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JR&北陸新幹線“京都~新大阪間のナゾの途中駅”「松井山手」には何がある?

文春オンライン / 2024年8月19日 6時0分

JR&北陸新幹線“京都~新大阪間のナゾの途中駅”「松井山手」には何がある?

JR&北陸新幹線“京都~新大阪間のナゾの途中駅”「松井山手」には何がある?

 北陸新幹線が敦賀駅まで延伸開業して、5か月あまり。まだまだ乗り継ぎが不便だなんだという声も途切れないようだが、まあそれなりに敦賀駅までの新幹線、として定着した感がある。

 ただ、北陸新幹線はこれで完成ではない。まだまだ先に線路を延ばし、最終的には京都を経て新大阪へ。京都までのルートには米原経由がいいだとかなんだとか、これまたいろいろな意見が上がっているものの、基本的には小浜経由で京都府内を南北に走るということで決着済みだ。

 先だって、国土交通省と鉄道・運輸機構は新大阪までの詳細なルート案を公表している。気になるところがいろいろと盛りだくさんなのだが、その中でひとつ。京都~新大阪間に設置される予定の途中駅、松井山手駅である。

JR&北陸新幹線“京都~新大阪間のナゾの途中駅”「松井山手」には何がある?

 北陸新幹線の京都~新大阪間では松井山手に駅が設けられることは、2017年にはすでに決まっていた。そしてそもそも、松井山手駅はいまもある。大阪から奈良方面までを結ぶJR学研都市線の駅だ。

 大阪方面からは松井山手行きの各駅停車も走っており、京橋からJR東西線、そして神戸方面への直通列車もあるから、阪神地域の人たちには聞きなじみのある駅のひとつではないかと思う。

 そんな松井山手駅とは、いったいどんな駅なのだろうか。新幹線駅になって全国区になる前に、松井山手駅に行っておかねばならない。

 そういうわけで、京橋駅から学研都市線の区間快速に乗った。松井山手駅には学研都市線のすべての列車が停まるから、わざわざ松井山手行きの各駅停車を選ぶ必要はない。区間快速ならば、京橋駅から松井山手駅まで30分ちょっとである。

駅前にはいきなり“トンチ”の気配が…

 学研都市線は、大阪平野と奈良盆地を結ぶいくつかの路線のひとつだ。両者は生駒山地によって隔てられており、たとえばJR大和路線や近鉄大阪線は生駒山地の南側を抜けている。険しい山をトンネルで貫き、ほとんど一直線に走っているのが近鉄奈良線だ。

 そして、学研都市線はただひとつ生駒山地の北側を走る。地図で見るとだいぶ遠回りのきらいもあるけれど、途中には四條畷市や交野市、枚方市といった町があり、沿線の通勤通学輸送で八面六臂、というわけだ。

 松井山手駅は、そんな学研都市線が生駒山地をぐるりと回る北の突端にある。ちょうどお隣の長尾駅から府境を跨ぎ、京都府に入って最初の駅が松井山手駅だ。所在地は、京都府京田辺市。なだらかな長尾丘陵に位置し、そのまま南に向かって生駒山地へと続いていく、そうした場所に松井山手駅はある。

 丘陵地の駅らしく、線路とホームは堀割の下。屋根もあるおかげで、太陽の光があまり入らずにちょっと薄暗目のホーム。そこから階段を登って改札を抜けると、堀割を跨ぐように東西の自由通路があって、東口と西口に続いている。

 まず西口に出てみると、最初に目に留まったのは一休さん。橋を渡るなと言われて真ん中を渡ったあの一休さん。いったいなんで松井山手駅前に一休さんがいるのかというと、トンチではなくホンモノの実在する一休禅師が晩年を過ごした酬恩庵一休寺が京田辺市にあるから。近鉄新田辺駅前にも一休さんの像があるというが、大阪方面からやってきて最初の駅ということで、松井山手駅にも一休さんがいるのだろう。

 ただ、この駅で降りた人のほとんどは一休さんに目もくれずに歩いてゆく。その先には、フレスト松井山手店という商業施設があった。大きな駐車場を抱えるこの商業施設の向こう側にも、ケーズデンキをはじめとする商業施設が見える。

「山手幹線」と名付けられた、学研都市線の線路を跨いで東西に走る大通りにはたくさんのクルマが絶え間なく走り交い、その道沿いにもファミレスなどチェーンの飲食店が並んでいる。このあたりの風景は、駅前というよりは郊外のロードサイドのような雰囲気だ。

ニュータウンの中を歩くと、とある看板が見えてきた

 山手幹線は、松井山手駅の西側で第二京阪を跨いでいる。ちょうど京田辺パーキングエリアがあり、さらに北側には新名神高速道路と交わる八幡京田辺ジャンクション。松井山手は、高速道路ネットワークにおいては特別な意味を持つ、いわば道路交通の要衝になっているようだ。八幡京田辺インターチェンジから高速道路に乗れば、京阪神どころかかなり広範囲に向けた利便性を持っている。

 そうしたメインストリートとそのまわりの商業施設の他は、実に絵に描いたようなニュータウン。整然とした区画の中に戸建て住宅が建ち並ぶ。その中を歩いて線路を跨ぎ、駅の東側にやってきた。線路沿いにはマンションもあったが、戸建てばかりの住宅地という本質的なところは変わらない。

