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「万博以降、関西は経済的に地盤沈下が著しい」観光の専門家が明かす“大阪・関西万博”の“真の懸念点”とは

文春オンライン / 2024年9月10日 6時10分

「万博以降、関西は経済的に地盤沈下が著しい」観光の専門家が明かす“大阪・関西万博”の“真の懸念点”とは

©GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

〈 ラーメン御膳が2600円、焼いたタラバガニの脚は1本6000円…外国人観光客向けの「インバウン丼」の実情を実食ルポ! 〉から続く

 2025年に開催が予定されている大阪・関西万博。費用膨張や建設の遅れなど、さまざまな問題点が指摘されているが、それでも国家主導のビッグイベントを開催する意義はあるのだろうか。

 ここでは、城西国際大学観光学部の佐滝剛弘教授による『 観光消滅 観光立国の実像と虚像 』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋。過去に開催されたオリンピック、万博の事例をもとに、観光振興としての意義を考える。(全2回の2回目/ 1回目 を読む)

◆◆◆

オリンピックで人を呼べるか

 2020年に予定され、実際にはコロナ禍で1年延期された東京オリンピック・パラリンピック。そして、2025年に開催予定の大阪・関西万博。これら国家主導のビッグイベントを開催する理由の一つに必ず持ち出されるのが、「観光の起爆剤になる」という売り文句である。たしかに4年に一度しか開催されないスポーツの総合的な大会や5年に一度が原則の大規模な国際博覧会は、一度は実際に見てみたいという気持ちになる人が一定数いるのはよく理解できる。

 筆者は放送局での勤務時代、夏は1988年の韓国・ソウル五輪、冬は1992年のフランス・アルベールビル五輪のときに、生中継や企画番組の制作のため、開催期間とその前後合わせて1か月ほど現地に滞在し、リアルなオリンピックを体験した。地域全体が高揚感に包まれた独特の雰囲気は一度は味わう価値があるかもしれないと今でも思う。まして応援したい選手が出場するとなれば、現地に行ってみたいと思うのは自然な気持ちだろう。五輪ではないが、2024年からロサンゼルス・ドジャースでプレイすることになった大谷翔平選手の観戦ツアーは、実際に盛況を極めている。

 しかし一方で、たった2週間しかない開催期間に、航空チケットも宿泊費も安くない期間中、五輪観戦と周辺の観光地も組み合わせた旅行に大勢の人が行きたいと思うのだろうか?

 ユーロモニターの調査によると、2012年に開催されたロンドン五輪では、開催期間前後の6~8月に外国人観光客がおよそ60万人訪れたものの、8月時点の外国人旅行者数の総数では前年よりも7%減ったというデータがある。

 このレポートでは、「ロンドンオリンピックに魅力がなかったわけではなく、この時期に例年英国を訪れる旅行者のうちスポーツに興味のない人々が英国以外に流れたことが大きな要因である」と分析している。つまり、世間の人が全員スポーツに興味があるわけではなく、スポーツに興味のない人は五輪一色に染まって交通規制や渋滞など通常時より何かと制限の多い開催国に行くよりは、別の国に行った方が良いと考える人が多いことを示している。

 2021年の東京五輪は入国制限もあり、また基本的に無観客での開催となったことで、幸か不幸か五輪開催に伴う外国人旅行者の動向はわからなかった。しかし、ただでさえ訪問客が多い国で五輪を開催するからといって、五輪に合わせて訪問してみようという人よりも、規制が多いときに行ってかえって不便ならば、別の国に行き先を変えようという人の方が多いかもしれないことは容易に想像がつく。

