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「人間が困った時、獅子が立ち上がり守る」能登に伝わる伝説が現実化したのか? 445年続く一軒宿社長が大地震で思い出した“語り継がれる伝承”

文春オンライン / 2024年9月15日 6時10分

「人間が困った時、獅子が立ち上がり守る」能登に伝わる伝説が現実化したのか? 445年続く一軒宿社長が大地震で思い出した“語り継がれる伝承”

「ランプの宿」の駐車場から南に見下ろす。隆起した海岸の中央手前に獅子岩が見える ©︎葉上太郎

〈 「借金が2倍になり4倍になる。あっと言う間に20億円です」能登半島地震で被害を受けた旅館が直面する“恐怖のシナリオ”《大半の社員を解雇》 〉から続く

 能登半島の先端にある石川県珠洲(すず)市の金剛崎。ここで営業してきた「ランプの宿」は創業445年という超老舗旅館だ。しかし、能登半島地震で長期休業を強いられ、社員の大半を解雇しなければならなかった( #8 )。これから、どんな展望が描けるのか。社長の刀禰(とね)秀一さん(72)には秘策がある。地震で隆起した海岸を観光の目玉にしようというのだ。しかも、語り継がれてきた伝説が現実化したとしか思えないような現象が起きた。伝説は先人が経験し、または予測した「危機」を子孫に伝える手段だったのか。そして「地球の鳴動」そのものを見に来てもらおうという試みは起死回生につながるのか。

語り継がれてきた伝説通り、立ち上がった「獅子岩」

「獅子が本当に立ち上がったのです」。刀禰さんが頬を紅潮させて語る。

 金剛崎の高台から南に見下ろした海岸には「獅子岩」がある。この岩については一つの伝説が語り継がれてきた。地元の信仰を集めてきた須須(すず)神社にまつわる物語だ。

 その昔、須須神社に祀られている神が降臨した時、獅子に乗ってきたのだという。用事を済ませた神が帰ろうとして、「獅子いるか」と呼んだ。だが、待ちくたびれた獅子は居眠りをしていた。代わりに返事をしたのは「いるか」に反応したイルカだった。このため神はイルカを供にして帰り、神の使いは獅子からイルカに変わった。悔やんだ獅子はそのまま岩になったのだという。

「これが獅子岩です。人間が困った時には立ち上がり、助けてくれると伝えられてきました」と刀禰さんは語る。

 あの日、2024年1月1日。能登半島を最大震度7の烈震が襲った。

 珠洲市の海岸には4mとも5mとも言われる津波が押し寄せ、海に呑まれて壊滅的な打撃を受けた地区もある。

 ただ、地震は地盤を隆起させた。珠洲市の北部では1m以上も上昇したとされる。その分、津波の被害は抑えられた。

 例えば、「ランプの宿」の客室は小さな入り江に面していて、海抜が約3mしかない。にもかかわらず、津波に襲われなかった。これには「二重の隆起」が関係しているという。一つは客室のある地盤が隆起して、海面から上がった。もう一つは沖合の姫島と呼ばれる岩礁が隆起して、防潮堤の役割を果たしてくれた。

「須須神社は日本海の守護神とされてきました。獅子が立ち上がって助けてくれると伝えられてきた通りになったのです」。刀禰さんは感慨深げに語る。

 もちろん、物事にはプラスとマイナスがある。隣の輪島市では4m以上隆起した地区もあり、港が干上がったり、漁船が出入できなくなったりして、漁師が生計を奪われた。ただし、建物や人々が海に呑まれるようなことはなかった。

地殻変動に絶景と伝説が重なりあっている奥能登

 これら地震が引き起こした「変化」を見るにつけ、「まさにジオパークではないか」と刀禰さんは思った。

 ジオパークとは、「地球や大地」を意味する接頭語「ジオ」と「公園(パーク)」をつなぎ合わせた造語だ。変動する地球や自然の中での人間の営みを教育や観光にいかす。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が「ユネスコ世界ジオパーク」として48カ国で213地域を認定しており、そのうち10地域が日本国内にある。石川県内では「白山手取川」が2023年5月に認定された。霊峰・白山から日本海に流れ出す手取川をフィールドに、北陸の多雪地帯の成り立ちや水循環、そうした地帯での人々の暮らしを体験しながら学べるようになっている。

 ジオパークを目指す場合、奥能登では「地殻変動に絶景と伝説が重なりあっているのがポイント」と刀禰さんは見ている。

 その典型が獅子岩である。

嵐にあった船を助けた女神の「ハート」

 こうした地点はいくつもある。例えば、金剛崎の高台から北に見下ろすと、岩場にハート型の水たまりができた。

「海が隆起して、ハート型に見えるようになったのです。刀禰家の先祖は北前船の運航に従事していました。新潟に向けて航行中のことです。嵐に遭ってマストの支柱が折れてしまいました。新潟に到着できなくなったばかりか、死ぬのを待つばかりでした。その時、海から女神が現れ、船に5回息を吹きかけると、元の港に戻って来たと伝えられています。その女神のハートが現れたのではないかと思いました」と、刀禰さんは語る。

 海岸に下りたところにある洞窟には、長さ30mの渚ができた。被災前は海水に満ちていたが、隆起で干上がったのだった。

「これについても、刀禰家の言い伝えがあります。大昔に洞窟を訪れた仙人が『ここは将来、陸地になる』と予言したというのです。海底が隆起するような出来事が起きるかもしれないと、子孫に注意を促すための伝承だったのでしょうか」

