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JR常磐線“ナゾの途中駅”「亀有」には何がある?『こち亀』両さん以外の「妙に目につくもの」

文春オンライン / 2024年9月9日 6時10分

JR常磐線“ナゾの途中駅”「亀有」には何がある?『こち亀』両さん以外の「妙に目につくもの」

常磐線“ナゾの途中駅”「亀有」には何がある?

 ここは葛飾亀有──。亀有駅は、東京の東の端にある駅のひとつだ。

 東京都心から東に抜けてゆく鉄道路線は、海に近い南側からJR京葉線・東京メトロ東西線・都営新宿線・JR総武線・京成線と来て、いちばん北を通っているのが亀有駅のあるJR常磐線だ。

 日暮里駅から分かれた常磐線は、隅田川を渡って北千住、続けて荒川を渡って綾瀬駅を経て、亀有駅にやってくる。さらに先を見通せば、中川を渡って金町駅、そして江戸川を渡った先は、もう千葉県は松戸である。

 そんなわけで、亀有駅は東京の北東の端っこに近いところに位置する駅なのだ。この駅の知名度が妙に高いのは、言うまでもなくこち亀、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のおかげである。

常磐線“ナゾの途中駅”「亀有」には何がある?

 葛飾区内には他にも『男はつらいよ』やら『キャプテン翼』やら、名作の舞台が目白押し。こち亀の亀有もそのひとつというわけだが、もしもこち亀がなかったら、いくら町中が賑やかだったとしても、何の変哲もない東京郊外の小駅として片付けられてしまっただろう。それがいまや全国区。こち亀のパワー、恐るべしである。

 そういうわけで、常磐線亀有駅の周囲には、あちこちに両さんの像がある。写真を撮っている人の姿もちらほらと。他にも町中にはこち亀に登場するスポットがたくさんあるから、ファンにとってはたまらないのだろう。

 そんなたくさんの両さん像のひとつ、北口駅前広場の金色の両さんを眺めたら、そのまま町中を歩こう。

 亀有駅北口の駅周辺は、実によくできた商業エリアだ。チェーン店などもあるにはあるが、どちらかというと個人店が中心で、人通りも絶えない賑やかさ。駅前広場の脇には古めかしい釣具店の看板があったりもして、この町の刻んできた歴史を感じさせてくれる。

 いくつもの商店街が縦横に走り、どこを切り取っても平日の真っ昼間から行き交う人は多い。いくつもの店が肩を並べる商店長屋のようなものもあったりして、これこそが下町の商店街、ということなのだろうか。

こち亀でもおなじみの亀有公園の脇を抜けていくと…

 そんな商業ゾーンから東へ、こち亀でもおなじみ亀有公園の脇を抜けてゆくと、ほどなく南北に走る環七通りにぶつかる。

 さすが天下の環状七号線、クルマ通りはひっきりなしで、大きなトラックなんかもバンバン走る。このあたりまで来ればマンションも目立ちはじめ、商業エリアというよりは住宅地の趣が強くなってくる。

 環七通りを少し北に歩くと、すぐに葛飾区から出て足立区へ。実は亀有駅は葛飾区の北の端。駅の北側の商業エリア一帯は葛飾区内だが、足立区との区境が迫っていて、少し歩いただけで足立区に入ってしまう。ただ、町並みの本質は区境を跨いでも変わることはなく、同じような町が続いてゆく。

 環七通りから環七南通りと名付けられた道筋を右に折れると、小学校の前を通った先に見えてくるのが都立中川公園だ。なかなか立派な公園で、真夏の草むす草原が茫洋と広がっている。

この一帯、もともとは日立製作所の工場があった

 この中川公園、もとを辿ると日立製作所亀有工場があった一帯だ。工場までは亀有駅から引き込み線も分かれていたという。引き込み線の痕跡はほとんど消えて住宅地の中に埋没してしまったが、それでも線路際にはそれらしいカーブの路地が残っている。

 いまでこそ、賑やかな下町の商業地というイメージが定着している亀有だが、ひと昔前までは商業地というよりは工業地帯といったほうがふさわしい町だった。

 駅の北、中川公園一帯にあった日立製作所しかり、駅の南側の中川近くには日本紙業の工場もあった。さらに中川を渡った向こうには三菱製紙中川工場。

 そのほかにも、これらの大工場を取り囲むようにして中小の工場がひしめいていた。セルロイド人形などの玩具製造も盛んだったという。下町の商業地ではなく、むしろ下町の工業地帯。それがひと昔前の亀有の姿だったようだ。

なぜ東京の東の端にこんなに工場が…?

