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「この野郎、やりやがったな!」決闘中にナイフで顔面を切られ大量出血…“伝説のヤクザ”安藤昇がカタギに戻れなくなった日

文春オンライン / 2024年9月7日 17時0分

「この野郎、やりやがったな!」決闘中にナイフで顔面を切られ大量出血…“伝説のヤクザ”安藤昇がカタギに戻れなくなった日

昭和のヤクザ史に名を刻んだ“カリスマヤクザ”安藤昇 ©文藝春秋

 昭和のヤクザ史に名を刻んだ“カリスマヤクザ”安藤昇。「安藤組」を立ち上げて昭和の裏社会と表社会を自由に行き来し、数々の伝説を残した。安藤組解散後は俳優に転身し、映画スターとして活躍。そんな安藤昇の一生を記した作家・大下英治氏の著書『 安藤昇 侠気と弾丸の全生涯 』(宝島SUGOI文庫)より一部を抜粋し、安藤のトレードマークだった、左頬の傷跡ができた経緯を紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)

◆◆◆

事件のはじまり

 昭和24年(194九年)春、安藤昇(あんどうのぼる)にとって、二度とカタギに戻れなくなる事件が起きる。

 安藤は、その日、銀座みゆき通りの交差点を渡った。

 道路を渡っているとき、向こうから来る男に呼びとめられた。

「安藤さん」

 在日本朝鮮人連盟のバッジを背広の襟(えり)にこれ見よがしにつけている蔡という男である。安藤は、その男の顔を知っていた。

 安藤も、ああ、と一応は軽く挨拶をした。しかし、安藤の挨拶の仕方が横柄な感じだったので、蔡にはよくわからなかったらしい。

安藤が、蔡に丁重な挨拶をしなかった理由

 安藤が、蔡に丁重な挨拶をしなかったのは、理由がある。彼らの戦後の横暴さに、むかっ腹を立てていた。特権を利用して、隠匿物資の摘発をおこなう。それも、強盗同様に押し入ったりしていた。

 電車の中で、平然と酒を飲み、女にからむ。さらに、身動きもできないほどの満員電車なのに、座席を1人でぶんどり、大の字に寝ころんだりしている。

 もちろん、彼らにも言い分があった。日本の軍隊に戦時中、いじめにいじめられていた。その重石(おもし)が、敗戦とともに取れた。彼らもそれまでの屈辱を晴らす意味もあり、暴れまくっていたのであった。

 しかし、現実には、眼の前で彼らにひどい目にあっている同胞を見過ごすわけにはいかなかった。安藤は、彼らの横暴さを目にするたびに、歯向かい、叩きのめしてきた。

「おれが挨拶したのに、どうして挨拶しないんだ」

 安藤は、そのまま通り過ぎようとした。

 ところが、蔡が背後からやって来て、因縁をつけた。

「安藤さん、おれが挨拶したのに、どうして挨拶しないんだ」

 安藤が、このとき、「じつは、おれも挨拶したんだよ」といえば、ことなきを得た。

 が、心の底にわだかまっている彼らの横暴さへの憎しみがあった。

 安藤は、蔡を睨み据えて言った。

「それがどうした!この野郎……」

ことなきを得たはずが……

 そういったときには、安藤の左手は蔡の襟首を掴まえていた。左の襟首を掴まえるのは得意であった。

 同時に安藤の右拳(みぎこぶし)が、蔡の顔面に叩きこまれた。蔡の体は、吹き飛んだ。

 安藤は、その当時右手に包帯を巻いていた。海軍時代から患っていた疥癬(かいせん、皮膚の病気)のせいである。

 その手に巻いた包帯が、安藤にとっては、かえってさいわいしていた。

 包帯が膿(うみ)で固まり、武器になった。相手の顔にパンチを入れ、当たった瞬間、ねじるようにすると、顔が切れる。倒れた蔡の顔も、切れていた。

 安藤は、さらに蔡に飛びかかった。左襟首を掴むや、右拳をもう一発顔面に叩きこもうとした。

 蔡が哀願した。

「待ってくれ!上衣を脱がさせてくれ」

 安藤は思った。

〈サシでやる気だな……〉

 安藤は、堂々とサシで勝負をしようという蔡の根性を見直した。

「よし、脱げ!」

 安藤は、襟首を掴んでいた左手を離した。

背広やズボンは、血まみれ

 蔡は、背広を脱ぎ始めた。そのとき蔡は、背広のポケットに忍ばせていたジャックナイフを、ひそかに取り出していた。

 蔡の体は、安藤に対して斜めに向いていた。そのため、安藤の眼には、蔡がジャックナイフを取り出した側が死角になった。

 安藤の眼に、きらりとジャックナイフの刃が映った。その瞬間、安藤は、左頬(ひだりほほ)に冷気を感じた。数秒遅れて、丸太で殴られたような激痛が走った。頬が、ぱっと開いた。押さえると、生温かい血が、どっとあふれ出た。

