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「あの謝罪放送で、放送作家としての僕は死んだ」SMAP“公開謝罪番組”で見たことを書き記した本当の理由

文春オンライン / 2024年8月30日 11時0分

「あの謝罪放送で、放送作家としての僕は死んだ」SMAP“公開謝罪番組”で見たことを書き記した本当の理由

SMAP ©文藝春秋

〈 断筆宣言から半年…テレビと離れた今こそ語る、鈴木おさむの「木村拓哉とSMAP」論 〉から続く

 誰もがその名を知る存在なのに、実像はなかなかつかめない。それでよけいに勝手なイメージが増幅し、肥大化した虚像がひとり歩きしていく―― 。それが木村拓哉という存在だ。真の姿を知りたいものだが、それを語れる適任者は思いつかない。いや、ひとりだけいる。放送作家として長年、木村拓哉およびSMAPの面々と苦楽を共にしてきた、鈴木おさむである。

 2024年3月31日に放送作家引退したのを機に、「小説SMAP」をうたった『もう明日が待っている』を刊行。SMAPの素顔の一端を明かしたのは記憶に新しい。テレビの世界を離れて約半年。いまだから語れる「木村拓哉論」「SMAP論」を伺おう。(全2回の2回目/ #1から読む )

◆ ◆ ◆

結婚があぶり出した、5人でいることの強みとありがたさ

 木村拓哉の結婚に関する顛末は、『もう明日が待っている』にも小説としてしっかりと書き込みました。

 当時の衝撃たるや、それは大きいものでした。だって彼は日本一モテる男として君臨していました。何しろ直近の主演作『ビューティフルライフ』は、視聴率40%を超えていたんです。

 そんなトップスターが、結婚し子どもも授かったという。ヘタをすれば、これまで築き上げてきたものがすべて崩れ去る恐れだってある。実際、周りのスタッフの中にもそうなると思っていた人は少なくなかったと思います。快進撃を続けていたバラエティ番組「SMAP×SMAP」の視聴率もこれで落ちてしまうだろう、次作のドラマとして『HERO』が決まっているものの、これまでと同じように数字は取れないんじゃないか……そんな声も聞こえてきました。

 でも、そうはならなかった。結婚のニュースは衝撃的だったけれど、結果的には、木村拓哉とSMAPの人気に影響を及ぼす事態とはなりませんでした。

 なぜだったのか。飯島さんのブレないマネジメントのもと、対応全般にわたって木村拓哉本人が、一貫して真摯に男らしくふるまったというのが、まずは理由のひとつ。

 また本人の力だけじゃなく、彼がSMAPというグループの一員だったということも、大いに助けになりました。

発表会見のあとメンバー全員でお祝いのご飯会

 木村拓哉がSMAPというグループの「エース」であるのは、だれもが認めるところです。同時に「リーダー」は中居正広であり、若くしてNHK紅白歌合戦の司会までこなすなど活躍していました。それでも、ドラマで視聴率40%を稼ぎ出す木村拓哉の存在は、格段に大きかった。

 木村拓哉本人も、自分がSMAPを引っ張っているという認識はあったはずです。それでも自分が結婚したときには、SMAPに助けられたと心底から思ったんじゃないでしょうか。

 結婚を発表した直後のライブでは、メンバーやスタッフがいつも通りに仕事をこなし、きちんと盛り上がりをつくってくれました。発表会見のあとには、メンバー全員が参加してお祝いのご飯会を開きました。緊張感ある対応が続くなか、木村拓哉にとってはほっとひと息つける時間だったと思います。

子を持つ親である木村拓哉は、ほかのメンバーと異なる視点から…

 また当時からSMAPは、メンバーそれぞれが自身の得意分野で活躍しており、そのおかげで「木村拓哉の結婚」だけに話題が集中するのを避けることができた。

 結婚のタイミングでいえば、香取慎吾が「慎吾ママ」のキャラに扮して歌う『慎吾ママのおはロック』が大ヒットし、ブームを巻き起こしていました。これによりSMAPの話題が拡散し、結婚話への批判的な言及をかなり回避できたし、慎吾ママの明るさが結婚をよりハッピーなものに見せる効果もありました。

 だれが全体の設計図を引いているわけでもないのに、SMAPはメンバーそれぞれが、ごく自然に互いを補い合っているところがあります。

 そして、木村拓哉の結婚という出来事がまた、SMAPにプラスの効果をもたらしていきます。28歳で結婚して子どもを持ったメンバーがいることは、グループ全体に深みと厚みを与えたのです。

 たとえば「SMAP×SMAP」の人気コーナー「BISTRO SMAP」で、ゲストとのやりとりで家族の話になったとき、子を持つ親である木村拓哉は、ほかのメンバーと異なる視点から質問や受け答えをするように変わっていった気がします。

 東日本大震災のあとには、彼は「買いだめ」をしてしまう気持ちに理解を示す発言をしたことがありました。皆が買いだめをするとモノが行き渡らなくなるので控えようと言われていたなかで、家族のためを思うとついそうしてしまいたくなる気持ちはわかるという。これは明らかに家族を持つ者の視点だと感じました。

