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「3日目にぶっ壊れちゃって病院へ」目隠しでさらわれ、情報を一切遮断…密室で3ヶ月暮らしたエッグ矢沢(38)が明かす、当時のテレビ番組に思うこと

文春オンライン / 2024年8月30日 17時0分

「3日目にぶっ壊れちゃって病院へ」目隠しでさらわれ、情報を一切遮断…密室で3ヶ月暮らしたエッグ矢沢(38)が明かす、当時のテレビ番組に思うこと

エッグ矢沢

 2010年、TBSのバラエテイ番組『クイズ☆タレント名鑑』で、情報をすべて遮断された生活を送る企画「情報原人」に挑んだエッグ矢沢(38)。

 6月中旬、noteにて『 テレビ番組で監禁されてぶっ壊れた俺が今思うこと 』と題して当時の様子を綴って注目を集めた彼に、出演までの経緯、情報遮断生活が心身に及ぼした影響などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/ 続きを読む )

◆◆◆

天にも昇る気持ちで受けた「情報原人」オーディション

――本日は、よろしくお願いします。

エッグ矢沢(以下、矢沢) あのう、いきなりなんですけど、僕ら世代にとって松本(人志)さんって、もはや神なんですよ。当然、僕は信者も信者って感じで。

 というわけで、文春さんは僕にとってめっちゃ敵側なんですよね……。そこんとこは、最初にハッキリさせておいてください。

――わかりました。それでも、お話を聞かせていただければと思います。オーディションを経て「情報原人」に出たとのことですが、企画内容などは聞かされていたのですか。

矢沢 とりあえず、事務所から「テレビのオーディションがあるから行ってこい」と。TBSのゴールデンとだけ教えられていました。

 当時は、吉本の養成所NSCを卒業して1ヶ月くらいで。NSC卒業直後にテレビのオーディションがくるなんてことは、まず普通はないんですよ。もう、オーディションに呼ばれた時点で頭ひとつ抜けた感じ。だから、天にも昇る気持ちだったし、そうなると「どんな企画なんだろう」なんていうのはどっかいっちゃいますよ。

――「NSC卒業直後にテレビのオーディションがくるなんてことは、まず普通はないんですよ」となると、かえって怪しんでもよさそうですが。

矢沢 当時の自分はそんなこと考えず、「テレビのオーディションが決まった、よっしゃー!」って感じで。

 オーディションには、1個上、2個上の先輩たちと僕らの30人くらいの芸人が集まって。先に呼ばれて戻ってきた先輩芸人が「彼女はいるかとか、バイトは辞められるのかとか聞かれたから、長期間系かも」みたいなことを言ってたんですよ。それが情報として、オーディション待ちの芸人たちに伝わっていって。

 で、みんなは5分から10分でオーディションを終えて戻ってくるんですけど、僕だけ1個の質問に30個くらい返して。死ぬほど喋り倒して、スタッフをドカドカ笑わせて。

――相当な手応えが。

矢沢 間違いなく、受かったなと。ただ、長期間系らしいことはわかっても、詳しい内容は一切わかりませんから。それで『進め!電波少年』みたいにさらわれて外国に行かされるんじゃないかとか、だんだん不安になってきて。

 で、6月になってワールドカップが始まって、先輩芸人から「三軒茶屋に集まってワールドカップを見よう」って電話が来たんです。僕、めちゃくちゃ勘がいいんですよ。だから「あ、これ来たな。さらわれるな」ってピンと来ましたね。

 だって、その先輩って野球好きで、サッカーの話なんか一度もしたことなかったですから。しかも、三茶って先輩にも俺にとっても行きにくい場所だったんですよ。

本田がフリーキックを決めた瞬間にテレビがバチンって消えて…

――ピンと来まくっているなかで三軒茶屋へ。

矢沢 覚悟は決めてましたね。親と友人に「しばらく帰ってこれないだろうし、連絡も取れなくなると思う」って連絡を入れてから、三茶に行きました。

 で、先輩とワールドカップを見ながら飲んでいて、本田(圭佑)がフリーキックを決めた瞬間にテレビがバチンって消えて。「あれ?」と思ったら、テレビの画面に(田村)淳さんが映って、企画がスタートしたんです。

――そして、連行。

矢沢 待機してたロケバスに乗せられて、目隠しとヘッドフォンをされて。その時点では、まだドキドキワクワクしてて。連れて行かれる前の淳さんとのやりとりもウケにウケてたのもあって、「これで俺も芸能人の仲間入りができるんだ」と思ってましたね。

――連れて行かれた部屋はワンルームといった感じで?

