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森永卓郎(67)「私が“レバレッジ投資”に絶対に手を出さない理由」

文春オンライン / 2024年9月18日 11時0分

森永卓郎(67)「私が“レバレッジ投資”に絶対に手を出さない理由」

森永卓郎さんはなぜ「レバレッジ投資」に懐疑的なのか? ©時事通信社

〈 「投資がうまくいくかどうかは運で決まるんです」森永卓郎(67)が亡くなった“盟友・山崎元”から聞いた「投資の本質」 〉から続く

「森永さん、何も残っていない資産の返済を延々と続ける人生というのは、とてもつらいものなんですよ」。バブル崩壊を機に、財産を失うだけでなく、巨大な借金を背負ってしまった男性も…。

 経済アナリストの森永卓郎氏が「レバレッジ投資」に懐疑的な理由とは? 新刊『 投資依存症 』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

レバレッジという“破産加速装置”

 レバレッジの萌芽は、ジョン・ローのミシシッピ会社のときから見られる。

 ジョン・ローは、国債との交換でミシシッピ会社の株式を取得できるようにした。当時のフランス国債は財政赤字が積み重なるなかで信用を落とし、市場評価額は額面を大きく下回っていた。

 しかし、ジョン・ローは、ミシシッピ会社の株式購入時には、国債を額面価格で使用できることにした。そのことでミシシッピ会社の株式購入希望者が殺到し、株価のバブルが生じたのだ。

 もちろん、株式投資をした人が借金をしたわけではないので、厳密に言えば、「レバレッジ」の仕組みが導入されたとは言えない。

 しかし、投資家は大きなプレミアムにつられて、満期まで所有すれば元本が保証される国債を、なんの保証もない株式と交換したのだから、リスクを大幅に増やしたという意味で、レバレッジをかけたのと同じ行動に出たとも言えるのだ。

 レバレッジの仕組みが明確になったのは、ミシシッピ会社と同時期のイギリスで発生したサウスシーカンパニーバブルのときだった。

 政府債務とサウスシーカンパニーの株式を交換するという「スワップスキーム」を維持するためには、サウスシーカンパニーの株価を高値で維持することが必要だった。そのため、サウスシーカンパニーが株式を新規発行する際には、投資家に対して分割払いや借入れ(レバレッジ)などの支払いオプションが提供されたのだ。

 借金をさせて手持ち資金より大きな資金の投資をさせるというレバレッジの仕組みが本格的に導入されたのは1920年代のアメリカだった。

 当時の株式市場における証券取引は、多くの場合、取引代金の25%の証拠金を現金で支払う(purchase on margin)だけで完了した。残りの4分の3は、自動的に購入者に対するブローカー(金融仲介業者)の貸付となったから、その購入証券は、貸付担保として株式ブローカーに預託された。当然のことながら、配当やキャピタルゲインは株式の購入者が取得した。

 しかし、当時の株式利回りは相対的に低率だったので、この貸付に対して支払うべき利子のほうが株式配当の額よりも高いのが通常だった。それでも、株価がさらに上昇し、その株式の販売によって得られるキャピタルゲインのほうが配当収益よりも大きくなればなるほど、この証拠金取引は現実に利益あるものになった。

 だから、株式ブームが進展し、株価が上昇するにつれて、ますます証拠金取引、つまりレバレッジが利用されていったのだ。

 レバレッジの怖いところは、わずかな相場の下落が破産の引き金を引くということだ。

 たとえば、手持ち資金1万円で株式投資をするときに、自動的にその3倍、3万円の融資がついてきたとする。投資金額は合計4万円になる。ここで、その株が25%上昇すると、利益は1万円となる。手持ち資金は1万円だから、利益率は100%ということになる。一方で、株価が25%下がったとすると、損失は1万円だ。手持ち資金は1万円だから、損失率は100%、つまり全損となって、投資家は破産してしまうのだ。

 たった25%の値下がりで破産してしまうということが、レバレッジをかけることの恐ろしさであり、実際に1929年の株価大暴落でアメリカ中が破産者だらけになった大きな原因の1つが、このレバレッジの存在だったと言われているのだ。

レバレッジ投資で破産した男

 その事情は1990年代の日本のバブル崩壊でも繰り返された。

 1980年代後半、プラザ合意による超円高の到来で、日本経済は未曽有の円高不況に苛まれていた。

 ところが、当時は日銀が銀行ごとに融資の伸び率上限を指示する「窓口指導」という規制を続けていた。各行は、その伸び率の範囲内でしか融資を増やせない。しかも融資枠を使い残したら、翌年の融資枠を削られる。だから、銀行は窓口指導された融資枠を目いっぱい使い続けてきたのだが、折からの円高不況でお金を借りてくれる企業がない。

 そこで銀行が何をしたのかというと、本来禁じられている株式や不動産への投機資金をどんどん貸し込んでいったのだ。それが株式や不動産の価格を吊り上げ、バブルが発生した。

 当時の記憶で鮮明に覚えていることがある。私の友人がある事業でひと儲けした。そこに銀行がすり寄ってきて、「その資金を増やしましょう」とささやいた。友人は銀行の誘いに乗り、東京・青山のビルを一棟買いした。もちろん手持ち資金ではとても足りないので自己資金の数倍を銀行から借り入れた。

 そして、その後、バブル崩壊を迎える。青山のビルの価格は7割以上、下落した。銀行は手のひらを反して、担保割れになったからいますぐ返済をしろと迫ってきた。友人はビルを売却したが、売却資金だけではとても返済しきれない。

 結局、友人はビルも手持ち資金も失っただけでなく、大きな借金だけを抱えた。その返済に友人は数十年の期間を費やした。

「森永さん、何も残っていない資産の返済を延々と続ける人生というのは、とてもつらいものなんですよ」

 友人はそう語った。

 こうしたレバレッジに関して、世の中は「危険だからやめましょう」という方向には動いていない。そればかりか、最近ではむしろ構造的に投資に組み込まれるようになっている。

(森永 卓郎/Webオリジナル(外部転載))

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