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「僕の記事が大衆にこんなにも読まれること自体、不気味」東出昌大(36)が明かした“今、東出再婚記事が氾濫しているワケ”「週刊誌やウェブメディアにも問題はあるが…」

文春オンライン / 2024年9月16日 11時0分

「僕の記事が大衆にこんなにも読まれること自体、不気味」東出昌大(36)が明かした“今、東出再婚記事が氾濫しているワケ”「週刊誌やウェブメディアにも問題はあるが…」

©︎文藝春秋/釜谷洋史

(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)

◆◆◆

ボッコボコのプリウスに乗って現れた東出

 駅前のロータリーに止まった水色のプリウスは噂に違わず……というか噂以上にボッコボコで、すぐにそれが彼の車だと分かった。こちらに気づき、「お久しぶりです」と笑顔で運転席から出てきたのは、いま日本中の注目を集める男、東出昌大(36)その人だ。

 隣で赤子を抱えている夫に「初めまして」と帽子を取って挨拶すると、今度は私の足に纏わりついて照れる子供に、「お名前言えるかな」と声を掛ける。

 そう、私は家族4人で東出さんの暮らす山へやって来た。その経緯をまずは説明しなくてはなるまい。

クマをテーマにした対談を彼から提案

 私が初めて東出さんにコンタクトを取ったのは、不倫報道から3年が経とうという頃。別件の取材のために東出さんの資料を集めていた私は、当時東出さんが文藝春秋の雑誌『週刊文春CINEMA!』で連載を始めたばかりの山暮らしの日記に目を留めた。

 電波も届かなければトイレもない場所で、狩猟と菜園で確保した食料で暮らす、ほとんど自給自足の生活……。それを読み、「東出昌大が自然をテーマに先人たちに話を聞きに行く」という対談があれば面白いのでは? と閃いた私は、すぐに熱い思いを綴ったメールを送った。当時、私は「文春オンライン」の特派記者。媒体としては「週刊文春」とは違うものの、オンライン独自のスクープを狙って日々駆けまわる点では雑誌記者と同じ。さすがに断られるかと思ったが、東出さんはzoomでの打ち合わせに応じ、さらにはこんな提案をしてくれた。

「僕の家のすぐ近くには、ツキノワグマがやってきます。一度、子グマが罠に掛かったという連絡を受けて現場に行ったことがありますが、周りの木々がなぎ倒されて、その力に驚かされました。けれど、最近のOSO18の報道など、クマに対する恐怖心を煽る記事が多いことには疑問を感じる。だから、 クマをテーマに対談 はどうでしょう」

 それから半年後の8月、私と東出さんは秋田県鹿角市にいた。NPO法人日本ツキノワグマ研究所理事長の米田一彦さんが毎年クマの観察のために訪れるという鹿角市は、男女4人がクマに食い殺される十和利山熊襲撃事件の現場からも近く、近年も個体数を増やしたツキノワグマが頻繁に人里に降りているとのことだった。

昨年の取材で見た東出さんの表情

 なだらかに広がる広葉樹林の鮮やかな緑に囲まれた山の中で対談の収録を終えた私たちは、米田さんの案内の元、野生のツキノワグマが降りてくるという大豆畑に向かった。

「いつもはもっとゴロゴロいるんだけどよ」と言いながら米田さんが、指さす方を見ると、青々とした畑の中に黒い塊がポツン、ポツンとあるのが見える。野生のツキノワグマだった。

 写真週刊誌にいた頃、張り込み用にと先輩カメラマンから譲ってもらった(正確には買わされた)単眼鏡を覗き込む。ぼんやりした視界の中で、黒い塊がもぞもぞと動いているのがわかるが、肉眼で見る美しさには敵わない。生命力あふれるその姿に興奮する私の横で、「野生動物は、本当に美しいんです」と、嬉しそうに頷く東出さんの横顔が印象的だった。

別れ際の「いつか」から一年、お互いの状況の変化

 そうやって同じ景色を共有したからだろうか。取材を終えて帰りの新幹線を待つ頃にはお互いなんとなく打ち解けて、遅めの昼食を食べながら「なんで記者になったんですか?」とか「あれ、タメなんだ!」みたいな話をした。「土地の酒蔵に足を運ぶのが好きなんです」という東出さんと、酒蔵を訪れたりもした。Googleで「〇〇駅周辺 酒蔵」と調べる私を横目に、「スミマセーン」と胴長姿の地元の方に自然と声を掛けて道を尋ね、「今の時期は鮎ですか」など話す東出さんを見て、ああこうやって山での暮らしに溶け込んでいったのだなと妙に納得した。