 実際、パリ五輪直前の7月7日にロイターが配信した記事では、パリ行きの航空券や、パリのホテルの予約が低調だと断定している。

万博の集客効果

 それでは万博はどうか? 万博はそれ自体が「観光資源」と言える。また、開催期間も五輪と比べると格段に長く、大阪・関西万博の場合は、184日間である。

 1970年に開催された一度目の大阪万博では、当初の入場者数の見込みは3000万人だったが、蓋を開けてみると評判が評判を呼び、なんと見込みの倍以上のおよそ6400万人を記録。筆者自身も小学4年生だったが、親に連れられて学校を休んで日帰りで会場を訪れた。見たこともないような個性あふれるパビリオンの建築群を見るだけでも興奮した。高度成長期の真っただ中、未来を感じさせてくれるイベントを自分の目で見たいという熱狂のようなものがあの時代にはあった。

 その後も、1985年に現在の茨城県つくば市で開催された「科学万博」、1990年に大阪・鶴見緑地で開催された「花の万博」、2005年に愛知県の東部丘陵で開催された「愛・地球博」などを見に行ったが、それはイベントそのものへの関心よりも当時の仕事柄見ておくべきだという半分業務の一環の気持ちで訪れたことを覚えている。

 また、海外では、2010年に開催された上海万博を訪れた。このときは、万博オンリーではなく、上海から近い蘇州の世界遺産「蘇州古典園林」の訪問とセットである。入場券は現地へ行く前に日本で買っている。日本円換算でおよそ3400円だった。開場と同時に入場し夜遅くまで会場内を歩き回ったが、今となってはほとんど印象に残っていない。なお、上海万博の入場者数は7308万人で、1970年の大阪万博を大きく上回った。

USJとの戦い?

 こうして振り返ってみると、テーマパークなども少なく、「未来は科学技術などテクノロジーの進歩で明るくなる」と信じることができた時代の万博と、あらゆる情報がパソコンやスマホなどを通じて家に居ながらにして入手でき、VR(バーチャル・リアリティ)やメタバースやプロジェクションマッピングなど、ITの便利さを享受している2020年代の万博では時代がまるで違う。

 私たちにとって、万博というイベントを楽しむ意義はかなり薄れていると考えるのが自然だろう。もし、ほぼ同じ金額を払うとして、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)と大阪・関西万博のどちらへ行きたいかと問われたら、おそらく万博に手を挙げる人はかなり少ないのではないか。入場日によって価格は変わるが標準的なUSJの入場料は大人1人8600円、万博では当日購入の一日券の標準は大人1人7500円。それほど大差はないからである。

 では直近の2021年に開催されたドバイ万博は、どれくらい観光振興に役立っただろうか? 多額のオイルマネーと中東・アフリカ地域初の「登録博」(総合的なテーマを扱う大規模な万博)であったにもかかわらず、会期中の海外からの観光客は740万人程度。日本でも大々的な報道があったが、コロナ禍だったこともあり、関係者以外、日本からの万博見学の渡航者は非常に少なかったと言われている。

 それに加えて、オリンピックでは多額のダークマネーが裏で動いていたことが後に判明し、逮捕者まで出す事態となった。国策のイベントには多くの税金が投入されるが、私たちが面倒な確定申告などをして国に納めた税金が特定の業者の懐を肥やすようなことに使われていたのを知ると、大イベントが本当に開催国や開催都市にプラスになるのかという疑問がぬぐえない。

 2025年の大阪・関西万博をめぐっては、費用の相次ぐ上振れや建設計画の遅れなどもあって、開催前からすでに多方面からその意義を疑問視されている。しかも、大阪・関西万博は、終了後同じ場所で計画されているIR(統合型リゾート)の露払いの役目も担っていることが周知の事実となっている。IRも観光振興が主要な目的の一つであるが、「統合型」という名前とは裏腹に、「カジノ解禁」がIR事業の中心である。カジノは一部の人にとっては魅力的な「観光資源」だろう。不夜城のようなラスベガスのにぎわいやマカオの夜に輝くカジノのネオンサインは、魅力的に映るかもしれない。

 しかし、公営ギャンブルやパチンコがほぼ自由に楽しめる国にさらにカジノを作ったとして、どのような人がやってくるのだろうか? アジアには、マカオの他にも韓国やシンガポールなど、カジノを楽しめる国がすでにある。また、日本を訪れる人の多くは、日本の漫画やアニメ、日本食、あるいは歴史を重ねた京都や鎌倉のたたずまいに魅力を感じてやってきている。そしてそういった人たちだけで、すでに各地でオーバーツーリズムが深刻化している。それに加えて、どんな人を呼びたいのだろうか?

