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「実際、奇跡的だった」想定していた作戦は実現不可能に…それでも日本軍艦隊が米軍を陥れられた“まさかのワケ”

文春オンライン / 2024年8月15日 17時0分

「実際、奇跡的だった」想定していた作戦は実現不可能に…それでも日本軍艦隊が米軍を陥れられた“まさかのワケ”

レイテ島で車輌や装備を荷揚げする戦車揚陸艦(写真=『太平洋の試練 レイテから終戦まで』より)

 史上最大の海戦ともいわれ、事実上、日本軍連合艦隊の最後の組織的な戦いとなった「レイテ湾海戦」。1944年10月、フィリピン奪回をめざしてレイテ島に侵攻するアメリカ軍に対し、日本は〈捷一号作戦〉を発動、全力で対抗する構えを見せた。栗田健男提督は、超戦艦大和、武蔵を含む自らの艦隊をはじめ、4方向からレイテをめざして会合し、アメリカ軍の輸送艦隊を叩くことを目論む。

 一方、アメリカ軍第三艦隊を率いるハルゼー提督は、自らの主力艦隊で栗田艦隊を待ち受けるのではなく、北方から来る囮の小沢提督の艦隊を叩くことを選んで動き出した。その頃、南方からやって来た西村提督艦隊と志摩提督艦隊は、スリガオ海峡で防御艦隊と乱戦に突入。レイテ湾のキンケイド提督は、ハルゼーが自らの全部隊を北方に移動させているとは知らないままだった。

 日本の中央部隊・栗田艦隊は、パラワン水道を抜ける間の戦いで戦艦武蔵を失い、旗艦・愛宕も沈没させられて栗田提督自身も海を泳いで移乗する羽目に。予定より大きく遅れながらもついにレイテ沖に到着する。だがそのとき、ハルゼーは北方の小沢艦隊を追い、防御艦隊は西村艦隊と戦っていた。栗田艦隊の前に奇跡的な勝機が訪れたのだ。ついに戦艦大和の巨砲が火を噴く! しかし――。

 米国の詳細な資料から、「アメリカ側から見た太平洋戦争」の全てを描き切った巨編ノンフィクション『 太平洋の試練 レイテから終戦まで 』(上下/イアン・トール著、村上和久訳/文藝春秋)より、一部を抜粋してお届けする。(全3回の1回目/ 続き を読む)

◆◆◆

高速で走り抜ける艦隊群

 サン・ベルナルディノ海峡は狭くて危険な水路なので、栗田の中央部隊は単縦陣形で通過せざるを得なかった。パラワン水道での壊滅的な潜水艦攻撃の再現を恐れて、13海里の長さにつらなった各艦は、20ノットの高速で走り抜けた。8ノットの潮流が流れ、座礁の危険は高く思えた。しかし、夜空は晴れて、視界は良好だった――そして、ハルゼーの夜間偵察機が以前に気づいたように、海峡のブイと灯台には明かりがついていた。艦隊はなにごともなく海峡を出て、午前0時半、フィリピン海に出た。予定より6時間遅れていたが、乗組員たちはまだ西村艦隊の運命について知らされていなかった。

栗田艦隊の信じられない幸運

 レーダーや夜間偵察機、そしてフィリピン人の沿岸監視員に追尾されていると考えていた栗田と部下の士官たちは、自分たちの幸運をほとんど信じられなかった。彼らをわずらわす敵潜水艦もいなかった。彼らは自分たちが海峡を出るのを阻止しようとするアメリカ戦艦の集中砲火に出会うと予想していた――300海里南方で西村艦隊を打ちのめしたばかりのT字戦法伏撃と同じ種類の。大谷藤之助作戦参謀はのちに、そうしたシナリオは中央部隊に「困難」をあたえていただろうし、その予想は大和艦橋で「深刻な懸念」を引き起こしたと語った。しかし、彼らは無事海峡を通り抜けて到着し、彼らの行く手に立ちふさがるものはなにもなかった。

