1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

今のようになりたくなかった……母親業にしがみつく私の危機

文春オンライン / 2024年8月22日 6時0分

今のようになりたくなかった……母親業にしがみつく私の危機

石田月美

〈 すべての女性は美しい…は残酷な欺瞞である 〉から続く

 デビュー作『 ウツ婚!! 死にたい私が生き延びるための婚活 』で、高校中退→家出→大学入学→中退→精神科→婚活→結婚までの怒涛の日々と婚活how toを綴った石田月美氏。妻になり、母になっても満たされない、さらなる地獄の珍道中を綴った発売中の『 まだ、うまく眠れない 』(文藝春秋)から一部抜粋してお届けします。

◆◆◆

ケアワークは尊い。でも……

 幸せなんてもうとっくに望んでおらず、自分がそれに値する人間だとも思わない。ただ少しでもマシに、少しでも楽になりたくて、私は私を書く。

「ママは子どもの頃、どんな大人になりたかった?」。娘に尋ねられ、そうねぇ少なくとも今のようになりたくはなかったよ、という返答を喉元で抑え、「あなたのママになれて嬉しい」と論点をずらしてけむに巻いた。

 普通に生きて普通に壊れてきた気がする。思春期や反抗期と同じくらい当たり前に暴力や障害があり、当たり前に病気になるくらいには世間と足並み揃わぬことが苦痛で、多くの人が当たり前にしていることがしたくてその一つが働くことだった。若い頃は有り余るエネルギーとまさにその年齢のおかげで働けた。だが40歳の今、私には書くという不安定な営みしか残されていない。事実、ここ10年で私が採用されたのはコールセンターのアポインターのみで、喜び勇んで行ったらオシャレに言って「闇バイト」、ハッキリ言えば「詐欺」の現場で辞退した。私にとって書くことは崇高な理念などなく労働で、しかしようやくありついた労働だった。

 ケアワークが尊いことに異論はなく、専業主婦や母親業を私は大いに肯定したい。けれど私個人に限っては、妻や母という誰かに付随する役割にしがみついただけで、胸を張れるほど家事育児が得意なわけでも向いているとも思えず、このままでは私だけでなく家族も壊しかねない危機の渦中に書く機会が与えられ、取るものも取り敢えずそちらにしがみつき恥を書き散らしている。「結婚して子どもを産んですっかり回復しましたね」。ステレオタイプな回復像を喜んでくれる善意の人たちの前で私は取り繕うだけに必死で、いつすべてをクラッシュさせるか怯え、「贅沢な悩み」という言葉に反論する余裕もなくポーズを取り続ける緊張感の中、震え痺(しび)れるこの無理な姿勢が崩れ落ちれば私は愛する人たちを巻き込み取り返しのつかないことをするだろうと嫌な確信だけがあった。

働けない者の苦しみは知られていない

「つながりが大事」という人たちは昨今大勢いて、その通りだとも思う。しかし、どこへ行っても誰と会っても上手くいかず、人間関係というものがもっとも苦手で負担である私にはその大事な「つながり」に関して完全に弱者である。人間嫌いという種族ならよかったのだが私は人が好きだ。幼稚なほど寂しがりで幼稚なほどコミュニケーションが下手で、「弱さでつながる」と言われても自分の弱さを嫌悪していて、場を壊し関係を壊し自分を 壊しそれでもつながりを希求している。自分が自分であることに罪悪感を覚えずにはいられない。

 オシゴトはその点、つながりなんて曖昧なものよりも何が求められているのかが理解しやすくそれに応えていけば良いのであって、私は働きたかった。労働でつながりたかった。書きながら私は安全に壊れていった。たった一人で書く間、私はいくらでも絶望でき嘆きながら渇望でき、リストカットをしたことはないけれど体を切り刻むような感触を確かに持って言葉を紡ぎ続けている。苦しみはあれど安心した。自分のような人間を断罪する行為も、これが労働であるという建前によりゆるされるようだった。私はなるべく周りに迷惑をかけず壊れたままでいたかった。それが私の普通の在り方のような気もした。

 

 働けない者の苦しみはあまり知られていない。「選ばなければどんな仕事でもあるだろう」「福祉に頼ればいい」「働かない生き方もある」。そんな風に言われたりする。私は仕事から選ばれず、福祉はいつか働けるようになるための猶予であり、働かない生き方には高度なコミュニケーション能力が必要だった。

「王子様と結婚しました。めでたしめでたし」とならないことくらい現代の読者なら誰でも知っているけれど、「専業主婦になんか絶対なれない」と勤めに出る女性たちの多くが婚姻の有無を問わず嘲笑交じりによく口にすることはそれほど知られておらず、王子の求婚をはね除けドレスデザイナーになった女性の物語は作られても、灰を被ったまま技能を持たぬ女性が家庭に埋没する以外のハッピーエンドはいまだ目にしない。

 

 脳の認知資源の関係で私は一日2、3時間ほどしか書けず、その2、3時間のために家事育児を疎かにし、ぼんやりと上の空で次の原稿のことを考えており、子どもたちに「ママどうしたの?」と心配をかける。少なくともこんな人間になりたいわけがなかった。誰かを幸せにしたり、自分が幸せになったりすることに疑いを持たず暮らしていけるはずだと、そう教えられてきたし、若き日の私は「こんなことに負けてたまるか、絶対幸せになってやる」とも思った気がする。けれど、どこかのタイミングで私は幸せより一人壊れ続けることを選んだのだ。その方が自然だとも。

この手だけでなぜ満足しないのだろう

「大人になったら何になりたい?」という課題を娘も息子もちょくちょく持ち帰ってくる。他の園児や児童の答えを見れば、おおかたそれは職業であり、「お嫁さん」や「お母さん」といった答えはなく、性別役割分業が解体して行く様を小気味良く眺めながら自分が時代遅れの存在になっている引け目も感じ、しかし職業に集約されることの薄気味悪さも覚える。

 働きたいと壊れたままでいたいとを矛盾なく願う私は、子どもたちに「自分がこの自分で良かったって思える大人ならなんでもいいんじゃない?」なんてどの口が言うかという理想を本心から伝え、また自己嫌悪に苛まれながら子どもたちを寝かしつける。

 一人で寝るようになった娘は夜中に目が覚めると私のところに来て「ママ、おやすみ」とつながりを確認したいだけの言葉を投げかけ、私も「おやすみ」と手をつなぎながら娘を部屋まで送る。このしっとりとした手だけでなぜ満足しないのだろうと責め、この手を守るために書くのだと焦り、こんな感情が伝わったらと怖くなって手を離す。

「おやすみなさい、また明日」。娘の部屋のドアをそっと閉め、息子に布団をかけ直し、自分の目が冴えきっていることにうんざりしながら、ひっそり祈る。どうかあなたの明日が幸せでありますように。おやすみなさい、また明日。

【プロフィール】
石田月美(いしだ・つきみ)1983年生まれ、東京育ち。高校を中退して家出少女として暮らし、高卒認定資格を得て大学に入学するも、中退。2014年から「婚活道場!」という婚活セミナーを立ち上げ、精神科のデイケア施設でも講師を務めた。20年、自身の婚活体験とhow toを綴った『ウツ婚? 死にたい私が生き延びるための婚活』で文筆デビュー、23年に漫画化された。

(石田 月美/ノンフィクション出版)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください