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「真面目な好青年で、トラブルは全然なかった」36人を殺害《京アニ放火》犯人の少年時代、彼を凶行に走らせた“ある事件”

文春オンライン / 2024年8月11日 17時0分

「真面目な好青年で、トラブルは全然なかった」36人を殺害《京アニ放火》犯人の少年時代、彼を凶行に走らせた“ある事件”

爆発火災があった京アニのスタジオ(写真:時事通信)

〈 「親父さんが事故やっちゃってから、収入がなくなったんだよね」36人を殺害…京アニ放火犯の“複雑な家庭環境”《事件から5年》 〉から続く

「その仕事ぶりとかを見ている限りでは、素直ないい大人になっていくのではないかなと」。少年時代はアルバイト先で周囲にそんな印象を持たれていた、京都アニメーション放火殺人事件犯人の青葉真司被告(46)。のちに戦後最悪の殺人事件を犯す彼はどんな人生を歩んだのか? 彼のターニングポイントとなる「ある事件」を、ノンフィクションライターの高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「 日影のこえ 」による重版もした新刊『 事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

事故で父親は会社をクビに

「親父さんが事故やっちゃってから、収入がなくなったんだよね」

 近所で暮らす初老の男性が言うには、タクシーの運転手をしていた父親が勤務中に人身事故を起こし大けがを負ったそうだ。

「事故が原因で会社をクビになって、一時フラフラしていたみたいね。私が印象に残っているのは、よく親子喧嘩をしてましたよ。うちのほうまで聞こえる大声で怒鳴り合うような」

 収入が途絶え、生活は荒れた。親子間での衝突も絶えない。こうした家庭環境は青葉の学校生活にも影響を及ぼす。

「別に挨拶をするわけでもないし、ただ黙って暗かったよ。暗かった」

「明るいことはないね。いつも下向いてね。そうかといって遊びに出るわけじゃないし、友達だっていなかったんじゃないかな」

 中学の同級生たちから語られたのは、学校での孤立である。青葉の心はこの頃から殺伐としていく。ところが、中学を卒業して埼玉県内の定時制高校に通いはじめると、埼玉県庁での文書集配アルバイト仲間の、同じ高校の同級生2人と仲良くするなど、一見、平穏な日々を取り戻す。

 職場の上司は語る。

「とても真面目な好青年で、トラブルは全然なかったですし、職場でも仲良く働いていました。その仕事ぶりとかを見ている限りでは、素直ないい大人になっていくのではないかなと」

 “真面目な好青年”になった青葉が、上司の見立てどおりの人生を歩んでいれば問題はなかったのかもしれないが……。

凶行の日

 凶行の日は、出所から3年半が過ぎた2019年7月18日のことだった。数週間前には、事件現場に持ち込まれた包丁6本をさいたま市内の量販店で、前日午前にはホームセンターでガソリン携行缶や台車を購入し犯行に及ぶ。ガソリンを撒き、ライターで火をつけ、京都アニメーションの第1スタジオは炎の海と化した。

 青葉は自身の衣服にも引火した状態で逃走したが、現場から南へ100メートル離れた路上で火災被害から逃れた2人の男性社員に取り押さえられる。ほどなく駆けつけた京都府伏見警察署員が身柄を確保し、病院へと搬送。危篤状態にありながらも奇跡的に快方に向かったことで2020年5月27日、殺人・殺人未遂・現住建造物等放火・建造物侵入・銃刀法違反で逮捕となった。建物は全焼。死亡者36人。負傷者35人。殺人事件では戦後最多の死者数を出しながら、奇しくも当の青葉だけは生き残っている。

事件から4年――初公判の日

 事件から約4年が経った2023年9月5日、京都地方裁判所で初公判が開かれた。

 警備を理由に法廷の訴訟関係者と傍聴席の間に透明のアクリル板が設置され、被害者や遺族も見守るなか裁判が始まったのは午前10時半過ぎのこと。そこに車椅子に乗り上下青のジャージにマスク姿で髪を丸刈りした青葉が現れる。

 冒頭、裁判長が起訴された内容に間違いかないかどうか尋ねると、青葉は視線を逸らず答えた。

「間違いありません。当時はこうするしかないと思っていた。こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、やりすぎだった」