 木村拓哉の結婚は、その後のSMAPというグループを、より豊かで魅力的にしていったのです。

距離を置いて見えてきた、木村拓哉とSMAPの実像

 僕は2024年3月31日をもって、長らく掲げてきた放送作家という看板を下ろしました。

 以来、半年近くが経ちます。すこし距離を置いてテレビや芸能の世界を眺めていると、いろんな気づきがあるものです。

 SMAPについて思ったのは、世の中は元メンバーたちを、いまだSMAPの一員として見ているんだなということ。一人ひとりがこれだけ多様な活動をして活躍しているというのに、全員「SMAPの誰々」とみなされていて、それは5年後も10年後でもきっと変わらない。

 それだけSMAPが巨大な存在だったということなのでしょう。それに、終わり方がスッキリしなかったからというのも、皆がSMAPを吹っ切れない大きな理由になっています。

 よく知られる通り、2016年に彼らの番組「SMAP×SMAP」で、テレビの生放送としては異様な謝罪会見がおこなわれることとなり、彼らはそのまま解散へとなだれ込んでいきます。

 SMAPは、幸せな終わりを迎えられませんでした。ファンからすればあれで解散と言われても納得できるはずもなく、ついグループの「続き」を追い求めてしまうのでしょう。

 たぶんこれから先も元メンバーの全員が、SMAPのイメージを完全に振り払うことは出来ないのではないかと思います。でも、それでいい。無理に振り払おうとせず、自分の一部分としてSMAPを背負いながらやっていくのでいいと思うんです。

 木村拓哉さんは今秋、ライブツアーを予定しているそうです。勝手な願望ですが、ライブでは振り切って、SMAPの楽曲ももっと歌ってしまえばいいのに……と思ってしまいますね。

あの謝罪放送で、放送作家としての僕は死んだ

 僕のほうはといえば、いまだによく聞かれます。SMAPと過ごした日々のことを小説仕立てにした『もう明日が待っている』を書いたのはなぜだったのか? と。

 もともとは謝罪放送について触れた最後の2章を、月刊「文藝春秋」2023年1月号に掲載したのが始まりでした。のちにその前段階を書き足して、2024年3月31日に書籍として刊行したわけですが、これをなぜ書いたのかと問われると、自分でもうまく答えが見つかりません。

 謝罪放送のことを書いたときには、これで放送作家の仕事を干されるかもしれないと思いましたが、それでもいいやという気持ちが上回りました。それくらいあの出来事が解せなかったんです。あの放送がされてしまった瞬間、放送作家としての僕は死んだと心から思いました。

 ファンの人たちは、僕以上に納得がいかなかったことでしょう。あの日からやり切れない気持ちを抱えたままでいる人に対して、僕が見たことを書き記すことによって、ほんの1ミリでもいいから光明を見出してもらいたいという気持ちです。

 SMAPというグループが消え、マネージャーの飯島さんともスタンスは変わるしかない。あれ以降の僕は放送作家としてのスイッチがうまく入らなくなってしまいました。それで放送作家を辞めて、まったく新しい世界へ活動の場を移すことにしたのです。

起業をしようとする若い人たちを支援

 新たに始めたのはベンチャーキャピタル。新しいビジネスに挑戦しようとする若い人たちの相談相手となったり、支援をする仕事です。これまでテレビ番組に携わるときでも、できるかぎり広く世の中を見渡しながらつくってきたつもりなので、人や事業を見極める目は意外にあるほうだと思っています。

 起業をしようとする若い人たちに熱気があるのもいい。かつて多くのテレビマンが帯びていた熱と近いものが、いまはこの領域にあるのだと感じられてうれしいです。彼らといっしょに過ごしていると、自分からもアドレナリンが出る感覚が得られるんですよ。

 新しい仕事が順調なスタートを切れているのかどうか、まだ結果が出ていないので判断はつきかねますが、いろんなことが改めて見えてくるものだなとは感じています。長く付き合ってきた間柄だけど、放送作家を辞めた僕には何の価値も見出さない人はもちろんいます。いっぽうで、こちらの世界じゃ何の地位も実績もない僕に対して、本気で応援してくれる人もいます。これまでやってきたことは無駄じゃなかったと実感できて、感謝の気持ちでいっぱいになりますね。

ちゃんと辞める、そして始める

 こうして新しい世界で存分にやれているのは、テレビと芸能の世界を、ちゃんと辞めることができたからかもしれません。断筆する前の半年間、「週刊文春」にテレビ界への遺言と称したコラムを連載させてもらい、『最後のテレビ論』として一冊にまとめました。地上波連ドラ最後の脚本作として『離婚しない男― サレ夫と悪嫁の騙し愛 ―』も手がけ、たくさんの視聴者に恵まれました。そしてSMAPや飯島さんと仲間との日々を、『もう明日が待っている』に小説として書き残すことができました。

 その著者印税を全額能登の震災の義援金に募金することで、「SMAP×SMAP」に、僕的には「。」を付けられた気がしています。

 ちゃんと辞める、そして始める。僕の場合はそれがしっかりできたので、気持ちの整理ができたし、幸せな気持ちで次へ移ることができました。

 SMAPも、ちゃんと辞めて、そして始めることができていたら……。

 と思うこともありますが、でも、だからこそ物語は続いていくし、その先の明日が待っているのだと思います。

(山内 宏泰)

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