矢沢 後々になってわかったんですけど、TBSの近くにあるビルの一室で、ワンルームって感じでした。TBSから歩いて5分くらいのとこ。そこって、簡易編集室とかがあるようなビルなんですよ。ただ、部屋に入るまでは目隠し、ヘッドフォンでしたから、どこなのかまったくわからなくて。

 でも、都内だろうなあとは思ってたんですよ。

何も起こらない部屋で「出たら終了」

――なにゆえに。

矢沢 ヘッドフォンから、曲が流れていたんですよ。三茶を出発してから、曲が5回くらい流れてロケバスが止まったんです。1曲4分として5回で20分くらいなんで、「あ、これは都内からは出ていないな」と。てっきり、山とか森に連れて行かれるものだと考えていたので、ホッとしたのを覚えてますね。

 その部屋に入ってから、一切の情報を遮断された状態で暮らすようにと説明を受けて。なんか、その日はそのまま寝たんですよね。で、朝になって起きたけど特に何かが起こるわけでもなく。

 部屋には、布団と机とテーブル。テーブルの上には、日記帳とペン。ほんと、それだけ。で、何も起きず、誰とも話さず、弁当だけが定期的に支給されるんです。

――窓をテープで塞がれていたり?

矢沢 窓はカーテンが掛かっているだけなんですけど、「開けたら終了」と言われていて。外も見ちゃいけないんです。番組としてはどこにいるのかわかってほしくないんで。

 ドアにも鍵は掛けられていないんです。ただ、とにかく外に出ちゃいけない。やっぱり「出たら終了」なんで。

――時間や場所も情報になるからダメと。

矢沢 そうですね。すべてをシャットアウトして、スタッフも話してくれないっていう。ただ、スタッフは隣の部屋にいたんですよ。最初はわからなかったけど、隣の部屋をスタッフの待機場所として借りていて、僕のモニタリングをやっていて。おそらく、編集もそこでやっていたんじゃないですかね。

誰ともしゃべれない無の地獄

――スタッフからは何か指示されたり?

矢沢 いや、何も言われないんですよ。ほんと、「一切の情報を遮断された状態で暮らすように」っていう説明を受けただけ。

 なので、カメラの前で何時間もずーっとエピソードトークしたり。あと、「第六感を研ぎ澄ませ」的なことも言われていたから、「ひょっとしたら、謎解きゲームとか脱出ゲームみたいな企画で、部屋の中に何か隠してあるんじゃないか?」と考え出して、いろいろ部屋のなかを探してみたりして。

 だって、何もわからないし、何も起きないって、おかしいことじゃないですか。

――不安になりますよね。芸人として、なにかしらリアクションしないといけないんじゃないかと。

矢沢 だから、しゃべるしかないんですけど、そんなもの24時間のうちの一瞬じゃないですか。しゃべるっていっても、大抵は10分で終わってしまうし。エピソードを変えて、いろいろ喋っても、24時間をカバーすることなんてできない。弁当を持ってきてくれるADに話しかけても、完全無視されるし。上に落書きしたり、懐かしい曲を脳内再生したりもしたけど、そんなの2時間が限界ですよ。

「ここにいろ」しかないのって、無の地獄なんですよ。無なのも地獄だったけど、一番キツかったのが誰ともしゃべれないこと。しゃべるのが好きで芸人になったというのがあったので、それができなかったのは大きかった。

3日目にぶっ壊れちゃって病院へ

――どれぐらいの日数で、辛くなりましたか。

矢沢 1日目か2日目から「マジできちぃ」ってなって、それが積もり積もって3日目に1回ぶっ壊れちゃったんですよね。熱が出て、下痢になって、寒くてブルブル震えるみたいな。で、「ウ~」って唸り声を出すくらいまでになっちゃって。それでスタッフを呼んで、泣きながら「限界です」って言ったけど、とりあえずなだめられて続けることにして。

――発熱、下痢、悪寒、呻吟が生じてるなら、とりあえず医者に診てもらうか、休んだほうがいいですよね。

矢沢 精神的にも肉体的にもあんな状態になったのって、生まれて初めてだったから怖くなって。でも、好きで芸人の道に進んだわけだから、なんとか続けてたんですけど。さすがにヤバそうだなってことで、目隠しとヘッドフォンをつけた状態で病院に連れて行かれました。

 ただ、医者にどう状況を説明していいのかわからないんですよ。僕はすべてを教えてもらっていないし、秘密と謎だらけだし。それで医者にも「実はテレビ番組で監禁みたいなことをされてるんです」とだけ話したら、「ストレスでおかしくなってると思うんだけど、やめられないの?」と不思議そうな顔で言われて。だけど僕の立場的に「わかりません」と答えるしかないんですよ。番組がどうかなったら、僕は吉本をクビだし、芸人を続けられない。で、連れ戻されて続行です。

23日目に錚々たる先輩が映り、いきなり中継が

――病院に行ったことで、スタッフの対応が変わったりは?

