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「認知症の祖母と、ダウン症の弟はホームに入居しました。家族で集まるのは週イチです」作家・岸田奈美(33)が見つけた程よい“家庭内の距離感”

文春オンライン / 2024年8月24日 6時10分

「認知症の祖母と、ダウン症の弟はホームに入居しました。家族で集まるのは週イチです」作家・岸田奈美(33)が見つけた程よい“家庭内の距離感”

岸田奈美さん

〈 父は突然死、母は半身不随で車いす生活、そして弟はダウン症…それでも明るく生きる岸田奈美(33)とは何者か?「不幸を探しているというより勝手に…」 〉から続く

 NHKプレミアムドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」が人気だ。昨年BSで放送されるとドラマ好きの話題となり、ギャラクシー賞奨励賞やATP賞奨励賞を受賞。この7月からは地上波で放送されている。

 原作は、作家・岸田奈美による同名エッセイ本である。家族と身の回りのことを書きつづった内容が、そのままドラマの素になってしまうとは、この書き手はいったい何者か?

 本人の言葉で解き明かしてもらおう。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

岸田家の味方をとにかく増やしたい

 自身のエッセイがテレビドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」になったことは、作家としての岸田奈美さんに刺激や変化、影響を与えただろうか。

「ストーリーを紡ぐことへの意識は高まりましたね。私はふだん自分が書いたエッセイをまったく読み返さないんですけど、ドラマは何度も観る機会があって、なるほどこうやって一本筋の通ったストーリーにするのかとすごく勉強になりました。自分だったらどう表現するかなと考えてみても、実際のドラマよりいいアイデアなんて思い浮かびもしなかったです。

 刺激を受けて影響されて、いまオーディオドラマの脚本や短編小説に取り組んだりしています」

 そうした新しい試みも含め、岸田奈美さんは今日も猛烈な勢いで書き続けている。「主戦場」はブログサービスのnote だ。自身のアカウント内に開設している「キナリマガジン」で、日々長文を公開する。

「キナリマガジン」には膨大な分量のアーカイブがすでにあり、著書もこの5年で5冊を数える。その様子を見ていると、素朴な疑問が湧いてくる。なぜそれほどたくさん書くのか、と。その原動力はいったいどこに?

原動力は「書く」ことではなく、「伝える」こと。その理由は……

「きっと出力回路が壊れているんでしょう(笑)。最近母から聞いてなるほどと思ったことがあったんですけど、私は3歳くらいのころから口癖が『なみちゃんはね、なみちゃんはね』だったそうなんです。しゃべりたいことなんてないときでも、ひたすら大人の気を惹こうとしてそう繰り返していたと。

 自分の話を聞いてもらいたい、自分のことを伝えたいという欲求が、生まれついて強かったみたいです。いまも私の原動力は『書く』ことじゃなくて、ただ『伝える』こと、『わかってもらう』ことにあります。その手段として書きまくっているだけです。自分のことがだれかに伝わり届くのであれば、私はいくらでも自分のことを晒すし、恥だってかきますよ。

 そういえば最近気づいたのは、私にとって弟の存在が、伝えたい欲求をさらに加速させているようなんです。

 ウチの弟はダウン症で、いまのところはまあ何とかうまくやっているけれど、いつ人からだまされるかもしれないし、傷つけられることだってあるかもしれない。私や家族がそばにいないとき、だれが弟の味方をしてくれるのか? と不安です。

 いやもちろん、どうにかするとは思うんですよ。弟は私より性格がよくて明るくて人に好かれるので、本当はこっちが心配する必要もない。だけどやっぱりたまに心配になる。

 じゃあどうしたらいいか。弟のような人間に対して、味方になってくれる人がたくさんいる社会になってくれたらいちばんいい。そういう世の中が、だれにとってもいいかどうかはわかりませんけど、少なくとも私と私の家族にとってはそれがいい。

 自分のことしか考えてなくて申し訳ないですが、とにかく岸田家の味方を増やすことをこれからも考えていきたい。そのために、私や家族のことをもっと知ってほしい、伝えたいという気持ちが強くなるわけです。

 そうなると、書いたものを発表する場所も、読んでくれた人の反応がすぐ返ってきて、『伝わった』という実感を得やすい、noteやSNSが中心になっていくんですよね」

広く読者を得ている理由はどこにあるのか?

 凄まじい速度と分量で書き続けたエッセイが、noteフォロワー8万6千人超、Xフォロワーは25万人弱に届くというのもまたすごい。広く読者を得ている理由はどこにあるのだろうか。

「どうなんでしょう、インターネット上で書くスピード感みたいなものが、自分に合っていたとは言えそうですが。

 幼少時の私は言葉を話し出すのがすごく早かったですし、幼稚園あたりからはずっと同級生とかより学校や塾の先生としゃべるのが好きでした。7歳のとき父の影響でパソコンを始めて、インターネット掲示板に書き込んだりホームページでブログを書いたりするのにずっと慣れ親しんできました。情報の出力がとにかく多くて速かったのはたしかです。

 いまは言いたいことを勢いでいくらでも書いて、それをインターネットを通してみんなにすぐ伝えると、画面の向こうに読んでくれる人がたくさんいるわけで、天職を得た状態と言っていい。こんなうれしいことはないです」

