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「あ、私のこと分かってんだなって」“ステージ3乳がん公表”梅宮アンナ(52)が明かした“元カレ”羽賀研二からのエールへの“感謝”「あの人はあの人なりの表現があって…」《独占インタビュー90分》

文春オンライン / 2024年8月20日 16時0分

「あ、私のこと分かってんだなって」“ステージ3乳がん公表”梅宮アンナ(52)が明かした“元カレ”羽賀研二からのエールへの“感謝”「あの人はあの人なりの表現があって…」《独占インタビュー90分》

インタビューに答える梅宮アンナ ©文藝春秋 撮影・今井知佑

「私、あの件は別に本当に何とも思ってないんです」

 小誌の独占インタビューにこう答えたのは梅宮アンナ(52)。「あの件」というのは、8月13日に彼女がステージ3の乳がんであることを公表した直後に、元交際相手の羽賀研二(63)が自身のインスタグラム上にアップした“3通のエール”についてだ。

◇◇◇

医師から「がんです」と告げられ「やっぱり」と思った

「私が罹患したのは、『浸潤性小葉がん』という希少がん。がんが散らばっていて、なおかつ塊が大きく、現状では手術のリスクが高いので、2週間に1回の抗がん剤で進行を止め、弱めています。

 異変を感じたのは今年の5月。シャワーを浴びた後に左右の胸の大きさの違いに気づいて、おかしいな、と。その後、右胸に皮膚を引っ張られるような痛みを感じ、慌てて病院へ駆け込みました。

 マンモグラフィーやMRI乳房検査を受けましたが、『がんではない』との診断で、ママはとても喜んだのですが、私は『まだ油断できないぞ』と。今まで勘や直感が当たったことってあまりないんですが……特に異性関係とかね(笑)。でも年齢を重ね、勘が磨かれたのかな。

 7月上旬に生体検査の結果が出て、医師から『がんです』と告げられた時は、『やっぱり』と思いました」(同前)

 そして8月13日、自身のインスタグラムで、がん罹患を公表すると、多くの人からエールが寄せられた。

 そんな中、“元カノ”にエールを送ったのが羽賀研二だった。

羽賀研二からの“エール”の内容は…

《突然の報道を見てビックリしています! 色々ありお互いの道を選択してもう二十数年。こんな書き込みをすると!余計な事を言う人達がいるけど!無視はできない!》

《連日の報道! 女性としてはとても辛い大きな決断! 悩み!苦しみ!希望を失った!多くの人達の指標として大きな一歩を踏み出した。悲しみの中にいるはずなのに強さすら感じる。絶対に負けないで! 貴方は強い! 必ず勝ちます! 頑張って》

《楽しかったこと! 苦しかったこと! 色々なことを思い出す。話したくて! 何か手伝いたくて。負けないで! 必ず勝てます! 頑張って!》

ネット上では「何をいまさら……」と冷めた声も

 芸能記者が語る。

「羽賀とアンナの熱愛が発覚したのは1994年。2人で“ペアヌード”写真集を出すなど、大きな話題になりました。しかし、羽賀の巨額の借金や浮気が発覚したことで、アンナの父親の梅宮辰夫が猛烈に交際に反対。羽賀は記者会見を開くなどし、交際を継続したいと訴えていましたが、99年に破局しました。

 その後、2007年に未公開株を高値で売りつけたとして詐欺・恐喝容疑で逮捕され、13年に実刑判決が確定し、沖縄刑務所に服役。また、妻に財産分与をしたのは、偽装離婚による財産隠しに当たるとして、19年に再度逮捕。

 出所後は友人とともに立ち上げた人材派遣会社に勤める一方、YouTuberとしても活動。『いつか芸能界に戻りたい』とインタビューで明かすなどしていました。そんな中でのアンナへのエールで、ネット上では『何をいまさら……』と冷めた声も多く聞こえました」

 当人は3通のエールをどう受け止めたのか。梅宮が続ける。

「あ、私のこと分かってんだな」

「私、あの件は別に本当に何とも思ってないんです。ただ、言っていた言葉はまともだったんじゃないかなと思います。昔付き合っていた人がそういうふうになった(がんになった)と聞いて、心配する気持ちから出た、人間の普通のことじゃないかなと思います。

 あのインスタでは私の名前を直接は言いませんでしたよね。あの人はあの人なりの表現があって、私の名前を言わなかったじゃないですか。それも配慮してくれてるんでしょうし、だから『あ、なんかありがとう』と。

 それと『あ、私のこと分かってんだな』っていうのはあの文面を見て思ったんです。だからと言って、連絡しようとまでは思わないけど、普通のことを言ってくれて、ありがとうという気持ちです」

◇◇◇

 8月20日(火)12時配信の「 週刊文春 電子版 」および8月21日(水)発売の「週刊文春」では、梅宮アンナ90分独占インタビュー「パパは安楽死を望んだ。私は諦めない」を掲載。7月に主治医から病名を聞かされた時は「やっと私の番が来たか」と思ったと明かした梅宮。計6度のがん手術をした父・辰夫ら家族への想いや、闘病への決意を赤裸々に明かしている。

(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年8月29日号)

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