 そんなニュータウンの中を歩いていると、「京阪東ローズタウン」という看板が見えてきた。このニュータウン一帯は、京阪系列のニュータウンなのだ。

 京阪とは、いうまでもなく大阪と京都を結ぶ関西私鉄のひとつ、京阪電鉄のこと。“ひらパー”ことひらかたパークも京阪系列の施設のひとつで、JRA京都競馬場の最寄り駅・淀駅も京阪の駅。いまや外国人観光客にも人気の伏見稲荷大社も、京阪伏見稲荷駅の近くだ。

 その京阪が、1990年代に開発を手がけたのが松井山手駅周辺の京阪東ローズタウン。コンセプトは「太陽と緑と健康の街」なのだとか。第二京阪と学研都市線を跨いで東から西まで広範囲に広がっていて、自治体も京田辺市から八幡市に跨がっている。

 松井山手駅前のフレスト松井山手店も、実は京阪系列の商業施設だ。つまり、この町はJR学研都市線の駅の町ながら、本質的には京阪の町といっていい。このあたり、ニュータウン開発のせめぎ合いの帰結、といったところなのだろうか。

山手幹線を北へと歩くと町の雰囲気に何やら変化が…

 そんな京阪の住宅地の中を歩き、駅の東側で再び山手幹線に出た。ここで駅に戻っても良いところだが、それだけでは少しつまらない。もう少し町を歩こうと、山手幹線を渡ってさらに北へと歩いていった。

 すると、なんだか町の雰囲気が変わってきた。京阪の町の歴史はせいぜい30年ほど。いまも分譲中の区画が残っている。だから、並んでいる住宅は比較的新しい。ところが、山手幹線を渡った先の住宅地は、およそ30年ものとは思えない、もっと長い歴史を刻んできたのであろう町並みなのだ。

 この一帯は、松井山手駅周辺ではいちばん古い住宅地で、「松井ヶ丘」というエリア。開発がはじまったのは、なんと1960年代の後半だ。

 もともと松井山手駅付近は、取り立てて何があるわけでもない丘陵地だった。その丘陵地に線路が通ったのはまだ明治時代の1898年。当時は私鉄の関西鉄道による路線だった。

 ただし、関西鉄道も沿線開発などを目論んでいたわけではなく、最大の狙いは大阪と奈良盆地の連絡にあった。だから、路線開業時点では松井山手駅は姿形も存在しなかった。周囲に目立った集落があるわけでもないから、駅がないのもとうぜんだった。

郊外にニュータウンが続々できても「松井山手」はまだ開業せず…

 そうした状態のまま、長らく時が過ぎ、ようやく開発に手がつけられたのが1960年代になってからだった、というわけだ。ちなみに、同じ関西圏の千里ニュータウンでは1962年から入居がはじまっている。戦後の経済成長とともに住宅不足が顕在化し、郊外にニュータウンが次々に生まれた時期だ。1960年代後半から開発がはじまり、1970年代前半に入居を開始した松井ヶ丘も、そうした時代の流れの中で、誕生した町なのだ。

 ただし、松井山手駅はこのときも開業していない。そもそも、いまでこそ関西の通勤通学路線としての地位を確かなものにしている学研都市線も、その頃はまだ長尾駅以東は電化もされておらず、どちらかというとローカル線の趣が強かった。路線名も片町線といい(いまも正式名称は片町線だ)、都心側のターミナルも同じ名の片町駅。どことなく、地味なイメージが先行する郊外路線だった。

 とはいえ、いつまでもそんな状態を許さないのも時代の流れ。国鉄からJRに引き継がれて1年後の1988年に学研都市線の愛称が与えられ、1989年には非電化のままだった長尾~木津間が電化された。そして、このときに松井山手駅が開業したのだ。

 京阪東ローズタウンの開発がはじまったのは、松井山手駅が開業したのと同じ頃。70年代から松井ヶ丘に暮らす人たちにとっては待望の新駅で、この新駅がさらなる周辺の開発を促した。松井ヶ丘のニュータウンを北に抜けると、竹藪の向こうに田園地帯があったりして、開発以前のこの一帯の面影を感じることができる。

 ちなみに、学研都市線は1997年にJR東西線に乗り入れるようになり、大阪都心、さらには神戸方面や尼崎駅から宝塚方面への直通列車も走るようになった。沿線は、その名の通り学研都市としての開発も進み、瞬く間に関西を代表する通勤路線になってゆく。畢竟、松井山手駅の存在感も増していった。

平成とともに大きくなった「松井山手」。令和の先に新幹線が…

 松井山手駅の東口に戻って来た。西口は、京阪の商業施設が目の前に鎮座する、比較的真新しい雰囲気の駅前風景だ。東口には金融機関や昔ながらの飲食店などもちらほらあって、どちらかというと古めかしさが残っている。これは、1970年代からのニュータウン・松井ヶ丘の玄関口という役割を開業時から得ていたからなのだろう。

 いずれにしても、西口の駅前や山手幹線沿いに出れば、商業施設や飲食店に困ることはない。ついでにクルマを使えば第二京阪に新名神。そこに北陸新幹線が加われば、松井山手という町のパワーは相当のものになるにちがいない。昔から松井山手に住んだり、目をつけていた人にすれば、なかなか誇らしいことなのだろうか。

 と、思ってみたところで、国交省と鉄道・運輸機構が発表したルート案をよくよく見てみると、北陸新幹線の新大阪延伸までには25~28年ほどの工期を要するとされている。

 すぐに着工できるわけでもないから、北陸新幹線松井山手駅の開業は、少なく見積もってもだいたい30年後ということだ。学研都市線の松井山手駅が開業してから今年で35年。それと同じくらいの歳月の先に、新幹線駅・松井山手駅が待っている。なんだか、気が遠くなりそうなお話ですね……。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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