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悠仁さまの時代に“開きすぎた皇室”は必要ない「天皇に受験勉強は…」保坂正康《悠仁さまご成年「私はこう考える」》

文春オンライン / 2024年9月6日 11時0分

悠仁さまの時代に“開きすぎた皇室”は必要ない「天皇に受験勉強は…」保坂正康《悠仁さまご成年「私はこう考える」》

保阪正康氏

 9月6日、18歳の誕生日を迎えられた秋篠宮家の長男・悠仁さま。悠仁さまの大学進学をめぐっては、根強く囁かれている「東大進学説」への反対意見がネット署名サイトで1万件を超える異例の事態となっているほか、天皇家の長女・愛子さまの人気の高まりを背景とする「愛子天皇待望論」も止まないままだ。われわれは次代の天皇に何を求めるのか。「週刊文春」に掲載された特集「 悠仁さまご成年『私はこう考える』 」を公開する。 

◆ ◆ ◆

 昭和史研究の第一人者でノンフィクション作家の保阪正康氏(84)は、上皇上皇后と複数回にわたり面会し、対話を重ねてきた。「天皇に受験勉強は必要ない」と語る保阪氏が、悠仁さまに求めるものとは。

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天皇は“聖なる存在”

 天皇には普遍的な役割があります。我々日本人にとっての“聖なる存在”であり続けることです。これは決して神秘めいた意味合いではありません。私たちは時代ごとの社会の枠組みの中で、生活のために働き、日々の欲望を満たしながら日常を生きています。そうした“俗な世界”から離れた場所で日本の文化的伝統を守り、私たちの精神の拠り所であり続ける。天皇とはそんな存在なのです。

 かといって、天皇は生まれながらに聖なる存在であるわけではありません。天皇になる方も、努力をしなければ“聖”にはなれないのです。皇室に生まれたさだめを受け止め、与えられた役割や責任を学び、自覚していく必要があります。

 上皇陛下はたゆまぬ努力をしてこられた方でした。父君である昭和天皇は、戦争を通じて軍人に政治利用され、懊悩してこられた。明治以降の天皇の政治・軍事利用は、聖なる存在を俗化した大きな過ちです。11歳の時に敗戦を迎えた上皇陛下は、こうした過去を踏まえてご自身に課せられた役割と向き合い、努力を重ね、象徴天皇の姿を作ってこられました。

 その基盤の1つになっているのが、教育係を務めた小泉信三(慶應義塾長)の教えでしょう。彼は帝王教育に、福沢諭吉が明治15年に書いた「帝室論」を用いたそうです。同書では〈帝室は政治社外にある〉と説いている。天皇とは伝統的に政の外にある存在であると。突き詰めれば「天皇の役割は『聖』であり、『俗』とは一線を引きましょう」と言っているわけです。

 私は上皇陛下にお目にかかった際、「天皇とは何だと思いますか?」という意味の質問をしたことがあります。日常生活をはじめ何もかもが一般の人とは異なり、意識も違って――などと説明されることもなく、上皇陛下はただ少し笑って困ったような顔を浮かべられるだけでした。その表情からは、天皇としてのご自覚の深さが滲み出るようでした。

 上皇后陛下である美智子さまの存在も大きかったと思います。一般の国民の立場から嫁がれた美智子さまは、皇室に新しい空気や物の見方を伝えることで、守るべき“聖”の輪郭を鮮明にしたのではないでしょうか。

 私が拝謁した際、お二人の会話のリズム、間合いが完成していたのも印象深かったです。まず上皇陛下がお話しになり、美智子さまが「そうですね」と相槌を打たれたり、「それはどういうことですか」と尋ねられたりする。阿吽の呼吸なんです。こうしてお二人で象徴天皇を作ってこられたんだなと思い至りました。

秋篠宮家の、自己犠牲の放棄

 今上天皇にも、ご自身の役割に対する真摯な姿勢を感じます。一方で現在の天皇家には次の世代の男子がおられないことから、将来、皇位継承の順位は、弟君の秋篠宮家に移ります。

 本来、天皇の弟君には、大変な苦悩が付きまとうものです。私はかつて昭和天皇の弟宮・秩父宮の評伝を書きましたが、2番目に控える弟宮は「天皇になれるかもしれないが、なれるとは思うな」と矛盾に満ちた教育を受ける。自己を犠牲にしながら、天皇家を支えなければなりませんでした。

 翻って、秋篠宮殿下はそんな苦悩とは一線を引いておられるように見受けられます。果たすべき役割は果たすが、あとは自由にやる。自己犠牲を放棄することが皇室の民主化であり、「開かれた皇室」の実現にもつながるのだ、と。

皇室の“俗化”を懸念

 懸念しているのは、次代の天皇である悠仁さまの教育に対しても、同様の姿勢が感じられることです。

 いま、悠仁さまの受験に関する話題が取り沙汰されています。勉強して学問を究めたいという意志を持っておられるのは素晴らしいことです。トンボの研究についても、大いに励んでいただきたい。

 ただし、将来の天皇としての教育をしっかりと受けていただくのが最優先となります。本来、天皇に受験勉強は必要ありません。優先順位の一番上に受験勉強という“俗”の事柄を置くことは、果たして国民から納得を得られるでしょうか。

 受験戦争で周囲と競争なさることも、皇室の民主化であり、「開かれた皇室」の在り方だとお考えなのかもしれません。しかし、「開きすぎた皇室」は必要ありません。それは皇室の“俗化”に他ならないからです。受験勉強という俗界基準の努力ではなく、聖なるものに向かって努力する姿を国民に見せること。これこそが、天皇と国民のコミュニケーションだと思います。

優先順位の問題

 一方で、悠仁さまの東大進学に対し、ネット上で1万2000余の反対署名が集まったというニュースにはいささか閉口しました。天皇になるお立場でやるべきことをやった上であれば、東大を目指すのは構わないはず。要は優先順位の問題です。そこまで思いを致すことなく、単に“特別な立場を利用して東大に推薦入学するのはズルい”というだけで反対するのは、センシビリティ(感受性)がなく、失礼な行為だと言わざるを得ません。

 天皇とは、歴史の永続性を私たちに見せてくれる存在でもあります。例えば歴代の天皇は和歌を残していますが、これに接することで、私たちは過去の存在を実感する。そして、未来にも天皇が存在し続けるということの可視化で、国民の心理の充足感、安心感が得られる。これは私たち日本人の大きな文化的遺産です。

 お若い悠仁さまには、受験勉強より大切な役割があることを今一度、理解していただきたいと思います。

◆ ◆ ◆

 9月4日(水)配信の「週刊文春 電子版」および9月5日(木)発売の「週刊文春」では、悠仁さまご成年を受けて、林真理子氏、山極壽一氏、尾木直樹氏、江森敬治氏からの必読提言「 悠仁さまご成年『私はこう考える』 」が掲載されている。

(保阪 正康/週刊文春 2024年9月12日号)

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