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「ハルカのスポーツに身を捧げる姿勢が…」やり投げ金メダル・北口榛花が“第二の故郷”チェコで愛されるこれだけの理由

文春オンライン / 2024年8月15日 17時0分

「ハルカのスポーツに身を捧げる姿勢が…」やり投げ金メダル・北口榛花が“第二の故郷”チェコで愛されるこれだけの理由

パリ五輪の女子やり投げで金メダルを獲得した北口榛花選手 ©︎JMPA

〈パリで行われた夏季オリンピックやり投げで金メダルを勝ち取ったハルカ・キタグチは、プラハの空港から、喜びに満ちた人々の待つドマジュリツェ市の広場に直接駆けつけた。

「みなさん来てくださってありがとうございます。ホツコのお祭りに参加できなくてとっても残念でしたが、パリからとてもすてきな金色のメダルを持ってきました」〉

 8月12日、第二の故郷・チェコに戻ってきた北口榛花の第一声を、地元紙ドマジュリツキー・デニークが伝えた。昨年秋、ブダペストの世界選手権から帰った時と同じように、どこよりも早くこの街で彼女の優勝祝賀会が行われ、その勇姿と金メダルをこの目で見ようと広場には大勢の人々が集まった。

 
 
 
 
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2024年8月12日、ドマジュリツェの祝賀会

伝統のお祭りと北口の金メダル、Wで盛り上がるドマジュリツェ市

 北口が師事するダヴィト・セケラークのチームの拠点であるドマジュリツェ市は、チェコの西ボヘミアにある人口1万人ほどの街だ。ドイツ国境まで10kmほど、ホツコ(Chodsko)と呼ばれる豊かなフォークロア文化を保持する地方の中心都市でもある。

 女子やり投げ決勝の行われたその日、ドマジュリツェでは今年で第70回目の記念となるホツコ地方の伝統的なお祭りの日でもあった。人々はお酒を片手に伝統的なフォークロアのステージを楽しんだだけでなく、今年はカフェのスクリーンに五輪のやり投げの中継が映し出され、市長と副市長も観戦するなど、8月のこの週末はホツコのお祭りと北口の金メダルでドマジュリツェはずっとお祝いの空気に満ちていた。

 北口榛花の金メダル獲得は、チェコ国内のメディアでも華々しく伝えられた。スポーツニュース専門サイトのiSport.czでは「チェコ選手が獲得した5つのメダルに加えて、もう一つの金メダルがパリからチェコにやってくる」と歓迎し、二人を追い続けたミハル・オソバ記者は「チェコ人コーチが日本人をオリンピック金メダルへと導いた」と絶賛した。

チェコの伝説的なアスリート、やり投げのダナ・ザートプコバー

 ヨーロッパのほぼ中央に位置するチェコ共和国は人口1083万人。けして大きくはない国だが、どの時代にも世界トップレベルのスポーツ選手を輩出してきた。

 さかのぼれば1952年のヘルシンキオリンピック。陸上男子5000m、10000m、マラソンの長距離3種目をすべてオリンピック新記録で優勝するという空前絶後の記録を残したエミル・ザートペック。当時チェコスロバキア・ズリーン市の製靴工場で働いていた彼は、ある日突然、上司から命じられて陸上選手となったが、1948年ロンドン、1952年ヘルシンキとオリンピックで陸上の長距離種目に出場し、金4銀1のメダルを獲得した。苦しそうな表情で走る姿は「人間機関車」と称され、その偉業は世界中を驚かせた。

 このザートペックの妻であるダナ・ザートプコバーが、やり投げの代表選手だった。エミルとまったく同じ生年月日である彼女は、エミルが5000mで金メダルを獲得したその日、わずか30分後に女子やり投げで金メダルを獲得した。この運命的な二人は、2021年に映画に描かれるほどのチェコの伝説的なアスリートであり、このダナこそがチェコの陸上やり投げの歴史を支えてきた人物である。

 
 
 
 
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エミル・ザートペックとダナ・ザートプコバー(映画「ザートペック」のインスタグラムより)

チェコやり投げ界の“後進の育成”

 1962年に現役引退してから2020年に亡くなるまで、ダナはチェコやり投げ界で後進の育成に力を注いだ。

 1992年からオリンピック3連覇を果たした男子やり投げのヤン・ジェレズニー。1996年に出した世界記録98.48mは、いまなお破られていない金字塔だ。やり投げ選手の両親のもとに生まれた彼には、幼い頃からザートペック夫妻と家族ぐるみの付き合いがあった。ジェレズニーはかつて父とエミルがワインを飲みすぎてダナに隠されたことがある、という微笑ましいエピソードも披露しており、現役時代にはチェコ代表の投てき種目の統括をしていたダナから、コーチとしての助言を数えきれないほどもらったと回顧している。

 そのジェレズニーがコーチとして育てた女子選手がバルボラ・シュポターコバー。北口も、自らが尊敬する選手として名前を挙げている。2008年北京、2012年ロンドンの2大会で金メダルを獲得し、彼女もまた72.28mという女子やり投げの世界記録保持者である。シュポターコバーもダナ・ザートプコバーと親しく、いつも試合前にはダナと会ってパワーをもらっていたという。