「ちくしょう、やりやがったな!」

 安藤は、武器になるものを、あたりに探した。焼煉瓦(やきれんが)が転がっていた。右手で、焼煉瓦を拾った。

 蔡めがけて思いきり投げつけた。蔡は、背を見せ、走った。安藤は、追った。

〈殺してやる……〉

 蔡は、右手にジャックナイフを握ったまま、銀座の路地から路地を逃げた。安藤は、傷口を押さえながら追いつづけた。左頬がゆるんだ感じで、どうしてもいまひとつ体に力が入らない。安藤のせっかくの背広やズボンは、血まみれであった。一升もの血をかぶった感じである。

 2人の姿を見た者は、

「きゃあ!」

 と悲鳴をあげて、左右に散った。

「きれいに縫えよ!このやぶ医者め!」

 しかし、安藤は、蔡を捕まえる前に、MP(米軍の憲兵)2人と日本警官の3人に捕まってしまった。

 そのままMPのジープで、新橋の十仁(じゅうじん)病院に連れて行かれた。十仁病院は、美容整形病院である。

 いざ手術に入ると、安藤は、梅澤文雄院長に怒鳴った。

「おい、麻酔なんて、打たなくていいぞ!」

 安藤は、海軍時代、麻酔を打って傷口を縫うと、あとで傷口がきたなくなる、と聞いていた。

 梅澤院長が、念を押した。

「そのかわり、痛いぞ」

「おれがいいと言ってるんだ!早くやれ!」

「しゃべるな!」

 傷口があまり深く、開きすぎている。中の肉をまず縫い合わせなくてはいけない。それから、表側の傷口を縫うことになった。

 麻酔をしていないので、曲がった針をひっかけられるたびに、頬に、荷物をひっかける手鉤(てかぎ)を打ちこまれたように痛い。

 安藤は、苦痛にうめきながら、梅澤院長にへらず口を叩いた。

「きれいに縫えよ!このやぶ医者め!」

「黙ってろ!うるさすぎて、縫えねえじゃないか!」

 喧嘩のようなやりとりが1時間半もつづき、手術がようやく終わった。表側を、23針縫った。

 中縫いを入れると、30針も縫った。

もう二度と、カタギの世界には戻れない

 手術が終わって、看護婦が安藤の頬の血をきれいに拭った。安藤は、看護婦に頼んだ。

「鏡を見せてくれ」

 看護婦が、鏡を持ってきた。

 安藤は、切られた左頬を、鏡に映して見た。ゾッとした。左頬に、耳の下から口の近くまで、赤黒い百足(むかで)が足を広げて張りついているようであった。

 安藤は、慄然(りつぜん)とした。

〈これで、もう二度と、カタギの世界には戻れない〉

その傷は、安藤のトレードマークに

 安藤は、一生入れ墨を入れる気はなかった。が、安藤にとっての今回の頬の傷は、他人に入れられた入れ墨のようなものである。生涯拭うことはできない。

 安藤は、鏡の中の不気味な傷を睨みつけながら、呪いをこめてつぶやいた。

「やつを、かならず、殺してやる……」

 安藤は、逃げまわる蔡をついに捕まえ、半殺しの目に合わせた。蔡は、それを機にカタギとなる。

 のちに安藤は引退して映画俳優になったとき、評論家の大宅壮一(おおやそういち)と対談する。大宅は、安藤の左頬の傷痕を見ながら『男の顔は履歴書』と色紙を書いた。その傷は、安藤のトレードマークにさえなる。

〈 15歳で施設に入れられ、18歳で少年院行き…少年時代からヤンチャすぎた“伝説のヤクザ”安藤昇が、特攻隊員として迎えた“終戦の瞬間” 〉へ続く

(大下 英治/Webオリジナル(外部転載))

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