矢沢 少し話すようになったけど、「時間あるんだからさ、筋トレやんなよ」みたいなことを言うんですよ。でも、そんな気力なんて湧かないんですよ。さらに「一日中ゴロゴロできて羨ましい」って言われたときは、けっこう来ましたね。

――企画の全容がわかったきっかけは。

矢沢 23日目に、いきなり中継が入ったんです。部屋に置かれていたモニターがバチンってついて、淳さんとその後ろにいる錚々たる先輩の方々が映って。こっちは突然すぎてわけがわからないし、心身ともにおかしくなってるからまともに喋れないんですよ。それをイジられたのが悲しくて。続けて「大塚愛さんが結婚しました。相手は誰?」とクイズを出されて「玉木宏」と即答したら、「もっと考えてから言えよ」とか怒られて。

 先輩やMCに振られたら、一言で即答して、なおかつ笑いを取らないといけないって教えがNSCにあるんですよ。それで条件反射で答えるんだけど、おかしくなってるから面白いことが言えない。それも悲しくて。

3ヶ月続いた「情報原人」

――結局、「情報原人」は3ヶ月続くんですよね。

矢沢 1ヶ月が経ったあたりで、本格的に人事不省な状態になってしまったけど、もう力が入らないし、とにかく怖くて「このまま続けたら自殺するな」って思ったんですよ。それで芸人を辞めて、番組も降りようと。それを伝えたら、スタッフがワラワラと出てきて話し合いが行われて「干すぞ」「吉本もクビになるし、今後一切テレビには出れなくなるぞ」とか言われたけど、こっちも限界だったから「辞める」と言い続けて。

 スタッフも絶対に折れないんですけど、そりゃ向こうも仕事だし、家族もいるわけですからね。でも、俺にも家族や大事な人たちがいるし、死んじゃったら会えない。結局、スタッフが折れて「最低でも1クール、3ヶ月は続けてほしい。辞めるなら、1ヶ月前に言って」となって。

――それで3ヶ月で終えることができた。

矢沢 すんなりとはいかなかったです。「1ヶ月前に言って」ということで、2ヶ月目に入って「辞める」と伝えたら「そんな話はしてない」「辞めてもらったら困る」「辞めるなら業界から消す」と言われて。さすがに俺もキレたけど、そこへ他のスタッフが「お前の気持ちはわかった」って割って入って、結局そこから3週間くらいで終わったんですよね。

プロデューサーとはラップバトルで決着をつけたい

――3ヶ月の間、番組のプロデューサーが現場に来たことは。

矢沢 一度も来なかったんですよ。3ヶ月の間で何かを訴えても「すべてプロデューサーが決めるので」と取り合ってくれない。「じゃあプロデューサーの藤井健太郎さんを呼んでくれ。話し合いたい」と言っても、呼んでくれないし、来てくれなかった。だから、僕は藤井さんに対して「出てこいや」っていうのをずっと思っていたし、最後の最後までイライラしてました。

 結局「情報原人」って、あっけなく終わったんです。最後にブワッと盛り上がるわけでもなく。でも、それって俺の責任なんですよ。いくらでもうまくやる方法はあったはずで、それを当時の俺は見つけることができなかった。

 でも、どこかで藤井さんの責任もあったんじゃないかなって。3日で僕は壊れちゃったけど、その責任は上の人間だった藤井さんも取らなきゃいけないんじゃないかという。全部を僕に押し付けていたわけで、藤井さんもうまいやり方があったはずなんじゃないですかね。

――14年を経て、怒りみたいなものがフツフツと?

矢沢 なにかしら決着はつけたいですよね。今度こそ、そこはうまいやり方でやりたくて。

 藤井さんって、ヒップホップが好きなんですよね。なんで、フリースタイルのラップバトルで戦って決着をつけたいなって(笑)。

――ちなみに「情報原人」をやったことで、芸人の方からリスペクトみたいなものは。

矢沢 どうですかね。ある先輩芸人からは「お前、逃げて帰ってきたんやろ」と怒鳴られましたから。

〈 監禁生活中には何度も「なすびを見習え」と…TV番組で“壊れてしまった“エッグ矢沢(38)が語る、14年を経て告白に踏み切った理由とは 〉へ続く

(平田 裕介)

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