 部隊は2時間、海上をまっすぐに東進した。単縦陣は夜間索敵陣形に組み直され、幅20海里近い海面を6つの縦隊がおおった。日本軍にはハルゼーの所在にかんする情報はまったくなかった。彼らは前日の午後、アメリカ軍空母艦載機が飛んでいった方向を手がかりに、どこでハルゼーを発見できるかを推測していたにすぎなかった。午前3時、大和が針路を南東のレイテ湾の方向に変える命令を発光信号で送った。それから3時間、艦隊は、サマール島の遠い山々を右舷に見ながら、南へ突進した。

 午前5時半、大和は、山城と扶桑が沈没し、最上が炎上、残る全日本軍部隊はスリガオ海峡から避退中という志摩提督の報告を受信した。この暗い知らせは大きな驚きではなかったはずだが、想定された挟み撃ち攻撃が実現しないことが確実になった。中央部隊がレイテ湾にたどりつくことに成功したとしても、単独で戦うことになる。午前6時14分、熱帯特有のあざやかな日の出とともに、新たな一日がはじまった。北東の風はおだやかで、海は静かだったが、切れ切れの積雲の灰色の底が上空をただよい、暗い雨スコールが海面低く通りすぎた。

 これまでのところ、レイテ作戦は各タフィー隊にとってはきわめて平穏無事だった。各艦は1週間近くサマール島とレイテ島の沖で持ち場についていた。航空群は、輸送艦隊上空の戦闘空中哨戒や、フィリピン中部上空の偵察飛行、海岸の地上目標の攻撃でいそがしく飛んでいた。しかし、艦の乗組員はめったに敵機を目にしていなかった。何度か潜水艦の恐怖はあったが、日本の軍艦の影はなかった。

 駆逐艦は忠実に直衛任務にあたり、外周部で侵入する潜水艦を探したり、海に落ちた飛行士を救助したりしていた。タフィー隊は南方と東方と、そして(将来)北方で戦われる海戦に参加することは期待されていなかった。したがって、その朝、7時少し前、栗田艦隊の巨大な戦艦と巡洋艦の前檣楼が北西の水平線にはじめて顔をのぞかせたときには、これは激しい驚きだった。

驚愕する防御艦隊

 侵入者がいる痕跡がはじめてもたらされたのは、30分前、〈タフィー3〉の対潜哨戒機が飛行甲板からカタパルトで射出されたときだった。短距離の低出力無線系で日本語の声が耳に入ってきた。いちばん近い敵艦は150海里以上離れていると考えられていたが、送信は近くのフィリピンの島から出ている可能性もあった。未確認のSGレーダーの探知は、なにかが北から近づいてくることをしめしているようだったが、輝点は艦隊らしきものには変化しなかった。これはハルゼー部隊の一部、あるいはただの気象前線の可能性があった。

 午前6時46分、〈タフィー3〉の見張り員が北西の水平線上に遠くの対空砲火の炸裂を認めた。これはまちがいなく奇妙であり、ジギー・スプレイグが上空を周回する飛行機に調査を命じようとしたそのとき、パイロットが無線で報告した。

「敵水上部隊……そちらの機動群の北西20海里を20ノットで接近中」

「どこかの頭のイカれた若い飛行機乗り」が第三艦隊の隷下部隊をおろかにも誤認したのだと思ったスプレイグ提督は、かっとなった。彼はスピーカーにどなった。

「航空作戦室、やつに識別を確認しろといえ」

 答えが1分後に返ってきた。「敵部隊の識別を確認」とパイロットはいった。

「艦には前檣楼(パゴダ・マスト)があります」

 スプレイグと部下の士官たちは、信じられないという目で北西の水平線を見まわした。対空砲火の炸裂がさらに空に染みをつけた。日本軍のトップマストの黒い形が水平線上に姿を現わした。いちばん近い追撃艦は17海里先で、急速に接近していた。

日本側も驚愕

 日本側もアメリカ側とほとんど同じぐらい驚いた。見張り員は相手に視認されるほんの数分前に、〈タフィー3〉の姿を地球の丸さが許す最大限の距離で捉えていた。アメリカ側が煙幕を張りだす前でも、視界は理想的とはいえなかった。空は雲でおおわれ、海水面では灰色の霧がたちこめていた。未知の船は南東にマストしか見えず、最初は空母であることがよくわからなかった。大和の艦橋では、きっと日本艦にちがいないという者さえいた。小沢の北方部隊に出くわしたのだろうか?

