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「まじで頭に来て、クソッと思いましたね」国枝慎吾が車いすテニスの試合日程に激怒…絶対王者に立ちはだかったパラリンピックの“ありえないスケジュール”

文春オンライン / 2024年9月10日 11時0分

「まじで頭に来て、クソッと思いましたね」国枝慎吾が車いすテニスの試合日程に激怒…絶対王者に立ちはだかったパラリンピックの“ありえないスケジュール”

国枝慎吾さん ©文藝春秋

〈 パラリンピック直前にケガ発覚、妻に「引退しなきゃいけないかも」と…車いすテニスの絶対王者だった国枝慎吾を襲った“絶望” 〉から続く

 パラリンピックで4つの金メダルを獲得し、世界ランキング1位のまま引退。今年3月には国民栄誉賞が授与された、元プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾。「絶対王者」と呼ばれ、数々のタイトルを獲得してきたが、その裏ではケガや重圧に葛藤することもあった。国枝は、そのような逆境にどのように立ち向かい、道を切り拓いてきたのだろうか?

 ここでは、国枝慎吾と、朝日新聞記者・稲垣康介の共著『 国枝慎吾マイ・ワースト・ゲーム 一度きりの人生を輝かせるヒント 』(朝日新聞出版)より一部を抜粋。右ひじのケガで引退危機に直面した国枝は、痛みを抱えたままリオパラリンピックに挑むことに――。(全3回の2回目/ 3回目に続く )

◆◆◆

信じた最後の奇跡

 なぜ最終的にリオパラに出ることを決断したのか。

 その質問に対して、国枝はしばらく黙った。ICレコーダーで確認すると、7秒ほど。その場の沈黙に耐えきれなかったのか、助け舟を出したのは、北原だった。

「王者の風格をまとっていたからだと思いますよ」

 国枝が口を開いた。

「最後の奇跡を信じたのかも……」

 それまで、ひじの痛みなどがあっても、それを乗り越えて4大大会優勝など、幾多の栄冠をつかんできた実績にすがりたい気分だった。

 南半球のリオデジャネイロに着いても、右ひじの状態は芳しくなかった。

 開幕前、ステロイドの痛み止めの注射を打つか、コーチの丸山らと話し合った。ステロイド注射は関節内の組織をもろくさせてしまうリスクと隣り合わせだ。ためらいがちだったコーチらに対し、国枝に迷いはなかった。

「引退覚悟で打ちます」

過去圧倒していた相手にストレート負け

 3連覇がかかるシングルスには2回戦から登場した。

 ブラジル選手、中国選手にストレート勝ちした後、準々決勝でふだんの4大大会(当時はシングルスの出場枠は8人)でしのぎを削るヨアキム・ジェラール(ベルギー)との対戦になった。過去は12勝2敗と圧倒している相手に対し、強風の中、3-6、3-6のストレート負けだった。

 現地の記者席で試合を見届けた私は、朝日新聞に観戦記事を書いた。あの日は青空で、風が強かったことを覚えている。

 記事の切り口は当然、右ひじのけがに触れたものだ。

 タイトルは「4年に1度の難しさ 右ひじを手術『ため』戻らず」。

今大会では本来のオーラが消えていた

 車いすテニス男子シングルス3連覇の夢を絶たれた国枝慎吾に、勝負の分岐点を尋ねると、「根本的に力負けでした」。

 今年はじめまで約10年、ほぼ世界ランク1位を譲らなかった王者の風格に大抵、対戦相手は萎縮してきた。

 しかし、この日はストレート負けだった。第1セットでブレークされた直後の第6ゲーム。4度ジュースに持ち込んだが、ブレークポイントすら奪えない。4月に右ひじを手術。痛みの再発と闘い、第6シードで挑んだ今大会は、本来のオーラが消えていた。

 右ひじに違和感を覚えたのは昨秋、全米オープン優勝から間もなくだった。苦悩の日々の始まり。

「苦しい1年でした。何度、去年パラリンピックがあったらなあ、と思ったことか」

 全米オープン優勝の翌日、元野球少年の国枝はあこがれの元ヤンキースの松井秀喜さんとニューヨークで対談した。2人が共鳴したのが「ため」だった。

本来の『ため』が、最後まで戻らなかった

 松井さんが「大切なのは、体を早く開かず、球をいかに長く見るか」と話すと、国枝が呼応した。「球をためる、ですね。テニスも軸を作って回転させ、腕の力じゃなくてひねりで打つ。共通しています」。さらに「野球と違い、テニスはバッターボックスが前後左右に変わる。チェアワークが大事なんです」と話が弾んだ。

