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「復興応援割より、安全に観光できるよう直してほしい」「貯えを取り崩しながら耐えています」能登半島地震で追い詰められた観光業者のリアル

文春オンライン / 2024年8月12日 7時0分

「復興応援割より、安全に観光できるよう直してほしい」「貯えを取り崩しながら耐えています」能登半島地震で追い詰められた観光業者のリアル

正面に倒れた松本清張歌碑(巌門園地)

〈 「やさしい味、やさしいお店」宮崎美子が愛し「マツコの知らない世界」でも取り上げられた“秘境”の"名物 能登ラーメン”がウマすぎた! 〉から続く

 案内看板はあるのに、「その物」が見当たらない。

 周囲を探し回ったが、見つけられなかった。

 作家、松本清張の歌碑である。

「地震で倒れたんですよ」。近くの人が教えてくれた。改めて現場に戻ると、確かにそれらしい石がある。短歌が刻まれた面がうつ伏せになっており、そこら辺の石と見分けがつかなくなっていたのだ。「行政には早く直してほしいと伝えているんですけど、もう半年以上が過ぎました」。教えてくれた人は諦め顔だ。

「能登金剛」が舞台の『ゼロの焦点』

 石川県志賀(しか)町の巌門(がんもん)。奇岩や断崖が続く「能登金剛」の海岸でも最大の見どころになっている。

 能登半島地震後の観光はどうなるのか。ドライブインで名物のラーメンを食べた後は( #3 )、高さが15mもある海食洞門を目指す。

 その前に能登観光とは切っても切れない縁がある松本清張の歌碑を見ようと思った。

 1959年に刊行された長編推理小説『ゼロの焦点』は、社会派ミステリー作家と評された松本清張の代表作だ。「能登金剛」を舞台にして、敗戦後の混乱期に端を発した連続殺人事件を描いた。

 1961年に映画化されると、能登半島ブームが起きた。「陸の孤島」のように見られていた能登半島に多くの観光客が押し寄せたのだ。

 だが、副作用もあった。

「雲たれて ひとりたけれる 荒波を…」

 映画化された時、能登金剛の一角にある「ヤセの断崖」がクライマックスシーンに選ばれた。海面からの高さは35m。見下ろすと身のやせる思いをすることから、「ヤセ」と名づけられた。同じ能登金剛でも巌門から車で30分ほどの場所にある。この映画以降、サスペンスドラマのクライマックスシーンは断崖が定番になった。

 ところが、自殺に訪れる人が増えた。「ヤセの断崖には遺体が浮かばないという伝説ができ、自殺の名所になりました。実際にはどこかに流れ着き、“処理”が必要になるのですけれどね」と話す地元の人もいる。

 歌碑の建立は小説の発刊から間もなく、能登金剛で自殺した女性の慰霊が目的だった。当時の旧富来(とぎ)町=平成大合併で志賀町=の職員が松本清張に依頼したのだという。

 歌碑の案内看板には「この小説によって世に知られ、観光地としての導火線になったことを記念し、昭和36年、松本清張先生に碑文を依頼して建立したものです」と記されている。「雲たれて ひとりたけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅」と詠まれた短歌には、小説のヒロインの悲劇的な運命と、自殺した女性への思いやりが感じられる。

見どころ満載! 全長29kmにわたる能登金剛の海岸

 全長29kmにもわたる能登金剛の海岸は見どころが満載だ。

 巌門の少し南にある「旧福浦(ふくら)灯台」は1876(明治9)年建造で、日本で最も古い木造灯台とされる。

 巌門から北に目を移せば、高さ16mと12mの岩が寄り添う「機具(はたご)岩」がある。

 さらに増穂浦。冬の砂浜には桜貝など多くの貝が打ち上げられる。

「義経の舟隠し」と呼ばれる断崖の入江もあり、追手から逃れようとした源義経が48隻もの舟を隠したのだという。

 そして、ヤセの断崖が続く。

 日本海に沈む夕陽も美しく、絶景と言うほかないだろう。

絶景! 広重が描いた「能登瀧之浦」

 さて、巌門だ。松本清張の歌碑から海食洞門に向かって歩く。

 急坂を下ると、千畳敷岩が見えた。近くには地底に向かうかのような洞窟があり、おそるおそる階段を踏みしめて中に入る。次第に光が見えてきて広間のような場所に出た。海際まで進むと、目の前に巨大な海食洞門があった。