「当時はこうするしかないと思っていた」という言葉から鮮明に思い出すのは、京都第一赤十字病院へ搬送される前、タンカーに横たわったままカメラの方向をギロリと睨む青葉の姿を捉えた1枚の写真だ。

 このとき青葉は全身の93%にやけどを負い瀕死の状態だったとされる。皮下組織まで傷害が及んでいたことで、神経や血管も火傷でやられていたと予想されるため、痛みの感覚もなかったに違いない。血の通いがないかのように皮膚が白色の反面、眼光鋭き青葉の姿は、膨れ上がる京アニへの憎しみを描き出していたと言っていい。

 青葉は起訴内容を「間違いありません」と認めた。一方で、「こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、やりすぎだった」と、意図した放火殺人ではないかのように続けている。

 この状況は、いかにもいびつである。

 果たして、このまま罪を全面的に受け入れるのか、それとも情状をもとに争うつもりなのか。

 青葉の弁護人は「良いことと悪いことを区別して犯行をとどまる責任能力がなかった」と、問題の根っ子は別にあるとして、精神障害を理由に今後の裁判の展開が無罪にかじを切るよう議論を仕かけていった。

 検察官は「被告には完全責任能力があった」理由として、京アニのアニメに感銘を受けて小説家を志し、自らの小説を京アニに応募したが落選し、アイデアを盗まれたという妄想を募らせていった。事件の1ヶ月前に、投げやり感や怒りを強め、埼玉県の大宮駅前に行き無差別殺人を起こそうとしたが断念した。その後、人生がうまくいかないのは京アニのせいだと考えて筋違いの恨みによる復讐を決意したことに言及した。

 対し、弁護側は、青葉の不遇な半生を下敷きに「人生をもてあそぶ闇の人物への対抗手段、反撃だった」と語り、責任を問えるかどうかと反論する。青葉の公判は、責任能力の有無や程度について集中的に審理が行われることになった。

 こうして進んだ裁判員裁判や加熱する報道の中で、私の知らない青葉の半生も明らかになった。「誰にも頼らず一人で生きていこうと決めていました」と公判で語った青葉は、実父の自死をきっかけに埼玉県春日部市内で一人暮らしを始めた。コンビニのアルバイトで食いつないでいたが、人間関係に疲れて無職になり、自宅の電気やガス、水道まで止められるほど生活に困窮。ついには女性の下着を盗んで逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受ける。

 その後は派遣の仕事をしていたが長続きせず、2008年末、雇用促進住宅に移り住んでいた。雇用促進住宅の管理人は、メディアから「緊急入居なんですね?」と尋ねられ、次のように話している。

「そうですね、このときはホームレスだったので」(2024年1月24日放送、関西テレビNEWS)

「自分の小説のアイデアが盗まれている」

 この話から当時、青葉が絶望的な状況に陥っていたものと想像される。そんななか、京都アニメーションの作品『涼宮ハルヒの憂鬱』に出会い、感銘を受ける。そこから事件を起こすまでの道のりは、小説家になって社会に一矢を報いることだけを心の支えにしていたのだろう。そして、ついに作品を完成させた青葉は、京アニのコンクール「京都アニメーション大賞」にタイトル『ナカノトモミの事件簿』『リアリスティックウエポン』の小説2作を応募する。が、結果は落選。

「自分の小説のアイデアが盗まれている」

 ひるがえって突きつけられたのは、青葉からすれば「盗作」の腹立たしい現実だった。

 自分は落選によって望みが絶たれたのに、盗作された事実は、誰もわかってくれない。

 屈折した感情と言わざるを得ないが、唯一の道が経たれ極度に神経を尖らせながら京アニ作品を見ていた青葉は、最終的に敵の牙城を崩さねばと考えるようになっていく。

「どうしても許せなかったのが京アニだった気がします。パクったりをやめさせるには、スタジオ一帯を潰すくらいのことをしないと、という考えはありました」(公判の証言より)