 それほど高速で大量にアウトプットし続けていると、作家の側が消耗し切ったりしそうなものだが……。

ネット上も「ちゃんと距離が保たれている」

「インターネット上で発表していると読者との距離が近過ぎて疲れそうと思われがちですけど、意外にそんなことはなくて、ちゃんと距離が保たれているものです。

 私の場合どちらかというと、実生活のほうがダメージやストレスは多い。けっこう人の好き嫌いがあって、だれにでも優しくできたりはしないんです。基本ひとりでいるのが好きで、長くいっしょにいられるのは家族のみ。飲み会等は苦手で、せいぜい2時間いるのが限界。お酒の席が嫌いなわけじゃないですが、何をしゃべったらいいかわからなくなってきて、電池切れを起こしてしまう。

 つまり私がいちばん優しくできるのは、ネットの向こうにいる人に対してなんです。思うに人ってそれぞれ、相手に優しくできる距離感が決まっているじゃないですか。この人とは2泊くらいなら一緒に旅行できるけど、1週間いたらたぶんしんどくなってしまうな、ってことはある。ということはその相手に対しては『2日間まで』というのが、優しくできる距離感です。

 ドラマにも出てくるウチの祖母が認知症になったとき、本当のことを言うと私は家に帰りたくない気持ちのほうが強かった。いつも家の中で暴れているし、そのせいでずっとだれかとだれかの気持ちがぶつかっている状態だったので。

 しばらくのち、おばあちゃんはグループホームに入って、弟もホームに入居して、さらには私と母も別々にひとり暮らしするかたちとなりました。週末だけ集まってご飯をつくり食べる生活パターンにしたのですが、それくらいの距離感だと私もみんなに優しくできた。『まあ1週間に1回のことやしな』と、何でも笑って済ませられるようになった。そのときの岸田家にとっては、週イチ集合という戦略的距離感が、お互いを思いやれて自分のことも好きでいられる適度なものだったということです。

 私としてはインターネットを通した顔も見えない相手とのほうが、いい距離感を見出しやすくなっているところはあります」

「読者のみなさんのどんな反応だって私にはおもしろい」

 読者は岸田さんにとってどんな存在だろうか。

「伝えたい欲求ばかりが肥大している私です。私が伝えたいことを受け止めてくれる相手には感謝以外ありません。

 ただ読者のみなさんも、私の書いたものをうまいこと利用してくれているのかなと思うことはあります。noteやSNSの反応を見てみると、私のエッセイを読んだあと、みなさん感想だけじゃなくて自分の話をしまくっています。私の文章を話のマクラのようにして、『いやそれでいえばウチも家族が車椅子で~』とか、『ウチも夫が不倫しやがって~』とか、こちらからするとイヤ知らんよという話を延々と書き込んでくれている。

 きっとみんな、自分の話を聞いてもらいたいのに、身近な相手は忙しくてなかなか耳を傾けてくれない。そんなとき、どんなトラブルもさらけ出している私や私の読者なら、きっと聞いてくれるんじゃないかと考えるのはよくわかります。

 読者のみなさんのどんな反応だって私にはおもしろいし、糧になるし、考えさせられること・教えられることが多いです。

 あるときSNSを通して私に『死ね』というメッセージを送ってきた子は、じつは自分自身が障害を持っていて、学校でいじめられていたやり方を私にぶつけてきていたのだと、あとからわかりました。その子が抱えてた苦しみや悲しみを、私がまた伝えていかないとと思いました。

 また、私がコロナのワクチンを打った話を書いたら、すごくキレてきたおばあちゃんもいました。ヤバそうだから無視しようと思っていたら、そのメッセージがとても心打つもので。かつて家族の方が末期がんになり、病院の先生に言われるままに抗がん剤治療をしたところ、最期はめちゃくちゃ苦しみながら亡くなられたのだそう。

 以来、医者のことを信用していないのだという。それで私にもすごくキレてきたんですね。そういう背景を聞かずに済ませていたら、そのままお返事をしないでいました。

ドラマを通して味方が増えてくれたら……

 このおばあちゃんの激しい怒り、私には理解できるところが多かったんです。私が父を亡くしたとき、病院の先生は18時42分ですと死亡時刻を冷静に言うばかりで、正直、なんて冷たいのかと思いました。でも、あとから母に聞いたところその先生は、『娘さんが中学校から到着するまで何とか心臓を持たせるんだ』とバンバン薬を投与して心臓マッサージしていて、私が到着したときは必死に泣くのを我慢しているようだったとのこと。

 父を亡くした直後の私は、ただ自分が苦しくて悲しくて、だれかを恨みでもしないとやっていられない気持ちで、病院の先生にあたっていただけだった。私にキレてきたおばあちゃんとやりとりをして、そのことを思い出したんです。

 読者のみなさんがいつも私に、いろんなことを気づかせてくれていますね。

 さっきも言ったとおり、読者の方々は私と岸田家の味方に違いないと、私は勝手に信じていますから。ドラマをきっかけにして、味方がさらに増えてくれたら、こんなに心強いことはありません」

撮影 青山裕企

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テレビドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」
https://www.nhk.jp/p/ts/RMVLGR9QNM/

(山内 宏泰)

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