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「虎に翼」が「玉音放送」によって敗戦を描かなかった“本当の理由”とは

文春オンライン / 2024年8月15日 6時10分

「虎に翼」が「玉音放送」によって敗戦を描かなかった“本当の理由”とは

伊藤沙莉演じる寅子(朝ドラ「虎に翼」公式Xより)

 NHKの朝ドラ「虎に翼」は、日本近現代史を研究している立場からもとてもおもしろい。日本で初めて女性として弁護士・裁判所所長などを務めた三淵嘉子をモデルにしたドラマであるが、三淵とは実際は関係のなかった戦前の大疑獄事件である帝人事件(ドラマでは共亜事件)では父親が逮捕され、同じく実際は三淵と交流のなかったはずの山口忠良判事をモデルとした岩田剛典が演じる花岡悟(彼は敗戦直後に栄養失調で亡くなる)などが登場する。日本近現代史を知っていると、あの出来事と伊藤沙莉演じる主人公の猪爪寅子を結びつけるのか! という驚きがある。

「法の下の平等」が大きなテーマ

 この「虎に翼」は、根底には日本国憲法第14条第1項の「法の下の平等」が大きなテーマとなっている。そのため、男女の平等を含めて、様々な「不平等」が取りあげられる。さらに、第14条第2項が取りあげられたことでも注目される。それは、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」という条文である。

男爵家の桜川涼子は華族制度がなくなって…

 寅子の明律大学女子部法科の同級生の一人に、男爵家の桜川涼子がいた。ただし彼女は、家を継続させるために、戦前の“司法試験”にあたる高等試験受験を諦めざるを得なかった。しかし、そこまでして守った華族としての桜川家も、日本国憲法第14条第2項によってそうした制度が否定されると、財産税なども課されて没落してしまう。

 涼子は新潟でお付きであった玉と喫茶店を経営しており、そこに着任してきた寅子と再会するが、華族制度がなくなって没落したにもかかわらず、どこか晴れやかな感情をも示す。それは、「法の下の平等」とは異なる身分制でもある華族制度に縛られ、家を守らなければならなかった涼子が、そこから解放されたからだったと思われる。

なぜ「虎に翼」で天皇制が描かれないのか

 このような、どこか「しばられない」世界を描こうとするドラマが、「虎に翼」のように思われる。そうすると、それでもこのドラマで描かれていないものがあることに気がつく。天皇制である。

 さらに言うと、このドラマのもう一つの大きなテーマに、「戦争責任」があるように思われる。寅子の恋人となった星航一(岡田将生)が、戦前に総力戦研究所の研究生であり、そこでの分析から、敗北という結果がわかっていたアジア・太平洋戦争を止められなかったこと、その結果として悲劇を数多く生んでしまったこと(ドラマでは、多くの犠牲者が出た長岡空襲が取りあげられた)、その無念さを敗戦後も抱え込んで苦しんでいることが描かれる。

日本の敗北を予想していた「総力戦研究所」

 総力戦研究所は、1940年9月に開設された内閣総理大臣直轄の研究所で、アメリカとの戦闘を意識した総力戦に関する基本的な調査・研究を行うとともに、若手のエリートに対して国家総力戦体制に向けた教育と訓練をすることを目的としていた。各官庁や陸海軍、民間などから若手のエリートが選抜され、航一のモデルであった三淵乾太郎(のちに嘉子と再婚)も選ばれていた。研究生たちによる演習用の模擬内閣も組織され、三淵は司法大臣兼法制局長官となって、机上演習を展開していた。現実でも、総力戦研究所は日本の敗北を予想していた。つまり、彼らは開戦前から結果はわかっていたということになる。

 現実の三淵乾太郎が敗戦後、そうした戦争責任を感じていたかどうかはわからない。しかし、「虎に翼」での航一は、出征して亡くなった寅子の夫である優三も含めて、戦争で多くの人が亡くなってしまったことの責任の一端は自分にもあると考えていた。こういった部分に、大元帥である天皇、天皇制という話はまったく出てこない。

昭和天皇の戦争責任論が再燃した“ある発言”

 星航一の父親は初代最高裁判所長官の星朋彦で、そのモデルであった三淵忠彦は、天皇制に大きな影響を与えた人物である。敗戦後の東京裁判結審が近づいた1948年5月、「週刊朝日」の「憮然たる世相の弁」という佐々木惣一(京大名誉教授)、長谷川如是閑(評論家)との鼎談のなかで、三淵は次のような発言をしていた。

佐々木:「仮に天皇が道義的に退位を自ら望むなら国会に表明、国会で決定すべき」

三淵:「自らを責めることは妨げられない」「終戦当時陛下は何故に自らを責める詔勅をお出しにならなかつたか、ということを非常に遺憾に思う」

佐々木:「まつたくそうだ」

 この発言を機に、昭和天皇の戦争責任論が再燃、天皇の退位論が国内外で沸騰した。もちろん、「虎に翼」では、航一の父親である星朋彦のこうした姿も描かれていない。

 では、天皇制をこのドラマでは隠そうとしているのか。そうではないだろう。

「虎に翼」が「玉音放送」によって敗戦を描かなかったワケ

 実は、この「虎に翼」では天皇制が描かれない重要な場面がある。「玉音放送」である。戦争を描くドラマでは、多くは敗戦を「玉音放送」で知らせる。しかし、この「虎に翼」はそれがないのである。

 敗戦は尾野真千子のナレーションのみで視聴者に伝えられた。その代わりに敗戦後の社会の変化を伝えるものとして、闇市で買った焼き鳥を手に寅子が河原へ向かうと、焼き鳥が包まれていた新聞の中に「日本国憲法」の記事を見つける場面が描かれた。

「玉音放送」によって敗戦を描くことはすなわち、私たちが天皇制という制度を未だに心のなかで意識し、それが根底にあることを示す。

 しかし「虎に翼」は、あくまで個々人にとっての戦争、戦争責任ということが描かれる。そのため、天皇制という大文字の主語が登場しないのである。総力戦研究所も、天皇制国家の下に設置されたとしてとらえるのではなく、そこに航一が参画し、戦争を止められなかったことに対する悔恨を、航一の個の内面から描こうとしている。天皇制を描かないことで、あえて大きな主語に収斂させて他人事と考えるのではなく、むしろ自身の問題として、「法の下の平等」や戦争責任を意識していこうとする意図がそこにはあるのではないだろうか。

 今後、「虎に翼」では三淵嘉子が携わったアメリカの原爆投下について問う裁判が登場するようである。寅子はそれにどうかかわっていくのか。注目していきたい。

(河西 秀哉)

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