 裁判では、本書の親本である『日影のこえ』の記述の誤りも明らかになった。

〈父親の死から5年後の2004年、事もあろうに妹までもが自ら命を絶っていた〉

〈実は青葉の兄も自殺しているんです。5人家族のうち父、兄、妹が自死を選び、母親は離婚後に別家庭を持ったため疎遠に。そのことをどうしても伝えたかったのです〉

 私は、裁判が始まる前に青葉の周辺を取材し、このように書いた。十分な裏付けのもとに青葉の兄と妹の死を伝えたつもりでいた。しかし、実際には2人は生きているという。ここに深くお詫びし、訂正したい。

 2024年1月25日、判決公判で京都地裁の裁判長は青葉にこう述べた。

「被告は、孤立して生活が困窮していく状況の中で京都アニメーションが小説を落選させたうえにアイデアの盗用を続けて利益を得ていると考え、恨みを強めた。そして、放火殺人までしないと盗用が終わらないなどと考え、本件犯行を決意し、京都に行くことを決めた。

(中略)事件の直前、実行するかどうか何度もしゅん巡したが、どうしても許すことはできないなどと考え、バケツ内のガソリンをかなりの勢いで従業員の体や周辺に浴びせかけ『死ね』とどなりながら火をつけて36人を殺害した。

(中略)過去にガソリンが使われた事件を参考にした放火殺人という手段は、性格の傾向や考え方、知識などに基づいて被告がみずからの意思で選択したもので、妄想の影響はほとんどない。

(中略)犯行を思いとどまる能力が多少低下していた疑いは残るものの、よいことと悪いことを区別する能力や、その区別にしたがって犯行を思いとどまる能力はいずれも著しくは低下していなかった。

(中略)36人もの尊い命が奪われたという結果はあまりにも重大で悲惨だ。炎や黒煙、熱風などに苦しみ、その中で非業の死を遂げ、あるいは辛くも脱出したものの生死の境をさまよった被害者たちの恐怖や苦痛などは計り知れず、筆舌に尽くしがたい。36人の従業員は設立当初からのベテランや京アニに憧れアニメーターになるため入社したばかりの人など、全員一丸となって丁寧に愛情をもってひとつひとつの作品を制作していた将来への希望を持つ方々で、無念さは察するに余りある。遺族たちの悲しみ、苦しみ、喪失感、怒りは例えようのないほど深く大きく極刑を望むことも当然だ」

 そして、最後に「被告は心神喪失の状態にも心神こう弱の状態にもなかった」として、青葉に対して「死刑」を宣告する。

判決後に青葉が「語った言葉」

 青葉の弁護士は26日、判決を不服として大阪高裁に控訴した。同日、朝日新聞の記者・戸田和敏氏が、青葉に大阪拘置所でインタビューを行い記事にしている。

──判決から1日経過したが、いまの心境は

「自分がやったことの責任はある。重く受け止めたい」

──法廷で死刑と聞いた瞬間の心境は

「人間なので、やはり極刑を下されてショックを受けないことはない。厳粛に受け止めたい」

──控訴して裁判を続けていくつもりか

「(裁判を)続けないと発信もできないので控訴するつもりです」

──何を発信したいのか

「こういう事件を起こした一人として、(一審の)裁判で全部話していくことにしたが、後に教訓にしていただきたい部分が少しある」

 極刑を下されてショックを受けたが、死刑になった以上、何かを隠しながら生きていくのはどうかと思い、これまでの面会拒絶から一変、こうして取材を受ける心持ちになったそうだ。

 自分が起こした事件と社会との関係については、次のように答えたそうだ。

「最終的に我慢の限界を超え、自分みたいな事件を起こす人が出てくるかもしれない。どうしようもないと思います」

被害者遺族の気持ちが深く傷ついてはいないか

 私は思う。さらに裁判が続く見通しになったことで、「(控訴はせず)今回の判決を受け入れてほしいと思います」と語った被害者遺族の気持ちが深く傷ついてはいないか。

 今後発する青葉の言葉が「教訓」ではなく「無敵の人」を生むきっかけになりはしないか。そんな懸念を抱く一方、「(裁判を)続けないと発信もできないので控訴するつもりです」と語った本人の言葉に、これまでの不遇な人生を塗りつぶすかのように世間と関わりを持ちながら生きたいと強く願う、青葉の執念を見た。

(文中敬称略)

(高木 瑞穂,YouTube「日影のこえ」取材班/Webオリジナル(外部転載))

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