 じきに第二の護衛空母群〈タフィー2〉のマストが南方の海の縁に顔をのぞかせた。距離が近づくと、見張り員には飛行機が発進するのが見え、護衛空母の角張った艦影が水平線上に浮かび上がった。あれはまちがいなく空母で、しかも小沢部隊のではない。だが、どういう型の空母だ? 日本軍はアメリカ海軍が太平洋に小型の補助空母の大部隊を展開させているのを知らなかった。大和艦橋の士官たちは自分たちがきっと第38機動部隊の一部に遭遇したにちがいないと結論づけた。

 いずれにせよ、勝利は彼らの手中にあるように思われた。「これは実際、奇跡的だった」と栗田の参謀長小柳冨次はいっている。

「水上艦隊が敵空母群に接近しているところを想像してもらいたい。われわれはこの天佑的戦機を利用すべく進んだ」

 彼らの第一の目標は、相手が追撃隊を攻撃するために艦載機を発進させる前に、空母の飛行甲板に追いついて、これを破壊することだった。

 戦術的状況から見て、総力を挙げての追撃が必要だった――さらに、もし可能なら、獲物の風上側にまわりこんで、彼らが逃げながら飛行作戦を実施できないようにすることが。

 栗田は「全軍突撃セヨ」と命じた。つまり、日本軍の各艦は、艦隊巡航隊形を維持することにこだわらず、それぞれの最大速力で追撃するということだ。午前6時59分、栗田は命じた。「対水上戦闘用意」(訳註:戦闘詳報によれば「近迫敵空母ヲ攻撃セヨ」)習慣と伝統にしたがって、ほかの艦は旗艦が最初の斉射を放つのを待った。大和の15.5センチ副砲がまず火蓋を切り、前部の2基の46センチ主砲塔がすばやくつづいた。

大和、砲撃開始

 この大射程では、大和の巨大な主砲は前方に向けられ、23度の仰角をかけられた。噴きだす6本の巨大な炎と煙に押しだされ、徹甲弾6発は旋回しながら砲口から飛びだし、遠くの目標に向かって上昇をはじめた。砲弾はそれぞれ約1.5トンの重量があった。25秒の飛翔のあと、砲弾は、着弾までの中間地点で、その弾道の頂点である海抜約6000メートルに達した。それから秒速約460メートルの終末速度で落下しはじめた――砲口初速よりかなり遅いが、それでも音速よりずっと速い。したがって、アメリカ側の視点では、すすり泣くような音も、風を切る音も、飛来する斉射を予告しなかった。

 彼らは、空母ホワイト・プレインズの右舷正横に6本の水柱が突然、上がるまで、砲撃を受けていることを知らなかった。その1本1本が20階建てのビルの高さに匹敵した。水柱はゆっくりとしか消えず、水しぶきの瀑布が風下に降りそそいだ。着弾から30秒たってもまだ、幽霊のような水滴の柱6本は、巨大な砲弾が落下した地点にただよっていた。

〈タフィー3〉所属の艦は1隻も、5インチ以上の口径の火器を装備していなかった。したがって、アメリカ側はこの距離では応射できなかった。できたのは命からがら逃げることだけだ。しかし、とくに速く逃げられたわけでもなかった。群の護衛空母の一部は、すべての缶の圧力を最大限にしても、17ノット出すのがやっとだった。スプレイグはのちに、「こっちは15分ももたないと思った」と認めている。

〈全3回の1回目/ 2回目 につづく〉

〈 目に涙があふれ、悲痛な泣き声を漏らし「まるで顔を殴られたように言葉を失った」…米軍提督をギリギリまで追い詰めていた日本軍がアメリカへの攻撃を止めた“意外すぎる理由” 〉へ続く

(イアン・トール/ノンフィクション出版)

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