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「初当選までは、死ねと言われたことが何度かありました」“コバホーク”小林鷹之が明かした“挫折体験”〈ポスト岸田に急浮上〉

文春オンライン / 2024年8月20日 17時0分

「初当選までは、死ねと言われたことが何度かありました」“コバホーク”小林鷹之が明かした“挫折体験”〈ポスト岸田に急浮上〉

自民党総裁選への出馬を表明した小林鷹之氏 ©文藝春秋

8月19日、自民党総裁選への出馬を表明した小林鷹之氏とは何者なのか。文藝春秋の座談会に登場した小林氏が語った若き日々とは……。

◆◆◆

「総理ってかっこいいな」

 青山 小林さんの経歴について伺いますが、岸田総理と同じく開成高校出身なんですね。これまでも交流はありましたか?

 小林 最初と2回目の選挙は非常に厳しかったので、岸田総理に応援に来ていただきました。岸田総理というと一般的に温厚なイメージだと思うんですが、実は男気に溢れています。印象に残っているのは、土砂降りの中、スーツがビチョビチョになりながら、マイクを握って熱弁を振るってくれた姿です。演説後もそのまま商店街を一緒に練り歩いて、「小林をよろしく」「小林をよろしく」と一人ひとりに頭を下げてくれた。このご恩は一生忘れません。

 青山 そもそも、小林さんはサラリーマン家庭で育ったそうですね。

 宮崎 「世襲」とは無縁なんだね。

 小林 親戚にも政治家はいません。先日、小学校の卒業文集を見返したら「将来、総理大臣になってアフリカの難民を救う」と書いてありました。その頃、政治なんて全然分からなかったのですが、当時の中曽根康弘総理と米国のレーガン大統領が「ロン」「ヤス」と呼び合うのをテレビで観て「総理ってかっこいいな」と。

 青山 東大法学部から大蔵省に入省されますが、大学ではボート部だったので「体力採用」だったとか。

 小林 そうですね(笑)。最初に配属された理財局の総務課長は、「お前は財政のことは何も分かってない。ボート部で鍛えた体力と負けん気の強さに可能性を感じたから採った」と。実際、当時は体力勝負で、毎日深夜まで働いていました。

 青山 地下の仮眠室は“ホテル大蔵”と呼ばれていましたよね。

 小林 12月の予算編成は特に忙しく、月曜に登庁して、連日仮眠室に宿泊。次に太陽を見たのが土曜の朝なんてこともありました。

谷垣禎一氏に立候補を直談判

 青山 政界入りを考えたのはワシントン時代だと聞きました。

 小林 2007年から3年間、日本大使館に赴任した時に、「政治家になろう」と腹を括りました。米国での日本のプレゼンスが極めて低く、危機感を覚えたのです。親しくなった米国財務省の職員から「今、タカと約束しても、来年日本の総理が代わるかもしれないから意味ないよね」とズバッと言われ、物凄く悔しかった。

 青山 当時は1年ごとに総理が代わっていた時代ですからね。

 小林 2009年の政権交代前後に、普天間飛行場を巡って鳩山由紀夫総理が、「最低でも県外」、「トラスト・ミー」と発言。日米同盟がトップの一言でガタガタと崩れていくことを感じ、このまま官僚でいて本当に良いのかと。そこで便箋に何枚も思いを綴り、谷垣禎一総裁に送り、立候補を直談判したのです。

 その後、数多くの先輩方にお世話になってきました。私が所属した旧二階派は元々、伊吹派でしたから、伊吹文明元衆院議長には保守とは何かなど、思想的な面を含めて今でもご指導いただいています。

 二階俊博先生にもいろいろ教えてもらいましたが、その指導は非常にシンプルでした。一つは選挙。選挙に勝たないと何の仕事もできませんから、「とにかく選挙区を歩いて現場を見ろ。勝敗は自分の靴底を見れば分かる」と。もう一つは、「仲間を大切にしろ。仲間が何かをする時は助けろ」。「本気になる仲間が5人いれば、たいていのことは成し遂げられる」とおっしゃっていました。

 他にも、経済安全保障分野では甘利明代議士に育てていただいた。国家のあり方を俯瞰し、政策にも精通している。私が尊敬するリーダー・安倍元総理と強固な関係を築いて、TPP(環太平洋経済連携協定)の激しい交渉を担当されました。

 青山 小林さんには、二階さんの言う「5人の仲間」はいますか?

 小林 います。仲間との飲み会も大切ですが、意識しているのは政策作り。私は自分で提言などを書きますが、時には党内で意見が割れたり、官僚と対峙することもある。そこで仲間や先輩に助けてもらい、協力して調整する。修羅場を共にした仲間はやはり信頼できます。

 青山 開成、東大、大蔵省にハーバード大学留学。まさにエリートという経歴ですが、挫折や苦労した経験はあるんですか?

 小林 初当選までは、民主党政権下でもあり、厳しい経験ばかりでした。駅頭で自民党の幟を立てて挨拶すると、「死ね」と言われたことが何度かありました。民主党支援者が多い町内会に呼ばれた時は、「帰れコール」を受けたこともある。挨拶すると、「お前の話を聞きに来たんじゃねえ」と怒られ、「帰れ、帰れ」と。帰ろうとしたのですが、町内会長は自民党支持者だから、「名刺を配れ」と勧めてくる(笑)。配り始めるとさらに怒りを買って、逆にみんな帰ってしまった。あれはきつかったですね。あの頃はお金がなくて、秘書も雇えず、1人でミニバンを運転しながら活動していました。

日本を「自律」した国に

 青山 最後に、小林さんが実現したい「国のかたち」について教えてください。

 小林 一言で言うと、日本を、世界をリードする国にしたい。もう一度、国際社会の真ん中に立たせたい──そのためには「自立」と共に「自律」した国にしなければなりません。他国の動向に右往左往せず、方向性を自らの意志で決める。同時に国際社会で信頼され、必要とされる国にしたい。

 そのためにはまず、国力を高めなければなりません。国家運営の根幹は暮らしを豊かにする経済と、国民を守る安全保障。それを下から支えるのがイノベーションです。そして、イノベーションを生み出すのも、その成果をどう使うかも人。全ての基礎は人づくり、つまり教育です。

 安全保障については、安倍政権で初めて国家安全保障戦略が作られましたが、経済やイノベーションにも戦略が必要。あらゆる分野をまとめた、より高次元の国家戦略を作らなければなりません。国家としての軸が出来れば、米国や中国がどう動いてもブレない。それが無い中で「トランプ氏が当選したらどうしよう」と言っても“対症療法”に過ぎません。

本稿は2024年6月18日に「文藝春秋 電子版」で配信された オンライン番組 を再構成したものです。全文は「 文藝春秋 電子版 」でご覧いただけます。

(小林 鷹之,宮崎 哲弥,青山 和弘/文藝春秋 2024年8月号)

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