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『ジョゼと虎と魚たち』のヒットで一躍注目を集めた犬童一心監督の“ブレイク前夜”「広告業界の天皇陛下みたいなディレクターに呼ばれて…」

文春オンライン / 2024年9月1日 11時0分

『ジョゼと虎と魚たち』のヒットで一躍注目を集めた犬童一心監督の“ブレイク前夜”「広告業界の天皇陛下みたいなディレクターに呼ばれて…」

犬童一心監督 撮影 藍河兼一

〈 「大学に入ったら、大島弓子を映画にすると決めていた」犬童一心監督にそう決意させた「少女漫画の力」 〉から続く

 映画監督になる道は細く不安定だった。隆盛を極める広告業界に入り、CMづくりを始めた犬童監督。たまたま作った作品が市川準監督の目に止まって……。好評インタビューシリーズ第4弾の最終回。(全4回の4回目/ #1 、 #2 、 #3 を読む)

 ◆◆◆

商業映画デビューしていった仲間たちと『パンツの穴』

――あの頃、8ミリからそのまま商業映画に進む人が増えてきていましたよね。石井聰亙さんとか、手塚さんとか。

犬童 今関さんもそうだもんね。まさに一緒にやっていた今関さんが『アイコ十六歳』で、大林さんプロデュースで映画の世界に行くから。

――そういう道は考えなかったんですか?

犬童 今関さんみたいに大林さんがプロデュースしてくれるとなれば撮ったかもしれないけど、それはなかったし。その頃だと映画会社が助監督を募集していないから、ピンクとかフリーの助監督で下に付いて映画界に入るか。でも、不安定すぎるのと、徒弟制がまだ映画業界には残っているし嫌だなと思って。それで、映像業界なら何でもいいから、広告のほうに入社した。別にCMとか何も興味なかったけど。その頃だと広告は隆盛を極めていて、募集している会社も多かった。小中君は映画監督になりたいと思ってたの? 

――手塚さんとかは別格の人だと思っていて、僕も映像の会社に就職しようと思っていたんです。だから、就職の材料にしようと、大学2年で『星空のむこうの国』を企画し始めた。

犬童 作った作品を見せようと? 

――16ミリだったら見てもらえるかな、と思って。だけど資金集めに時間がかかって、結局大学4年の卒業する春に撮ることになって、就活どころではなくなってしまった。

犬童 僕は大学生の頃、職業として映画監督になりたいってそんなに思ってなかったんです。食べていくためには、撮りたいものがないけどやらなきゃいけないということでしょう。

――それはそうですね。生活のことを考えると。

犬童 それがイメージできなかったんですよね。就職する前、ある商業映画の企画を頼まれて考えたことがあったんです。でも、これを映画にしても全然面白くないなと思って。その時、仕事にすると、こういうことをやらなきゃいけないんだなと。

――それがプロというものだな、と思ったんですね。

犬童 そう。それは『パンツの穴』だったんだけど。鈴木則文さんが撮る。

――そうだったんですね。

犬童 学生が考えたほうがいいんじゃないかと言われて。考えるんだけど、僕はまるっきり面白くないのね。たぶん今頼まれたら違うけど。鈴木さんがすごいのは、鈴木則文の映画にしちゃえるでしょ。超プロだから。

――自分の思いを出すのが映画だと思っている自主映画の人に、それをやれというのはかなり難しいと思います。

大阪の路上で隠し撮りしたスカラシップ作品『二人が喋ってる。』

――『二人が喋ってる。』はCMの仕事をしながら撮ったんですか?

犬童 大阪の若い女性漫才コンビの解散の危機を描いているんですけど、商業映画じゃなくて、スカラシップの作品なんです。キリン・コンテンポラリー・アワードで山村浩二さん(注1)と作ったアニメーションと実写を組み合わせた短編が最優秀作品賞になった。スカラシップが付いていて、「翌年までに必ず何か作ってください。お金は出しますから」と言われて作った。だから、この映画は僕の中に予定はなかったんです。授賞式で山村君と大阪へ行って、ずっと歩き回って、メチャクチャ面白かったんです。もう外国だよね。だから、外国ロケの映画を作れる気分で撮ったのがこの映画。

――いろいろ街の中で芝居してますもんね。

犬童 全部隠し撮りしてる。ジャイロ付きのバイクの荷台にカメラマンを乗せるじゃないですか。それにでっかい冷蔵庫の段ボールをかぶせる。レンズだけ出るようになっていて、段ボールを運んでいるようにしか見えない。

――周りの人が見てますよね。

犬童 あれ、芝居してる人を見てるんですよね。すごく撮影も面白かったですよ。

――あれは台本どおりなんですか? それともアドリブが多いんですか?

犬童 ほとんど台本どおりです。この人たちがアドリブを始めると収拾がつかないから、基本アドリブはなしで。やってる漫才まで台本に書いてある。

――そうなんですね。アドリブかなと思うぐらい、すごく自然でした。久々に自主映画スタイルで映画を撮って、また映画の世界に戻ろうと思ったんですか?