 こうした輝かしい歴史的スロワーたちに続くチェコ選手たちの成績は、ここ10年ほど見劣りするものだったことは否めない。2021年の東京五輪では、男子のチェコの選手が銀と銅の2つのメダルをとったものの、このときすでに両選手とも30代であり、チェコの指導陣はつねに若い才能を探していた。

チェコのやり投げ界に身を投じた北口

 70年にわたる濃密な人間関係のもとで築き上げられてきたチェコやり投げの世界に、遠く日本から飛び込んだのが北口だった。2018年、北口は指導者を求めて訪ねたフィンランドで、ジュニア選手の指導を行っていたダヴィト・セケラークと出会う。

 世界チャンピオンという文句なしの実績があるにもかかわらず指導者がいないという北口の話を、セケラークはにわかには信じられなかったという。

 セケラークのもとで練習して4年が過ぎた2023年秋、ブダペストで行われた世界陸上で北口は優勝を果たす。チェコのスポーツメディアiSport.czは、北口とセケラークが拠点とするボヘミア西部のドマジュリツェ市でインタビューを行い、その動画とともに、セケラークのこんな発言を紹介している。

ハルカにチェコ語でゆっくり話しかけてあげてほしい

「私たちはまず言葉の問題を解決しなければなりませんでした。私は英語がうまくなかったので、『ドイツ語ができるなら私がドイツ語を勉強します』とハルカは言ったけれど、新しく習うならチェコ語にしなさいと伝えました。実際にハルカがチェコ語ができるようになって、より多くのことを理解できていると気がつきました」

 二人は当初、練習で使う表現の日本語・チェコ語の対応表を作っていたが、チェコのやり投げの指導で出てくる単語の中には、対応する日本語表現がないものもあった。日本の練習では言語化されていないやり投げの概念を、北口はチェコ語とともにまもなく理解するようになった。

 セケラークはことばの面でも北口をサポートする。

「若い選手たちに、ハルカにチェコ語でゆっくり話しかけてあげてほしい、彼女はそれを吸収して話すようになるから、と伝えている」

「ハルカのスポーツに身を捧げるその姿勢が本当に好き」

 パリ五輪直前の2024年7月のiSport.czの記事では、北口のチームメイトでチェコ代表のペトラ・シチャコバーが紹介されている。パリ五輪では予選14位で決勝進出を逃したが、まだ21歳の彼女は着々と記録を伸ばしている。

 ピルスナービール発祥の地プルゼニュ生まれの彼女もまた、紆余曲折を経てセケラークのもとに移籍した選手だが、そんな彼女の数週間後にドマジュリツェにやってきたのが北口だった。シチャコバーは憧れの選手として北口の名前を挙げる。

「ここで練習できることがとてつもない幸せ。自分は成長していると思います。ハルカのスポーツに身を捧げるその姿勢が本当に好きで、一緒に食事に行くこともあります。砲丸を使ったトレーニングでは、私は前に投げるのが得意だけど、ハルカは後ろに投げるのが得意なんです。コーチも混じって誰が最初に目印を越えられるか競ったり、投げるスピードを競ったりしています。最高の時間です」

 
 
 
 
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2020年ドマジュリツェで練習後のシチャコバーと北口

ハルカの存在でチーム全体が育っている

 セケラークについて、「チェコの陸上連盟に所属していながら、日本人の指導にうつつを抜かしている」と、理解のないチェコ人から連盟に苦情が届くこともある。しかし、これにもセケラークは丁寧に説明をしている。

「日本人は時間を守るし、謙虚にコーチの言葉に耳を傾けるし、自分をどうケアするかという姿勢をハルカはチームに伝えている。彼女の存在でチーム全体が育っているんです」

 北口は自分が予選を突破できなかった大会では、頬に小さなチェコ国旗をペイントして、チェコ選手を応援していたこともある。「知っている選手を応援するのは自然なこと」と北口は言う。

北口のチェコ語とやり投げスキルを育てた街ドマジュリツェ

 セケラークのチームは、地元サッカーチームのスタジアムをときどき練習で使っている。このチーム「イスクラ・ドマジュリツェ」は、かつてヴィッセル神戸に所属していたホルヴィことパヴェル・ホルバートが昨シーズンの監督を務め、リーグ2位の成績を残している。

 セケラークは「ここにも日本とのつながりがありますね。私たちはドマジュリツェのあらゆるところで練習していて、街全体が力を貸してくれています」と笑う。

 セケラークのチームで練習し、同じカフェに通い、同じスーパーで買い物をし、同じレストランで食事をし、北口のチェコ語とやり投げのスキルはこの街の人々に囲まれて育っていった。8月12日の祝賀会でセケラークは笑顔でこうスピーチした。

「未来が私たちにまだまだすばらしい成果を見せてくれることを願っています。より高いところにあるのは何でしょう? シュポターコバーの世界記録を塗り替えること。それに向けて私たちは努力を重ねますので、またここでみなさんとこんなふうに会うことになるでしょう」

 いよいよ来年は、北口とセケラークが二人で最初に設定した目標、東京2025世界陸上の年である。

(梶原 初映)

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