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《能登地震のあとに》伝説の五輪女子ウェイトリフティング元監督が珠洲で育てる次世代オリンピアン《飯田高校、崖っぷちからの快進撃》

文春オンライン / 2024年8月9日 6時0分

《能登地震のあとに》伝説の五輪女子ウェイトリフティング元監督が珠洲で育てる次世代オリンピアン《飯田高校、崖っぷちからの快進撃》

石川県立飯田高校(学校HPより)

「子供たちには『崖っぷちに立たされた時こそ、力を出すんだぞ』と言って接してきました。いろんな方々の応援、支援をいただいてここまで来ることができた。彼らも『俺たちがやらなきゃどうする!』と、全員が自負を持って試合に臨んでくれました」

 石川県立飯田高校ウエイトリフティング部監督の浅田久美さん(61)は、終えたばかりの全国高校総体(インターハイ)をそう振り返った。

 長崎県諫早市で8月1日から5日にかけて行われたウエイトリフティング競技。同校3年の山下由起くん(89キロ級)は「スナッチ」「クリーン&ジャーク」でともに大会新記録を更新し、インターハイ2連覇を達成。学校対抗の団体戦では、飯田高校が準優勝に輝いた。

「団体戦は、出場した5人全員が得点(各階級の8位入賞以上にポイント)を獲得しました。1点でも欠けたら準優勝はなかった。全員が得点したことに意義があるし、そこを評価してあげたい」(同前)

◇◇◇

地震の甚大な被害を受けた、珠洲市の飯田高校

 飯田高校は能登半島先端の珠洲市にある。今年元日の能登半島地震では、街全域が甚大な被害を受けた。

 昨年末、浅田さんは、ウエイトリフティング部のコーチで夫の浩伸さん(53)と、自身の故郷・岩手県釜石市に帰省。車で釜石から珠洲へ戻る道中、能登半島地震の緊急速報が飛び込んだ。13年前、浅田さんは東日本大震災の大津波で親族2人を亡くしている。無事を願いながら、高校や市内の教え子たちに連絡を取り続けた。

 物資を買い込んだ車で寝泊まりしつつ、石川県金沢市に到達したのは1月3日。連絡がついた珠洲市内の知人は、浅田さんにこう告げた。

「街だけでなく道路がズタズタ。命が惜しかったら、夜こっちに向かっちゃダメ」

 その翌日、浅田さん夫妻は悪路を乗り越え、珠洲市に辿り着く。自宅は倒壊を免れていたが、屋根瓦が落ち、家の中はグチャグチャになっていた。幸い、義父母や教え子たちの無事は確認できたが――。

「しばらくは余震が怖くて、夜は車中泊をしていました。珠洲の街は変わり果ててしまっていて、部員の中にも、家が潰れた子、身内を亡くした子がいました。練習で使っていた市のウエイトリフティング場は無事だったんですが、当面は災害支援に来てくれた福井県職員の待機場所になりました」(浅田さん)

珠洲市へ移住した女子ウエイトリフティング界のレジェンド

 浅田さんは、女子ウエイトリフティング界のレジェンド的な存在だ。大学までは陸上競技の砲丸投げ選手だったが、埼玉栄高校の体育教諭になっていた1987年、重量挙げ選手に転向。日本選手権で12連覇を含む優勝13回、世界選手権では90年代に3大会連続銀メダルと、輝かしい実績を残してきた。

 しかし、女子ウエイトリフティングが五輪種目となった2000年は、すでに現役の晩年。選手として五輪出場を果たすことはできなかったが、04年アテネ、08年北京と、同競技の女子日本代表監督を務めている。

 08年暮れ、男子ウエイトリフティングの元全日本選手権覇者でもある浩伸さんとの結婚を機に、彼の故郷である珠洲市に移住。2012年、浅田さんは小学生からウエイトリフティングを体験できる「スズドリームクラブ」を珠洲市に立ち上げた。能登出身で元日本代表監督の菊田三代治さんが初代監督を務めた飯田高校ウエイトリフティング部の指導者も引き継ぐと、国内トップクラスの選手を輩出し続け、現在に至る。

再起のきっかけは、1枚の写真

 毎年3月に金沢市で全国高校選抜大会が開催される石川県は、ウエイトリフティングの聖地でもある。今年も飯田高校からは4選手の出場が当確だったが、

「被災した子供たちは親類宅や珠洲を離れた二次避難所に身を寄せていました。珠洲には大変な思いをしている人たちがたくさんいて、そんな中、選抜に向けて練習を再開してよいものか、彼らをどうやって支えたらいいのか、思い悩む日々が続きました」(同前)

 再起のきっかけは、1枚の写真だった。

「1月中旬頃だったと思います。地震のあった元日以来、初めてシャワーを使うことができて感謝しているお母さんと小さい娘さんの写真が、新聞に載っていました。避難所にテント型のシャワー室を設置したのは、岩手県北上市の『北良』という(医療用ガス販売)会社でした。私も岩手県出身でしたし、ありがたくて電話をかけたんです」(同前)

 その縁から、浅田さんは1月、被災地支援を続ける北良社長の笠井健さんと珠洲市内で対面。ウエイトリフティング部が置かれている状況を伝えると、笠井さんはクラウドファンディングによる支援を買って出てくれたのだ。

「子供たちは金沢市と津幡町に分かれて避難をしていましたが、クラウドファンディングで集まった支援金のお陰で、2月に3度、3月に1度、県外で合宿することができた。2月12日に金沢組が珠洲に戻ると、平日は野球部の更衣室を間借りして練習させてもらい、3月5日からは、市のウエイトリフティング場もまた使えるようになりました」(同前)

飯田高校ウエイトリフティング部の快進撃

 3月24日に始まった全国高校選抜大会。飯田高校からは4人の選手が出場した。前出のエース・山下くんは自己新記録を出して優勝。同学年の濱野絢也くんと池本創くんが3位、キャプテンの干場勇旺くんが8位と、各階級で4人全員が入賞を果たす。

「苦しい3カ月でしたが、多くの方が支えてくださったのは、本当にありがたかったです。3月の選抜で結果を出すことで、自分も頑張ろうと思ってくれる被災者が100人に1人でもいれば……と、1人1人がそんな気持ちで競技と向き合ってきました」(同前)

 まだ復興の見通しすらつかないまま迎えた新学期、飯田高校に入学した新入生は、昨年の半分に過ぎない51名。それでも、中から3人の生徒がウエイトリフティング部の門を叩いた。

 以後も、飯田高校ウエイトリフティング部の快進撃は続いた。今年6月、県高校総体で基準記録をクリアした上位入賞者7人が、北信越高校体育大会に出場。山下くん、2年生の橋本侑大くんら飯田高校の選手は5階級を制覇し、学校対抗の団体戦でも初優勝を果たしたのである。そして今夏のインターハイも好成績に終え、秋には国体が控える。

最高の舞台オリンピックへ

 かたや、開催中のパリ五輪。ウエイトリフティング競技は8月7日から始まった。かつて日本代表を率いた浅田さんが言う。

「珠洲市からはまだ五輪選手が出ていません。教え子の中から第一号が出てくれたら、こんなに嬉しいことはない。高校はインターハイ、国体、選抜の3つが大きな大会。競技者としては全日本選手権、国際大会、その先にある最高の舞台がオリンピックです。ウエイトリフティング部OB、OGの中には、高い意識を持って競技を続けている子がいます」

 4年後には、浅田さんの薫陶を受けてきた飯田高校出身の選手が、日の丸を背負っているかもしれない。

(「週刊文春」編集部/週刊文春Webオリジナル)

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