犬童 これはスカラシップで撮っているから、翌年のキリン・コンテンポラリー・アワードで上映しただけ。全然何の話題にもならず、批評も一つも出ず、マスコミにも全然出なかった。

「広告業界の天皇」市川準との出会い

――でも、監督協会の新人賞を取りましたね。

犬童 東京でも見たいという友達がいて、渋谷の現像所で試写をやったんです。そこで鈴木秀幸というCMプランナーの友達がものすごく気に入ってくれた。その時、テレシネのVHSを鈴木さんに1本あげたんですよ。鈴木さんがその帰り道で市川準さんとばったり会って、市川さんに「これ今見てきたけど、すごい面白いから見てください」とVHSを渡したんです。

 それで、1カ月ぐらいして、市川さんから会社に電話がかかってきた。僕はその時仕事で外に出ていたから、会社から「市川準がお前に会いたいって言ってるぞ」と電話がかかってきた。市川準って広告業界の天皇陛下みたいなディレクターなので、それが僕を探しているのは何だと。それで電話したら、ちょっと会ってくれないかと言われて市川さんと会ったんです。何のために呼んだかというと、脚本を書いてくれと。僕が今まで何のCMを作ったか、どういう映画をやったかとか一切聞かないで、「映画すごく面白かったんだけど、僕も大阪で映画を撮りたいと思っているから、大阪を舞台にした映画のシナリオを書いてくれないか」と。

 あと、市川さんは『二人が喋ってる。』を絶対に東京で公開しろと言うんです。「できることがあったら俺はするから」と、『キネマ旬報』の試写室欄にこの映画の大絶賛評を載せてくれたんです。それで、「市川準がメチャクチャ褒めてる映画があるぞ」となって、映画監督協会の新人賞の選定をしている人間が見せてくれと言ってきた。あと、サンダンス・フィルム・フェスティバル in 東京の下見審査をしている人が、市川準が褒めているからと見てくれて。それで、映画監督協会の新人賞とサンダンスのグランプリに両方なったんです。賞をもらったので配給会社が付いて、銀座の映画館で公開され、商業映画になった。だから、市川準さんのおかげです。市川さんが「絶対に公開しろ」と言って試写室欄に書いてくれなかったら、たぶん僕は会社の企画演出部の部長になっていたと思います(笑)。

『大阪物語』の脚本から『金髪の草原』『ジョゼと虎と魚たち』へ

犬童 初めて会って1年近くたってからまた市川さんから電話が来た。「この間言ってた大阪の映画、できることになったから」と。市川さんが三井のリハウスのオーディションで池脇千鶴を見つけたんです。彼女が吉本に入って、市川さんが吉本と一緒に池脇さんの映画を作ることになっていた、それで夫婦漫才の芸人の娘の話を書いて、『大阪物語』を作ったんです。

 池脇さんの2作目を作ることになって、市川準さんだと金がかかりすぎるから僕に撮ってくれというので、『金髪の草原』を撮った。それで、池脇さんでもう1本作ろうとなって、『ジョゼと虎と魚たち』を作るというふうになって、だんだん映画を作るようになった。

――『金髪の草原』は大島弓子原作ですね。

犬童 大島さんの『金髪の草原』は前から映画にしたかったんです。その次の企画はものすごく粘って探しました。池脇さんの能力を100%発揮できる企画は何かと、久保田修(注2)さんとすごく探した。『金髪の草原』は池脇さんの能力を使い切ってないんですよ。もっといけると分かっていたので。それで、久保田さんの奥さんが『ジョゼと虎と魚たち』の原作を持ってきたんです。

――商業映画を撮り始めて、自主映画との違いを感じることはありますか?

犬童 うーん。一番何が違うのかな。自主映画には俳優っていないじゃない。

――友だちとかでプロの俳優はいないですよね。

犬童 プロになってから一番何が違うかというと、俳優がいることなんですよ。僕は俳優で映画を撮っているんです。俳優をどれだけ生かすかは、CMからなんです。映画を撮ってもやっぱり主役がよく見えるように、わき役ならわき役がよく見えるように、俳優の人がよく見えるようにといってずっとやっている。俳優と付き合うのは新鮮だったんです。

撮影 藍河兼一

注釈
1)山村浩二 アニメーション作家、絵本作家。犬童監督と『金魚の一生』を制作。

2)久保田修 映画プロデューサー。犬童作品は他に『メゾン・ド・ヒミコ』『のぼうの城』など。

いぬどう・いっしん 1960年生まれ。高校時代より映画製作を行い、『気分を変えて?』がぴあフィルムフエスティバル入選。大学時代、池袋文芸坐と提携して16ミリ作品『赤すいか黄すいか』、8ミリ作品『夏がいっぱい物語』を発表。 大学卒業後CM演出家として数々の広告賞を受賞。98年に市川準監督の『大阪物語』の脚本執筆を手がけ、本格的に映画界へ進出。1999年に『金髪の草原』で商業映画監督デビュー。主な作品に『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『黄泉がえり』『ゼロの焦点』『のぼうの城』『グーグーだって猫である』など。

こなか・かずや 1963年三重県生まれ。映画監督。小学生の頃から8ミリカメラを廻し始め、数多くの自主映画を撮る。成蹊高校映画研究部、立教大学SPPなどでの自主映画製作を経て、1986年『星空のむこうの国』で商業映画デビュー。1997年、『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』でウルトラシリーズ初監督。以降、監督・特技監督として映画・テレビシリーズ両方でウルトラシリーズに深く関わる。特撮、アニメーション、ドキュメンタリー、TVドラマ、劇映画で幅広く活動中。主な監督作品に、『四月怪談』(1988)、『なぞの転校生』(1998)、『ULTRAMAN』(2004)、『東京少女』(2008)、『VAMP』 (2019)、『SINGLE8』 (2022)、『劇場版シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』(2023)など。

(小中 和哉/週刊文春CINEMA オンライン オリジナル)

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