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「おまえの妹を俺に差し出せ」性犯罪者のDV男を「運命の相手」と勘違いしてしまった女性の末路

文春オンライン / 2024年8月17日 17時0分

「おまえの妹を俺に差し出せ」性犯罪者のDV男を「運命の相手」と勘違いしてしまった女性の末路

なぜ彼女はDV男に妹まで差し出したのか? 写真はイメージ ©getty

「運命の相手」と思った相手は、性犯罪を繰り返すDV男…。罪のない少女3人を殺害した、カナダ人夫婦。なぜ妻は夫の残忍な犯行に協力したのか? なぜ実の妹まで夫に差し出したのか? そこに至るまでの背景を、新刊 『世界の殺人カップル』 (鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編を読む )

◆◆◆

「この恨みは一生忘れないからな」

 1991年6月29日、カナダ・オンタリオ州南西部のナイアガラ・オン・ザ・レイクの歴史ある教会で一組のカップルが結婚式を挙げていた。新郎ポール・ベルナルド(当時26歳)と新婦カーラ・ホモルカ(同21歳)。約150人の参列者はカーラの美しい姿に息を飲み、誰もが2人を祝福していた。馬車から降りるカーラの右腕を支えるポール。その刹那、下を向いたカーラの眉間に皺がよる。

 昨日、ポールに殴られた右腕の裏側に痛みを覚えたのだ。そんな彼女の耳元でポールが誰にも聞こえないよう、「この恨みは一生忘れないからな」と囁く。カーラの両親が挙式の費用を出し惜しんだことへの嫌味だった。傍からは幸せの絶頂にしか見えない2人はこのとき、実は地獄への道を突き進んでいた。半年前にカーラの実妹を強姦・死に致らしめ、さらにほんの2週間前にも14歳の少女をレイプ、殺害していたのだ。

 犯行はポールが主導し、彼に精神的にも肉体的にも支配されていたカーラが積極的に協力していた。いったい、2人の間に何があったのか。

 ポールは1964年、オンタリオ州トロントのスカーバローで3人兄姉の末っ子として生まれた。父ゲネスは公認会計士で、母マリリンは主婦業の傍らガールスカウトの指導員として活動、家庭は裕福だった。が、父ゲネスは男尊女卑の典型のような人物で、事あるごとに妻を殴ったばかりか、自分の娘(ポールの姉)にも性的虐待を働いていた。ポール自身が虐待を受けたことは少なかったものの、実は彼はゲネスの実子ではなかった。ゲネスのDVやモラハラに悩んだマリリンが昔の男友だちに救いを求めたうえに肉体関係を結び、結果できた子供がポールだった。

 本人がその事実を母から聞かされたのは16歳のとき。あまりに衝撃的な内容にポールは大きなショックを受け、母に「この淫売女!」と当たり散らし、やがて軽蔑していた父と同じように女性を蔑視する、傲慢で高圧的な人間へと変わっていく。

 高校を卒業した1982年にトロント・スカーバロー大学に入学。友人たちとナンパに勤む。イケメンだったポールの成功率は高く次々に女性が落ちたが、彼女らに接する態度は異常だった。デートの最中に公衆の面前で相手を罵倒したり、いきなりアナルセックスを望んだり、1986年にはわいせつな電話をかけまくり2人の女性から接近禁止命令を受けている。

 そして1987年、彼の異常行動は一線を越える。

「スカーバローのレイピスト」

 当時ポールは公認会計士の事務所でアルバイトをしていたのだが、抑えきれない暴力的な性欲を満たすため、同年5月、仕事帰りに21歳の女性を尾行し彼女の自宅前で強姦したのを皮切りに、1989年12月までの2年7ヶ月の間にスカーバロー周辺で15歳から22歳までの女性に対し、未遂も含め少なくとも10件の強姦を働いた。周辺一帯は「スカーバローのレイピスト」として犯人を恐れ、トロント警察も逮捕にやっきになってモンタージュ写真を作成した他、1990年5月から9月にかけて130人以上の男性からDNAを採取。同年11月にはこれに協力したポールからも事情を聞いているが、彼を真犯人と特定するまでには至らなかった。