 全国の民話や伝承には教訓を物語にしたものがかなりある。奥能登でも多くの物語が伝えられてきたのだろう。

夕陽に映える「ゴジラ岩」

「ゴジラも上陸しました」と、刀禰さんが言う。

 1954(昭和29)年に公開された映画『ゴジラ』は、戦後の水爆実験で目覚めた怪獣ゴジラが、東京・芝浦に上陸して街を破壊しまくる物語だ。

 その後、ゴジラに似た岩が全国で「発見」され、ゴジラ岩として親しまれた。能登半島にもそのうちの一つがある。刀禰さんの宿から20km弱の地点だ。岸からすぐ近くの海に立ち、夕陽に映えることから広く知られていた。

 今回の地震による隆起で、ゴジラ岩は陸上化した。「ゴジラ上陸」と報じたメディアもあったので、ご存じの人もいるだろう。震源に近い場所だけに、「ゴジラが上陸するほどの地震」という形で後世に伝えていけるのかもしれない。

 そうした絶景スポットと伝承を用いて、能登半島地震で何が起きたかを伝える。人々がそうした観光を求めていることは、この夏の来客で分かった。

例年の10分の1ぐらいにまで持ち直した観光客

 宿を長期休業せざるを得なくなった刀禰さんだが、高台の展望台や売店、海岸の洞窟への立ち入りはゴールデンウィーク前の2024年4月27日に再開した。

 年間約20万人が訪れる観光施設だったのに、梅雨明け前は「100分の1以下になりました」と嘆いていた。ところが、夏休みになると例年の10分の1ぐらいにまで持ち直した。「海岸の隆起を見てみたいという人が多いようでした」。刀禰さんはジオパークへの手応えを感じた。

 既に県の最高幹部とは「これほどの被害なので、すぐにというわけにはいかないが、中長期的なテーマとしてジオパーク認定を考えていこう」と協議している。「担当の部長もつけてくれました」と語る。

 刀禰さんは「一枚の写真にひかれて世界から人が来る時代です。隆起海岸にどんな絶景があるか知らせていきたい」と意気込む。さらに、敷地内のこうしたスポットについては、それぞれテーマ曲を自作した。「音楽などのアートには言葉が要りません。様々な手段で発信していきたい」と話す。

粟津地区に舞うトキ

 他にも、国定公園に指定されている能登半島を、国立公園に格上げしたいと考えており、県と話を進めている。これに国の特別天然記念物・トキを絡められないかとも発案している。

 トキが日本で最後まで生息していたのは能登と佐渡だ。本州最後の個体は能登半島で捕獲された。佐渡の保護センターに移されて、人工繁殖が試みられたが、1971年に死亡した。同センターで飼育されていた日本固有のトキも2003年に絶滅してしまう。一方、中国から贈られたペアは人工繁殖に成功し、佐渡では野生復帰を果たした。石川県内でも珠洲市や白山市に飛来する姿が確認されている。

 このため石川県もトキの放鳥を目指しており、能登の9市町に「放鳥推進モデル地区」を設けて、生物多様性の復活など環境を整備している。珠洲市では宿から6kmほど離れた粟津地区が選ばれた。

 トキが放鳥できるほどに復活した環境を「国立公園の特別保護地区にしたい」というのが刀禰さんの願いだ。刀禰さんが会頭を務める珠洲商工会議所は、県が組織した「能登地域トキ放鳥受入推進協議会」のメンバーになっており、刀禰さん自身は幹事を務める。それだけに思い入れは強い。

世界のアーティストが作品を展示する「奥能登国際芸術祭」

「私は世界中の特別保護区を見てきたのですが、今まさにそうした地区に人が訪れています。奥能登へ世界から誘客したい」と話す。

 さらに、世界のアーティストが珠洲市を舞台に作品を展示する「奥能登国際芸術祭」を「能登半島全体の芸術祭にしたい」と語る。

 能登半島をパビリオンに見立てた「能登ふるさと博」は「国際ふるさと博に格上げしたい」と夢を描く。

 地震で大きなダメージを受けた能登を活性化させるためには、様々な仕掛けが必要だ。「一つや二つではなく、どんどん提案していきます。ただ、個人では無理、市でも難しい。少なくとも県レベルで進めていく必要があります」と言う。

「苦しくても今から動かなければならない」

 しかし、地震の被害はあまりに酷い。「とても観光という状態ではない」と話す人が多いのも事実だ。

 それでも、「手をこまねいているわけにはいかない」と刀禰さんは力を込める。「『大変だ』と言っているだけではダメなのです。できることは職種によって違います。我々は観光。提案してすぐに進むものばかりではなく、準備に時間を要する場合もあります。だからこそ、苦しくても今から動かなければならないのです」。

「課題は足並み」と、刀禰さんは見ている。

「たくさんの人が傷ついたので、賛同してくれる人ばかりではないでしょう。被害の度合いも地区によって違います。最終的に奥能登全体で動けるようにならないと、よくはなりません。時間がかかるのです」と指摘する。

 これら様々な課題に、どう折り合いをつけながら進めるのか。難局にも直面するだろう。

「その辺りが仕掛け人の宿命というか、責任でもありますね」。刀禰さんは顔を引き締めた。

(葉上 太郎)

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