 高さ15m・幅6m・奥行き60mという巨大なスケール。この日は海が荒れていて、ザバーンと高波が打ちつける。

 巌門から少し離れた海岸には、高さ27mの「鷹の巣岩」が鎮座していた。ラーメンが美味しい岡本澄子さん(81)のドライブイン「ロードパーク女の浦」から見えた岩だ。

 この巌門と鷹の巣岩が一望にできる風景は、江戸時代の浮世絵師・初代歌川広重が『六十余州名所図会』に「能登瀧之浦」として描いている。

 それほどの絶景であるのに、観光客はいない。

「道路が悪くないので十分観光に来られますが…」

 土産物店に寄ってみた。お客さんの入りはどうなのだろう。

「ハッキリ言ってガラガラです。いないと言った方がいいぐらい。平日なんか両手の指で数えられるほどしか店の前を通る人がいません」。家族で経営している40代の女性が嘆く。

「金沢から巌門のある志賀町までは、道路が悪くないので十分観光に来られます。でも、なかなか来てもらえないのです」

 様々な要因がある。

 石川県と富山県にまたがる能登半島は広い。石川県内の12市町だけでも2173㎢あり、東京都に匹敵する面積だ。このため「金沢に宿泊するだけでは回れず、被災前に能登半島の宿泊の拠点になっていたのは和倉温泉(石川県七尾市)でした。現在はごく一部しか営業しておらず、建物が壊れて休業したり、復旧作業に携わる人の宿舎になっていたりで、観光客はほとんど泊まれません」と女性が説明する。

 また、志賀町より先の奥能登は極めて被害が大きく、観光などという状況にない。

 そればかりか「奥能登の復旧事業に関わっているお客さんから『地震の発生直後と何も変わっていない』と聞きます。今も断水したままの家や、風呂にさえ入れない人がいるのに、私達が『観光に来て』と大きな声で言うわけにはいきません」と悲しげだ。

「一刻も早く壊れた場所を直してほしい」

 周辺も被災していないわけではない。

 巌門の上は見晴らしのいい展望台の広場になっている。ところが、断崖の一部が崩れて、手すりは今にも落ちそうになっている。

 高さ約30mの谷に架けられた長さ39mの「幸せのがんもん橋」は通行止めになったままだ。散策路もすぐ横の断崖が崩れて通れない。

「旅行会社は『巌門へのツアーを組みます』と言ってくれますが、年配客が多いので、安心して来てもらえません。一刻も早く壊れた場所を直してほしい」と女性は語る。

 やっかいなことに、この辺りは個人の土地であってもすぐには工事できない。国定公園なので、勝手に改変できないのだ。

「何かしようと思ってもダメ。してくださいと言ってもダメ」と言う住民もいる。

 岸田文雄首相は、宿泊費の7割を補助する「復興応援割」の具体化を表明した。だが、女性は「能登で泊まれるところは非常に少ないのに、果たして応援になるでしょうか。まずは安全に観光できるよう被災箇所を直すのを急ぎ、それから復興応援割を検討してもいいのでは」と話していた。

客が戻りつつある遊覧船

 そうした中、少しではあるが、客が戻りつつある分野もある。巌門などを巡る遊覧船だ。

 3隻の所有船のうち、2隻が津波で壊れたが、修繕を終えた2024年7月13日から通常運航を再開した。

 巌門に来た人の多くは乗るものの、絶対数が少ない。運営する能登金剛遊覧船によると、「8月になっても例年の3分の1から4分の1程度の乗船しかなく、1回当たり1家族か2家族ぐらいのお客さんです。和倉温泉に泊まれないので、北陸3県からの日帰りや、金沢に泊まって往復する人に限られています」と語る。

 前出の女性は「新型コロナウイルス感染症の流行から、やっと次に進めるという時の地震でした。今は貯えを取り崩しながら耐えており、この状態が長引けばどうなることか」とうつむく。

 光はなかなか見えてこない。

(葉上 太郎)

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