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入社1日目の仕事は“偉い人間に認められるまで”「社訓を読み続けること」…今だったらありえない《地獄の合宿風景》

文春オンライン / 2024年8月28日 11時0分

入社1日目の仕事は“偉い人間に認められるまで”「社訓を読み続けること」…今だったらありえない《地獄の合宿風景》

光通信の合宿で見た、すさまじい光景とは…。写真はイメージ ©getty

「あの会社は上場していてすごい会社だ。そして、いろいろとすごい会社だぞ」。父親からはそう教えられた「光通信」に入社した、19歳の若者。実際に入社してみると、初日にして現代ではありえない「地獄のようなすさまじい体験」が…。

 2003年、19歳で光通信に入社したのち最年少の役員に。さらにその後、HIKAKINと出会い、UUUMを創業し、日本のYouTuberの躍進を支えた鎌田和樹氏による初の著書『 名前のない仕事──UUUMで得た全知見 』(ダイヤモンド社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)

◆◆◆

「地獄だ……」

 汗だくなのに、気温は0度。

 部屋には数十人以上の人が押し込められている。

 声が枯れて、ヘトヘトの僕は、「地獄だ」と思いながら、布団にくるまっていた。

 数ヶ月前の僕は、ただ呑気に大学生をしていたのに──。

なぜ「光通信」に入社したのか

 これは、人生最初の「理不尽」についての話です。

 19歳の僕は、高校を出て、大学に在籍していました。

 しかし、授業に出ることはなく、ダラダラと過ごしていました。

 昼に起きて「笑っていいとも」を見て、日焼けサロンに行き、夜はバイトをして、友達とカラオケに行って、朝方に帰る。そんな毎日でした。

 ある日、当時230円の「フロムA」という雑誌を買いました。

「早く社会人になりたい」

 そんな気持ちが芽生えたからです。

 すると、雑誌の1ページ目にある、大きく記載された会社が目に飛び込んできました。

 それが、「光通信」です。

 それを見て、そこに入社しようと決めました。

 理由を聞かれても、「一番上にあったから」という記憶しかありません。

 早く社会人になりたかったのは、当時付き合っていた彼女と同棲がしたかったからでした。ちなみに彼女とはのちに別れましたが(笑)。

 僕の両親は東京の池袋で働いていたことがありました。

 光通信は池袋に本社を構えていたので、父親から、「あの会社は上場していてすごい会社だ。そして、いろいろとすごい会社だぞ」と言われました。

 その「いろいろとすごい」の意味を、そのときの僕は深く考えませんでした(その後、思う存分に味わうことになるのですが)。

 ネットで光通信のことを調べると、本当にいろいろと出てきます。

 たぶん当時より今は少なくなったはずですが、2000年前後のITバブル崩壊のときには社会的にも話題になるほどだったと聞きます。

 履歴書を送ると、すぐに採用されました。

 正直、光通信で何をするのかもわかっていません。けれど、とりあえず職に就くことができたことに安心しました。

 入社して最初に求められたのは、「合宿」でした。

 この合宿が、一言でいうと、「突き抜けていた」のです(昔はこういう時代だったという大前提でお読みください)。

行き先もわからないままバスで3時間走ると…

 会社からの案内で、2泊3日の合宿(研修)があるとのことでした。

 実家暮らしだった僕は、簡単な準備をして池袋の「びっくりガード」という場所に集合し、バスに乗り込みました。

 行き先もわからないまま、3時間くらい走ったでしょうか。

 道中のバスの中では、「光通信の歴史」というようなビデオを視聴させられました。

 バスがどんどん山の中へと進んで行き、長野県にある「高遠」という場所に着きました。

 体育館のようなところに全員が集合し、インストラクター(当時の偉い方)のありがたいお話と、あらためて会社の歴史についての話を聞きました。

 そして、15時くらいに、「社訓と社歌が書いた紙」が配られました。

 ここからが地獄でした。

 僕たちは、その社訓を声に出して読み上げました。

 一度読み終えて、また読みはじめました。

 また読み終えて、また読みはじめました。

 そして、また読み終えて……。

 気づいたら、僕たちはみんな叫んでいました。

 大袈裟に聞こえるかもしれませんが、本当です。

 それからずっと叫び続けたのです。

 どれだけの時間が経ったでしょう。

 すっかり外が暗くなり、おなかが空いていましたが、まだ叫び続けていました。

 誰もが心の中で、「これはいつまで続くのだろう……」と思っているのですが、聞くわけにもいかない雰囲気です。

 そうしていると、やがて、トントンっと肩を叩かれる人が現れました。

 インストラクターが「おつかれさま」と声をかけたのです。

「君はもういいよ」と許された人だけが解放されるという仕組みでした。

 夜ご飯を食べることができ、お風呂に入れるのです。

 僕は、20時半ごろにやっと肩を叩かれました。

 何時間も叫び続けて、すっかり汗だくの状態です。

 何が悪くて遅かったのか、いまだに自分ではわかりません。目つきが悪かったか、声が小さかったか、もしくはただのインストラクターの機嫌か……。

 そんなことを考えて夜ご飯を食べたのですが、

 新しい地獄が待っていました。

〈 「今の時代なら『ブラックだ』と批判されるけど…」それでも「つらい経験」をした人こそ強くなるとわかる《地獄の合宿2日目》の記憶 〉へ続く

(鎌田 和樹/Webオリジナル(外部転載))

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