 この日、国枝は試合勘の欠如を敗因に挙げた。「球への入り方も居心地悪かった。本来の『ため』が、最後まで戻らなかった」。4年に1度の大会にピークをあわせる難しさ。パラリンピックのシングルスで敗れたのは、実に12年ぶりになる。

 試合後のミックスゾーンで、国枝は涙を隠さなかった。同時に、対戦相手への賛辞を惜しまなかった。

「本当に素晴らしいプレーだったと言うしかないです」

「彼とやるときは、ストローク戦では負けてはいけないけれど、できなかった。それが完敗だった証拠。このパフォーマンスじゃ、ノーチャンスだったなと思います」

 リオは4年後の東京大会に向けた通過点と言ってきたが、その思いは変わらないのか。それが気になった。

「おっしゃるとおり、すごく若手が伸びてますし、それは僕も認めざるを得ないところ。少しブレークを取るかもしれませんけど、練習もしっかり積んで、またやり直したい」

痛み止めを打って、右ひじの痛みはかった

 右ひじの状態を考慮し、シングルスに絞って、ダブルスを回避することは選択肢になかったのか。国枝は、ジェラールと戦った日の前日、ダブルスの試合にも出場していた。

「そこに関しては全然悔いがないです。まだ残ってるんで、逆にダブルスにかけなきゃいけない、と思っている。体力的には昨夜、ダブルスの試合があってタフでしたけど、今日コートに入ってみればけっこう元気でしたし、回復してきたな、という感じだったので、そこは何の言い訳もないです」

 元々、負けたときに言い訳をする人ではない。そもそも、負ける頻度が極めて低い「絶対王者」であり続けた。

 ただ、リオでの敗戦は、潔すぎるようにも思えた。

「今でも頭に来ます」素の国枝慎吾がのぞいた独白

 引退後、改めて聞くと、裏話が満載だった。

――リオパラでジェラールに負けた準々決勝の後、右ひじの痛みの影響はなかったと強硬に否定していましたが、言い訳が嫌だったからですか?

「リオでは痛み止めの注射を打っていたので実際、痛くなかったんですよ。そこからほんと2カ月半ぐらい痛くなかった。すげえな、注射って。だから痛みはないのは本当なんですけれど、とにかく仕上がっていなかった」

 その後、国枝は「ただ、言い訳は1つありますけど……」と言葉を継いだ。

 ここから、独白が始まった。ふだんの報道陣に対して発する礼儀正しい日本語ではなく、ぶっちゃけトークが全開になった。

「時間です。覚えてます? ダブルスが前の日、深夜零時半ごろまでやっていたんです。そして、翌日のシングルスが第1試合ですよ。あり得ないと思いましたね、クソッと思いましたね。あれ、まじで頭に来て、今でも頭に来ますよ。あり得ないっす」

 怒りが改めてこみ上げてきたのだろう。恨み節が止まらない。

「だって、選手村に帰ったのが午前2時とかで、次の日、午前10時に試合します? しかも、試合前の練習時間を予約しようと思っても、ジェラールが取ってるから、取れないと言われて。ほかの時間を頼んだら、ここは表彰式のリハーサルがあるからダメ、と言われて、たしか午前8時にウォームアップをすることに。あれは今でも頭に来てるな。あれはないなあ。超怒ったなあ。現地にいた日本の車いすテニス協会の人にも、超怒ったなあ。なんでスケジュールが出たときに交渉してくれないんだ。あり得ないわって」

 素の国枝慎吾がのぞいた。怒りながらも、笑顔で振り返れるところが、この人の度量の大きさだ。

〈 ユニクロの柳井正社長が「すごい車いすテニス選手がいる」と絶賛…パラリンピック金メダリスト・国枝慎吾が日本のトップ企業と契約した経緯 〉へ続く

(国枝 慎吾,稲垣 康介/Webオリジナル(外部転載))

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