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田嶋陽子「途中で頭にきて、水差しの水をかけてやろうと…」どんな番組か知らずに出演した『いいとも!』生放送後に感じた“混乱”

文春オンライン / 2024年9月20日 6時0分

田嶋陽子「途中で頭にきて、水差しの水をかけてやろうと…」どんな番組か知らずに出演した『いいとも!』生放送後に感じた“混乱”

田嶋陽子さん ©文藝春秋

「日本でいちばん有名なフェミニスト」として、長年テレビ番組などのメディアで活躍してきた田嶋陽子さん(83)。近年、SNSを中心にフェミニズムへの関心が高まるにつれ、その功績を再評価する動きも出てきています。

 ここでは、そんな田嶋さんが9月20日に上梓した『 わたしリセット 』より一部を抜粋。どんな番組か知らずに引き受けたという『笑っていいとも!』初出演後に感じた、世間の思わぬ反応とは――。(全4回の1回目/ 続きを読む )

◆◆◆

初めて『笑っていいとも!』に出た日

 私は初めてテレビのバラエティ番組に出たときから、ずっと女性差別の問題を訴えてきました。たくさんケンカして、批判もされましたが、私の信念はいっさい揺らいでいません。私がテレビに出るのが早すぎたと言う人もいますが、誰かがちゃんと伝えなきゃいけなかったと思います。

 私が『笑っていいとも!』に出演したのは1990年です。そのころ、一般男性を対象にした「花婿学校」(運営・板本洋子さん)が日本青年館で開かれ、マスコミで話題になっていました。校長は女性学が専門の樋口恵子さん、副校長がジャーナリストの斎藤茂男さん。なぜ男が結婚できないのか、なぜ結婚しない女が増えているのか、いろいろな講師が多様な角度から講義する新しい試みで、私も講師に呼ばれて「これから結婚したければ、男たちが考え方を変えなきゃいけない」という話をしていました。

 その時の私の講義が『東京新聞』で5回にわたって連載されました。それに目をつけた『笑っていいとも!』のスタッフが斎藤さんのところに話をもっていって、私に声がかかったのだそうです。

 その年、私はちょうどサバティカルという長期休暇を大学からもらって、軽井沢の家で本を書いていました。2023年に復刊された『フィルムの中の女─ヒロインはなぜ殺されるのか』という本で、映画のなかで自立したヒロインはなぜみんな死んでしまうのかをフェミニズムの視点から論じたものです。そしたら、7月の半ばに突然、フジテレビから電話がかかってきました。

 私はNHK教育テレビで『英語会話Ⅱ』の講師をしたことはあるものの、普段はテレビをほとんど見ていませんでした。だから、タモリさんがどんな人かも、『笑っていいとも!』がどんな番組かも知らなかった。そこで、知り合いの家でテレビを見せてもらったら、ちょうど「テレフォンショッキング」のコーナーに年配の政治家が出演していたので、私もあそこで「花婿学校」のことを話すのかなと思い、ごく軽い気持ちで引き受けたのです。

なぜ笑われているのか分からず、しょっちゅう絶句

 ところが、新宿アルタに行ってみたら、黒板に大きな字で「タモリの花婿アカデミー」と書かれています。その日の出演者はタモリさんのほかに、笑福亭鶴瓶さん、ウッチャンナンチャン。

 私が真面目に話しているのに、みんなで茶化して邪魔をしてくるのです。私も彼らのことをよく知らなかったので、「つるべいさん」とか「ウンチャンナンチャン」と名前を間違うと、そのたびに笑われる。私はなぜ笑われているのか分からないから、しょっちゅう絶句する。その繰り返しでコーナーが長々と続き、後に予定されていた3つのコーナーを全部飛ばしてしまいました。私は途中で頭にきて、目の前にあった水差しの水をかけてやろうと構えたところで、番組が終わりました。

 私をもっとも挑発してきたのはウッチャンナンチャンでしたが、今になって思えば、あの人たちの挑発の仕方はそんなに悪意がなくて、常識の範囲内でしたね。みんなの吹っかけ方が見事だったから、コーナーもたっぷりもったのでしょう。私はちゃんと話をしようと、それこそくそ真面目にやっていたんですけどね。最後に、鶴瓶さんが「新しいスターが誕生しました」と言ったのですが、そのときも何を言われているのか意味が分かりませんでした。

女の人たちが新宿駅で私を見つけて、手を振ってくれた

 生放送が終わって、スタッフからは嬉しそうに「番組が盛り上がりました」とお礼を言われましたが、私は言いたいことが言えなくて悔しかったのです。落ち込みながらスタジオを出て新宿駅に向かったら、エスカレーターの上の方から「ワーッ!」という声がして、女の人たちがこちらに向かって手を振っています。誰かいるのかなと思って後ろを振り返っても誰もいません。そしたら「田嶋先生!」という声が聞こえました。アルタに来ていた女の人たちが私を見つけて、手を振ってくれたのです。

『笑っていいとも!』の影響は予想以上に大きかった。その日の夜にも、友人と一緒に中華料理店に行こうとしたら、暗がりからいきなり「キャーッ」って声がして、見たら中学生の女の子。その子たちが「先生、今度は何言うの? 面白かったぁー」と言ってくれました。

 女の子たちだけではありません。自宅がある軽井沢へ帰る電車に乗ったとき、夏休み中の男の子たちがズラーッと足を広げて座っていました。そしたら、ひとりが私の顔を見て、とっさに「おい、足閉じろよ」って仲間をこづいています。みんな一斉にこっちを見て、コソコソ足を閉じていました。私が番組で「男はなんで足をかっぴらいて座ってんのよ」と言ったのを見ていたのですね。その子たちが私の言葉にどのくらい共感したのかは分かりませんが、少なくとも反応はしてくれた。

応援と批判、2つの反応があり混乱した

 世間の反応とは反対に、私の周囲からは非難ごうごう。母に電話したら、何も言ってくれなくて黙り込んでいました。友達のフェミニストに「あれでよかったのかなあ?」と電話で相談したら、「しょうがないよね。誰にでも間違いってものがあるんだから」と言われて、「エーッ!」となりました。

 すごく悩んだのは、私の津田塾大学時代の指導教官で、一番尊敬している先生から絶縁されたことです。番組に出て1週間くらいしてから、「大学教授があんな番組に出て笑いものになってどうするんだ。俺は恥ずかしい」と言われて、破門されました。のちに「あなたがテレビに出演する意図が分かったから、破門をとく」と言われて、一緒にまたお酒を飲めるようになりましたが、そのときはとてもショックでした。

 異なる2つの反応があったことで、私は苦しむことになりました。「がんばって」「面白かったよ」と応援してくれる人たちがいる。電車のなかで、子どもを連れたお母さんが私のところに来て、「先生、私が言えなかったことをよく言ってくれました」と涙を流しながら言われて、びっくりしたこともありました。その一方で、身近な人たちから悪口を言われたり、批判されたりするわけです。私は誰の言葉に耳を傾ければいいのか分からず、混乱していました。

 結局、『笑っていいとも!』には全部で10回は出演しています。最後の出演日には、私が美空ひばりさんの歌を歌って、後ろでタモリさんと鶴瓶さんがひっくりかえるなんて楽しい場面もありましたが、裏ではずっと悩んでいました。その間は胃を痛めて、生放送が終わると軽井沢に引きこもって、おかゆを食べていたのです。

〈 「私の反論がカットされていた。これが編集というものかと」田嶋陽子が90年代の『TVタックル』で繰り広げた“戦い”のウラ側 〉へ続く

(田嶋 陽子/文春新書)

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