「国策」の危うさ

 そもそも、国が率先して旗を振っているものは、本当に国民ファーストで行おうとしているのかどうか、ある程度疑ってかかった方がいいのではないか。

 マイナンバーカードは、当初の構想とは異なり、いつのまにか様々なデータと紐づけされるようになった。しかも、健康保険証と一体化されることが決まり、「大切なので家で保管するべき」ものだったはずが、財布に入れておかないと病院で受診さえできないほどの重要なアイテムへと変わってしまった。

 カード1枚で何でも証明できたりすることはたしかに便利かもしれないが、その分リスクは大きい。今の世の中、スマホ一つで財布の代わり、時計の代わり、交通カードの代わり、アドレス帳の代わりになるのは、すこぶる便利だが、スマホを家に忘れたり紛失したりしてしまうと、日常生活への影響は計り知れない。スマホはまだ自分で納得して購入しているのである意味では自己責任だが、マイナンバーカードを日々持ち歩くことになるリスクは、きちんと説明されていない。

 筆者は「国」という存在に敵愾心を持っているわけではないし、政治家や官僚に知り合いも一定数いるので、彼らを悪く言うつもりもない。

 ただ、一見民主的に見えて実際にはほとんど政権交代が起こらない政治体制の下、リスクやデメリットを十分検討することなく、あるいは検討したとしてもそれを表に出さず決定していくシステムでは、五輪汚職のようなことが平気で起こりうる。

 2025年の大阪・関西万博がどのように運営され、どれだけ多くの人が足を運び満足感を得られるかはもちろんまだわからない。だが、観光振興や地域の浮揚策としての掛け声や謳い文句については、終了後にきちんと検証してほしいと思う。1970年の大阪万博以降、関西は経済的に地盤沈下が著しいことを私たちは思い起こすべきである。

 2023年3月に近畿経済産業局が発表した統計によれば、実質域内総生産の全国に占める近畿圏(近畿6府県プラス福井県)の割合は、1970年の万博開催時に20.1%だったのが2021年に15.9%に「順調に」下落しているし、資本金1億円以上の企業の割合に至っては、1970年の22.6%が2021年度には12.7%と半減している。

「万博を開いたから」下落したのではなく、「万博を開いたおかげでこの程度の下落で済んだ」という見方もあるかもしれないが、関西で一瞬盛り上がったあの万博さえ、近畿圏の相対的な地位の低下を止められなかったことは間違いない。今も吹田市の万博記念公園に立つ1970年の大阪万博のシンボル「太陽の塔」を、大阪府などは世界遺産にしたいようだが、そこにどんな意味を込めるのか確認してみたいと思う。

大阪・関西万博は次世代に「レガシー」を残せるか

 余談だが、万国博覧会のために建てられた建物が、今もその都市の主要なランドマークになっている例はいくつもある。パリの景観の重要なアクセントとなっているエッフェル塔は、1889年開催のパリ万博のために建造され、入場アーチの役割を果たした。また、オーストラリアのかつての臨時首都で第2の都市であるメルボルンのランドマーク「王立展示館」は、1880年のメルボルン万博の中心的な展示館として建てられたものである。

 エッフェル塔は、「パリのセーヌ河岸」の一部として、また王立展示館は、周囲の庭園と併せて「王立展示館とカールトン庭園」という名称で、どちらも世界遺産に登録されている。そしてどちらも100年以上を経た今も重要な観光資源となっている。こうした真の意味の「レガシー」を2025年の大阪・関西万博は次世代に残せるのだろうか? そこまで壮大なプランを考えて大阪万博は計画されているのだろうか? その行方を注視したいと思っているし、仕事柄やはり一度は現地で見てみたいとは考えているのだが……。

(佐滝 剛弘/Webオリジナル(外部転載))

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