 一方、カーラは1970年、オンタリオ州郊外の工業地帯であるポート・クレディットで生まれた。当時のチェコスロバキアからの亡命者である父の収入は低く、一家は次女ローガン(1971年生)、三女タミー(1975年生)とともに街の外れにあるトレーラーハウスでの生活を余儀なくされた。もっとも、父親が街のショッピングモールで絵画を販売するようになると皮肉にも一家の暮らしは安定し、やがて一戸建ての家に転居する。1986年、地元の高校に入学すると、カーラは美しいルックス、気立ての良さ、目を見張るファッションセンスで、学校一の人気者だった。友だちが蜘蛛や蝿を叩き潰そうとしただけで命の大切さを真剣に説き、心の優しさは教師も称賛するほどだった。

 その一方、彼女は幼少期の貧しい暮らしの影響か、結婚相手は裕福な男性と心に誓っており、同じような価値観を持った友人らと1987年に「ダイヤモンド・クラブ」というサークルに所属。そこに友人の紹介で入会してきたのがポールだった。

 前記のように、当時ポールは連続強姦事件を開始する前後だった。が、もちろん、裏の顔はおくびにも出さず、単なる事務員ながら堂々と公認会計士を名乗り、極めて紳士的に振る舞った。そんな彼にカーラは一瞬で恋に落ちる。この人こそが自分が探していた理想の相手。自分に夢中になるカーラに、ポールも好意を抱き、ほどなく2人は恋人同士の関係となる。これが破滅の始まりだった。

「おまえの妹を俺に差し出せ」

 ポールはカーラの気持ちを弄ぶように、徐々に彼女の心を支配していく。動物好きなカーラが獣医を目指し働いていた動物病院でのアルバイト代は全てポールとのデート代に消え、ポールの気分しだいで所構わずセックスを強いられた。やがて暴力も日常茶飯事となり、付き合って3年も経つとポールはすっかりカーラに飽きてしまう。そして、1990年12月初旬、ポールはカーラに信じられない言葉を口にする。

「おまえは俺が初めての男じゃなかった。ふざけるな。その責任を取るため、まだ汚れていないおまえの妹タミーを俺に差し出せ」

 カーラの衝撃は大きかった。タミーは幼いころから可愛がっている大切な妹。そんな彼女をポールに抱かせるなどありえない。しかし、当時のカーラは完全にポールに依存しており、1日の大半を彼の機嫌を取るために費やす、言わば奴隷と主人のような関係に陥っていた。さらには、数ヶ月前からポールが自分に女性としての興味を失っていることも不安だった。ポールに捨てられたくない。ポールの心を繋ぎ止めておくには、彼の命令に従うよりない。正常な判断能力を失っていたカーラは戸惑いながらも、踏み越えてはいけない一線を越える覚悟を固める。

 ちなみに、このころ、ポールは勤務していた会計事務所を辞め、アメリカからの酒や煙草の密輸で生計を立てていた。同年12月24日、当時15歳のタミーは今晩自宅で行われるクリスマスパーティーを楽しみにしていた。社交的で美貌も兼ね備えた彼女はこの日、学校が終わると母親へのプレゼントを買い帰宅する。ほどなく、ポールが訪問しパーティーが始まり、一段落したところで、カーラがポールとタミーを誘い、3人で地下室で映画を観始めた。ここで、カーラはタミーの飲み物に薬物を混入する。

 せめて眠っている間にポールに抱かれてほしいと、事前にバイト先の動物病院から鎮静剤と麻酔薬を調達したのはカーラの発案だった。

 すぐにタミーは意識を失い、それを待っていたかのようにポールがビデオカメラに三脚をセットし始める。

 続いてカーラにタミーと交わるよう指示を出し、行為が始まるとポール自らもプレイに参加。このとき1階のリビングでは両親と、真ん中の妹ローガンが何も知らずパーティーの余韻を楽しんでいた。と、突然タミーが覚醒し、嘔吐し始めた。必死に妹の背中をさすり介抱するカーラ。せっかくの楽しみを邪魔され憮然とするポール。事態はすぐに両親にも伝わり、タミーは病院へと救急搬送されるが、翌日に息を引き取る。

 死因は嘔吐物を喉に詰まらせた窒息死と断定され、遺体の解剖は行われなかった。こうして犯罪の発覚を免れたポールとカーラは、タミーの死によりその絆をより固くし、同時にもはや後戻りができないことを悟る。

〈 「このままでは自分が殺される」性犯罪者のDV男を「運命の相手」と勘違い→殺人の共犯者になってしまった“女性のその後” 〉へ続く

(鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載))

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