サザンオールスターズはどのように結成されたのか? “国民的ロックバンド”誕生前夜《当初は「温泉あんまももひきバンド」だった》
文春オンライン / 2024年10月14日 11時0分
サザンオールスターズ
1977年のデビュー以来、“国民的バンド”として人気を集めている「サザンオールスターズ」。彼らの半世紀近くの歩みを綴ったノンフィクションが 『いわゆる「サザン」について』 (水鈴社)である。ここでは一部抜粋し、桑田佳祐が青山学院大に入学するまでの日々を振り返る。(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)
◇◇◇
ギターを手にしたのは必然だった
サザンオールスターズの歌に、たびたび登場するのがエボシ岩だ。でも桑田佳祐は、地元・茅ヶ崎の名所を、世に広めようとして歌ったわけではないだろう。嬉しい時も悲しい時も、ふと視界に入るのが、海に浮かぶあの岩だった。無意識のうち、彼の胸に映り込んでいたのが、あの風景だったのだ。
彼がエンターテインメントの世界に身を投じることになるのは、家族の影響もあった。母は耳元で、子守歌代わりにスタンダード曲を歌ってくれたというし、父は桑田が口ずさんだ覚えたての流行歌を、上手だと褒めてくれた。父は一時期、地元の映画館の支配人をしていて、学校が終わったあと、ランドセル姿で鑑賞することも出来た。姉はビートルズのジョン・レノンに心酔した自由な考え方の持ち主で、ビートルズを解散させた元凶はオノ・ヨーコだという噂を信じ、弟を引き連れ、藤沢の実家のお屋敷に、無謀にも抗議に出掛け、家に向かって石を投げ付けたりもした。
中学校の頃は野球に熱中しつつも教室の教壇で即席の歌謡ショーを開き、クラスの人気者だったが、高校へ進んでからは、より楽器にも親しむようになる。姉や友人からの影響で好きになったビートルズは、なにより自分達自身で演奏しながら歌っている。ギターを手にしたのは必然だったのだ。
県立鎌倉高校の学園祭での成功体験
そして運命の日が……。ひとつの成功体験が、その後の国民的バンドを育んだといっても過言じゃない。桑田佳祐、高校3年生の秋。生まれて初めて人前で演奏し、大いにウケた。
私立鎌倉学園に通っていた彼が、友人の伝で、県立鎌倉高校の学園祭に招かれる。江ノ電で楽器を運び、辿り着いた教室は、窓が遮光され、裸電球がぶら下がっている。ステージと客席はロープで仕切られ、大勢の女子も詰めかけていた。自分は男子校だったので、その光景が眩しく、嬉しかった。
当日は、他のバンドも出る予定であり、彼らは前座の扱いとも言えた。しかし贅沢は言えない。なにしろ他校からのゲスト参加だ。演奏したのはビートルズの「マネー」と、ロックンロールの古典「ブルー・スエード・シューズ」だった。
その時、ちょっとした事件が起きる。実は桑田、歌詞はうろ覚え。目の前で、別の友人にカンペを持ってもらっていた。
ところがその彼が、演奏中、女の子とどこかへ消えてしまう。仕方ないのでアドリブで、適当な単語を繫げ、その場を乗り切る。よく考えたら、それは桑田にとって、初めての作詞、ともいえる出来事だった。
そんなハプニングはあったものの、学園祭への参加は大成功だった。持ち前のサービス精神で、気づけば司会役も買ってでていた。演奏のみならず、ギャグを連発。得意としていた長嶋茂雄や王貞治のモノマネなども繰り出し、コンサート会場である教室を、大いに盛り上げた。ただ、桑田いわく当時のモノマネは、たいして似てはいなかったという。とはいえ彼の体には喜びのエキスが充満し、それはまさに、夢のような体験となり、この夢が、ずっと続けばと願うのだった。
大学生になったらバンドに打ち込みたい、素敵な女子とも……
1974年の春。桑田は青山学院大学の経営学部に入学する。受験勉強は、英語と現国を重点的に行った。
晴れて大学生になったら、バンド活動に打ち込みたい。桑田はそんな計画をたてていた。さらに、素敵な女子ともお近づきになりたい。後者に関しては、素敵な女子、どころか、人生の伴侶と出会うことになるのだが……。
1年生のとき、さっそくバンドを組む。「温泉あんまももひきバンド」という、実にユニークな名前は、自ら名乗ったのではなく、気づけばそう呼ばれていたのである。入部した音楽サークル「AFT(青山 フォーク 出発 )」の合宿が長野の温泉で行われた際、1年生ながら、大いに目立ってしまったことも関係していた。
重要なのは、その後、サザンオールスターズのメンバーとなる、関口和之との出会いだ。彼は新潟の出身で、大学のある渋谷からほど近い駅に、アパートを借りていた。桑田は茅ヶ崎の自宅から通っていたが、しばしば関口の部屋を訪ね、下宿生の気分を味わうこととなる。関口は、そんな来訪者を拒むことはなかった。泰然自若たる佇いを崩さず、桑田達を受け入れたのである。
しかしこのバンドは、お世辞にも充実しているとは言い難かった。そもそもドラムが見つからず、本当はギターを弾きたい友達に頼み、無理矢理叩いてもらっていた。ドラムの演奏というのは、両手と両足を器用に連動させてこそサマになるが、急ごしらえのドラマーゆえ、彼は足でバスドラを操り演奏に迫力を加えることもなく、主に上半身のみで頑張ってくれていた。
ドラム・セットは桑田が通販で購入したものである。経営学部の彼のバンド経営は、この出費により逼ひっ迫ぱくするが、是が非でもバンドをやりたいという、強い想いは揺るがなかった。
〈 「全然売れねぇ~」桑田佳祐が振り返る名曲「TSUNAMI」が生まれるまでの“苦しかった日々” 〉へ続く
(小貫 信昭/ノンフィクション出版)
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