたかのような物語であることがわかる。

「今回、この企画がついに始動することになって、石井監督が『箱男ののぞき穴と、スマホの画面のかたちと大きさがほぼ一緒なんだ』というような話をされたんですよ。そのとき、ふたつのすごみを感じたんですよね。ひとつは、安部さんが50年以上前に書いた小説がリアルに感じられる社会になっていること。もうひとつは、石井監督がこの『箱男』のメッセージをどう映画化するかを、ずっと考え続けていたことです」

 映画『箱男』が与えてくれる奇妙なリアリティは、そのふたつのすごみのうえに成り立っている。

ながせ・まさとし

 1966年宮崎県生まれ。相米慎二監督の『ションベン・ライダー』(83年)で映画デビュー。ジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』(89年)の主演で世界的な注目を浴び、カンヌ国際映画祭ではアジア人俳優として初めて『あん』(15年)『パターソン』(16年)『光』(17年)と3年連続で公式選出。写真家・ミュージシャンとしても活動を行う。

『箱男』

 監督:石井岳龍/原作:安部公房「箱男」(新潮文庫刊)/脚本:いながききよたか、石井岳龍/出演:永瀬正敏、浅野忠信、白本彩奈、佐藤浩市ほか/配給:ハピネットファントム・スタジオ/2024年8月23日より、全国ロードショー ©2024 The Box Man Film Partners

撮影
杉山拓也 文藝春秋

ヘアメイク
勇見 勝彦(THYMON Inc.)
KATSUHIKO YUHMI

スタイリング
渡辺康裕

衣装協力
Yohji Yamamoto/ヨウジヤマモト プレスルーム 03-5463-1500

(一角 二朗/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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