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「押し切ったらいけてしまった」岸田文雄首相が「聞く力」を捨てて独断型に変わった“あの国葬の成功体験”とは

文春オンライン / 2024年8月20日 6時10分

「押し切ったらいけてしまった」岸田文雄首相が「聞く力」を捨てて独断型に変わった“あの国葬の成功体験”とは

8月14日、会見で自民党総裁選不出馬を表明した岸田首相 ©時事通信

 サプライズを仕掛けたつもりでも、周囲を困惑させるだけの人がいる。思い起こせば岸田首相もそんなおじさんでした。

 次の自民党総裁選に出馬しないと表明した8月14日の記者会見。なぜこの日だったのだろう。日本にとって大切な「8月15日」の紙面が政局記事で埋まってしまうという想像力はなかったのだろうか?

 お盆明けから次の総裁を狙う人たちが手を挙げるから、追い込まれた印象の前に先手を打ちたかったのかもしれない。でもそれなら南海トラフ地震臨時情報の期間が明け、戦没者追悼式を終えた、たとえば16日(金)の表明ではダメだっただろうか。そんなに驚かせたかったのだろうか(その割にはあまり驚かれてもいない)。

 岸田首相の「唐突」は、最近では岸田派の解散だ。政治倫理審査会への出席も突然に言い出したこともあった。リーダーシップを発揮して局面を打開したならともかく、混迷をさらにかき回しただけだった。

産経の社説は「岸田首相には評価できる点もある」と総括

「唐突」「ちぐはぐ」は岸田政権の特徴だ。ためしに検索してほしい。岸田政権に関するニュースがぞろぞろ出てくるはずだから。

 では約3年間の岸田政権の功罪の「功」は何だったのだろう。新聞各紙(8月15日)を見てみよう。

 首相自身は14日の記者会見で、賃上げや投資の促進、エネルギー政策の転換、少子化対策、防衛力強化などを挙げ、「大きな成果を上げることができたと自負している」と強調した(毎日新聞)。

 産経新聞の社説は「岸田首相には評価できる点もある」とし、

・厳しい安全保障環境の中で、反撃能力保有や防衛費増額など防衛力の抜本的強化を決断した。安倍晋三元首相以来の安保政策の流れをさらに大きく前進させた業績を、岸田首相は誇ってよい。

・安定電源である原発の再稼働推進や、東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出も評価できる。賃上げの促進など、日本経済のデフレからの完全脱却に向けて尽力した。

 などを挙げていた。

社説が浮かび上がらせる「唐突」「ちぐはぐ」な岸田政権

 読売新聞の社説は、

・23年度からの5年間の防衛費をそれまでの1.5倍超に増やすことを決めた。

・敵基地攻撃能力についても、保有に舵を切り、安保政策を大きく転換した。

・日韓関係を改善させた。

・少子化対策として児童手当や育児休業給付の拡充を柱とする法改正を実現させた。

 などを挙げた。ここで注目したい言葉は「道筋をつけた」である。実はそのプロセスについて問われていたからだ。

 毎日新聞の「脱デフレ進展も 財政再建半ば」(8月15日)では、

・防衛費大幅増額は必要な追加財源は法人、所得、たばこ3税の増税などで賄うとしたものの、増税時期は未定のままだ。

・看板政策の「次元の異なる少子化対策」は財源となる支援金制度は医療保険料に上乗せして国民、企業から1兆円を徴収するのに、首相は「実質的な追加負担はない」と主張。若い世代を中心に不満と不信感がくすぶる結果になった。

 などなど、「国民に負担を求める財源確保は後回しにする傾向が強かった」と指摘。首相を「増税メガネ」と揶揄(やゆ)する言葉も出回り、政権浮揚策として1人当たり4万円の定額減税を始めた例も挙げている。

 さらに社説では、

《理念や哲学は見えず、多くの政策が人気取りのバラマキと映った。》(毎日新聞)