 亀有が本格的に工業地帯になったのは、大正時代以後のことだ。それ以前の亀有は、むしろ郊外の田園地帯というほうがふさわしい。

 古くは亀無と呼ばれ、縁起が悪いとして亀有に改称したという話も伝わりつつ、古い地図を見れば駅の北側一帯には長右衛門新田という地名が見える。亀有駅は1897年に開業しているが、その当時は田んぼの中の駅だったのだろう。

 その頃の亀有周辺の市街地というと、駅の南側を東西に走っていた水戸街道沿いだ。江戸時代まで水戸街道は中川を渡し舟で越えていた。その先、中川対岸には新宿町というそこそこ規模の大きな町があった。

 真偽のほどは不明だが、常磐線はもともと亀有ではなく新宿町に駅を置く計画だったとか。ただ、地元の反対などもあって亀有駅が生まれたという。

 こうしたエピソードは日本中あちこちに伝わっているが、確証のあるものは少ない。亀有がどうだったのかはわからないが、間違いないのは水戸街道の北、少し街道沿いから外れたところに駅ができたということだ。

 駅が開業してからもしばらくは田園地帯だった亀有駅周辺。それが工業地帯に変わり始めたのは、大正時代の終わり頃からだ。

 1923年の関東大震災以後、被害が少なかった(というよりは建物が少なかった)亀有周辺に大工場が並びだし、急速に工業地帯化が進んでいった。

工場の町が「下町風情の色濃い町」になるまで

 大きな工場ができればそこで働く人もいる。日立製作所などは、実に2万人以上もの従業員を抱えていた時期があったという。そうなれば、彼らが飲み食いをするような商業エリアも形成される。

 1930年には駅の南口から水戸街道方面に通じる亀有銀座通りが形作られ、飲食店や映画館なども誕生。巨大工場に付随する歓楽街のような形で発展していった。なんでも、戦時中にはより都心に近い玉ノ井の遊郭も亀有に疎開してきたという。

 商業地としての発展は戦後さらに加速する。戦災の被害の度合いが小さく、それでいて常磐線で都心に一本という利便性。それが評価されてか、主に台東区や墨田区といった下町エリアの人々が亀有駅周辺に移り住むようになったという。

 そこに戦後の人口急増が加わって、亀有駅周辺は大発展。工場に紐付いていた駅周辺の繁華街はそのまま住宅地の中の商店街となり、“下町風情の色濃い町・亀有”が作られていった。亀有の“商業地”としてのイメージは、こうして固まったのである。

昭和の商店街は「シャッター街」化しているというけれど…

 そんな歴史は、いまの亀有にもしっかりと根付いている。亀有駅南口から水戸街道に向かって歩く道筋は、どこをとっても商業エリア。駅前広場を中心に放射状に大きな道路が通っているが、いずれを見ても賑やかだ。

 南口の一帯でいちばん古い道筋は、南東に向かって伸びる宮前通り。そのまま進むとかつて日本紙業の工場だったアリオ亀有の目の前に出るのだが、その脇には“宮前”の通りに亀有香取神社が鎮座する。アリオ亀有の南をかすめる水戸街道を東に行けば、中川を渡って新宿町だ。

 宮前通りと亀有銀座通りに発するゆうろーどとの間は、細いアーケードの仲町商店会によって連絡されている。小さくも味のありそうな店がならぶ、いかにも下町らしい商店街である。

 チェーン店の看板がどうしても目立つようになっていて、駅の南も北も姿形はだいぶ変わってきているのだろう。それでも、亀有駅の周りには、昭和の下町商店街の雰囲気が、令和のいまにもしっかりと残っているといっていい。

 昭和の商店街というと、だいたいがシャッター街になっていて廃れている、などという話はよく耳にする。けれど、それは地方都市の話であって、1000万都市・東京ではそれはあてはまらない。まだまだ駅が町の中心的な役割を担っている限りは、こうした町の形が大きく変わることはないのかもしれない。

 そして、こうした亀有の賑やかさには、こち亀もいくらか貢献しているのだろう。南口の商店街の中には、少年時代の両さんの像まであった。南口駅前広場には、あっちにもこっちにも両さんが。

 両さんはひとりしかいないんですよ、なんてことはなく、いろんなところに両さんが出没するのだから、こち亀ファンは歩いて飽きない町である。

両さんじゃないほうの「妙に目につくもの」

 もうひとつ、同じように妙に目につくなあと感じるのは、イトーヨーカドーのサインロゴ。

 南口駅前広場の脇に建つリリオという再開発ビルには、ニトリやダイソー、公共施設とともにイトーヨーカドーが入っている。アリオ亀有の中核は、いうまでもなくヨーカドー。そういえば、お隣の綾瀬駅前にもヨーカドーがあったっけ。

 気になって調べてみると、葛飾区内の駅前には、けっこうな割合でヨーカドーがあるらしい。別に珍しくもなんともないでしょ、と言われてみればそうなのだが、果たして。

 ヨーカドーはもともとザ・下町の浅草に開いた洋品店がルーツだ。だから、下町エリアの葛飾区内にもたくさんのヨーカドーがあるんだろう、なんて邪推をしたくなる。見当外れかもしれないが、それくらいの妄想は許してもらいたいものだ。

 ともあれ、いまもバランスの取れた下町の駅・亀有。利便性と居心地の良さと、それでいてちょっとは刺激的。そんな町の雰囲気は、田園地帯から工業地帯、そして住宅地と商業地へと変貌してきた歴史のたまものだ。そんなごく自然な成り立ちを持っているから、亀有の町を歩いていても、安心感を覚えるのではないかと思う。

写真=鼠入昌史

(鼠入 昌史)

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