 ここで書かれていることは先述した岸田政権のキーワード「唐突」「ちぐはぐ」にもリンクしないだろうか。

 信濃毎日新聞の社説では、

《首相の「聞く力」は、賛否の割れる問題の片側の意見にしか向いていなかった。閣議決定などで主要政策を決定する政治手法の常態化は国会軽視であり、民主主義をないがしろにしている。》

 と政治手法について問われていた。

岸田首相はいつから「聞かなくなった」のか

 そういえば「聞く力」を掲げて登場した岸田首相だったが、いつから「聞かなくなった」のか。約1年前の当コラムでは岸田首相の分岐点について考えている。

 岸田氏は首相就任後、政策や決定を出して世論に不評だと、あとから“軌道修正”するというスタイルをとっていた。発足から4か月となる岸田政権について『政策の軌道修正繰り返す岸田政権…支える官邸の重厚布陣』と報じられている(読売新聞オンライン2022年1月28日)。

 そんな岸田首相が独断で大きな決断をした。

 2022年の安倍晋三元首相の「国葬」だ。世論調査では徐々に反対の声が大きくなったが、得意の軌道修正はしなかった。閣議決定もしたので引っ込みがつかなくなったように見えた。ところが、押し切ったら「いけてしまった」のである。

 あれが分岐点ではなかったか?

 岸田氏と安倍氏でいえば、2022年の読売新聞「新年展望」(1月3日)で安倍氏は次のように語っていた。

安倍晋三元首相が岸田首相に“期待していたこと”とは?

《国会では、憲法改正論議の進展に期待しています。ハト派の宏池会から出ている岸田首相の時代だからこそ、一気に進むかもしれません。》

 岸田首相は安倍氏の期待通りに憲法改正を言い(最近もあらためて口にしていた)、敵基地攻撃能力の保有など安保大転換は安倍氏の予言と期待どおりだった。

 同時期の朝日新聞は岸田首相について、

《批判を受ければ、ためらうことなく方針を転じる。変わり身の早さを、自民党幹部はこう評する。「ぬえみたいな政権だ」》(朝日新聞2022年1月5日)

 変わり身の早さを可能にしているのは「岸田自身のこだわりのなさだ」と評していた。

 ビジョンがなくこだわりがない岸田首相はなんでも飲み込んでしまう。この調子でどこまで行くのかと思い、私は当時「本当は怖い岸田政権」と名付けた。

 今こうして約3年間の岸田政権を振り返ると“実績”といわれる政策のセットとして「唐突」「ちぐはぐ」「国会軽視」「民主主義ないがしろ」などがついてまわる。

 徹底してプロセスがおそろかで、何か決めたように見えるが実態はあやふや(財源確保は先送りなど)なこともわかる。それは旧統一教会問題や自民党裏金問題の対応でも繰り返された。やはり「本当は怖かった岸田政権」ではなかったか。

就任直後の「新しい資本主義」「岸田ノート」はどこへ

 岸田氏は何をやりたくて首相になったのだろう。退陣表明を見て思い出したのは、岸田氏が子どもから首相になりたかった理由を尋ねられ「こうなってほしいと思うことを先頭に立って実現する仕事をしたいと思った。日本で一番権限が大きい人なので首相を目指した」と答えたことだ(昨年3月)。

 しかし広島選出で核廃絶がライフワークという割には世界に対して歴代首相と言うことが変わらなかったのは不思議だった。

 就任直後に語った「新しい資本主義」はどこへ行ったのか。「火の玉」も「岸田ノート」もどこへ。安倍・菅政権の政治手法を「民主主義の危機」と訴えた3年前の総裁選出馬会見の姿はどこへ。

 目の前のことをこなした約3年間という自己評価かもしれない。しかし総裁再選に色気を持って安倍派などに気を使い、国民には目先の人気取りに励んだ。その結果、何をやりたいのかわからない人になった。次の人にはやりたいことを明らかにし、国会の議論を大事にするところからまず始めてほしい。

(プチ鹿島)

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