 東京へ戻り、別れ際に「また何かやりたいですね、山へ遊びに行かせてください」とは言ったものの、当時私は産後数カ月。子どもを置いて山に行くのも、連れていくのも現実的ではなく、「いつか」と思ううちに1年が経ってしまった。

 その間に、東出さんはYouTubeチャンネルや『SPA!』のエッセイ連載で、山暮らしの発信をするようになっていた。東出さんの周りには1年前とは比べ物にならないくらい多くの人が集まっているし、俳優業も猟師としての活動も忙しくなっているようだった。

 一方、私が置かれた状況もこの1年でだいぶ変化していた。「文春オンライン」のニュース班と「週刊文春」編集部が一緒に記事を作ることになったため、私は「週刊文春」に移籍。「週刊文春記者」として毎週取材と記事の執筆に追われる日々となった。世間からの週刊誌記者に対する風当たりは強く、ふと息苦しさを感じることもあった。

とんでもないタイミングでのインタビュー

 そんな時に思い出すのは、あのクマ取材の時に見た景色。気づけば、「またクマ対談のような企画がしたい。山に行ってお話しできないか」と東出さんにメールを送っていた。「もう私の事なんて忘れてるかな」と思いながら。しかし東出さんはすぐに「ぜひご家族で遊びに来てください!」とお返事をくれた。ご家族で! 嬉しいお誘いに恐縮した振りをしながらもちゃっかりお言葉に甘え、じゃあ9月のこの日にと日程が決まり、手土産やら息子用に虫取り網なんかを買い求め、楽しみだね~なんて浮足立っていたところで、8月27日の再婚報告である。

 とんでもないタイミングで渦中の人に会いに行くことになってしまった。“東出再婚”に日本中が沸いていた。ネットニュースを開くごとに新しい記事がアップされているが、その中には「これは憶測では」というものや、情報源が怪しそうなものも多く、釈然としない思いが沸き上がる。こんなことなら私がきちんと話を聞きたい。そう思って、インタビューを申し込んだが、今私が属するのは東出さんの「人生をぶっ壊した」、「週刊文春」である。ダメ元だったが、東出さんの回答は、「遊びがてら、食卓を囲みながらお話をし、その一端を記事にしてください」。

 こうしてプライベートだか仕事だかわからない1泊2日の訪問が決まったのだ。

 *

「ワイルド」としか表現しようがない光景

 話は冒頭に戻り、私たち一家は愛犬しーちゃんのものであろう毛と、獣の匂いに満ちた東出さんのボコボコプリウスに揺られて曲がりくねった山道を登っていく。

 私たちが宿泊するキャンプ場に着くと、東出さん自ら「橋の上で布団干しますね」「焚き火はここで」と、まるでスタッフのように手際よく施設を案内してくれる。聞けば、東出さんの家の持ち主が、このキャンプ場のオーナーらしい。

 その後、そのご自宅まで案内していただいた。古民家の軒下が、東出さん宅のリビングスペース。「拾ってきた」という椅子や机の上に、調味料やら調理器具やらが雑然と置かれている。「ワイルド」としか表現しようがないその光景に、東出さんのYouTubeチャンネルのファンである夫は、「本物だ」と感激していた。

 すぐ裏にはわずかに紅葉が始まった木々が鬱蒼と生い茂り、そこからチロチロと湧き水が流れてくる。

「トンボ!」と、子どもが声を上げた。大きなオニヤンマだった。

「用を足すときは、ショベルで穴掘って、そこにしてください」

「僕がここで獲物を捌くとき、端肉をそこらへんに捨てるから、そこに蠅が集まって、その蠅を狙ってオニヤンマが来るんです」と、東出さんは虫取り網を構えながらそう言う。この小屋の周りに形作られた生態系のほんの一部を垣間見た気がした。

「取材は明日の午前中。今日は家族の時間を」ということになり、アイスコーヒーをご馳走になりながら(水が綺麗だからか、これが本当に美味いのだ)一息ついた後は別行動。「用を足すときは、ショベルで穴掘って、そこにしてください。紙は燃やすから置いといてください」。「キャンプ場のWi-Fiのつなぎ方、教えますね、めちゃくちゃ不安定だけど(笑)」と、一通りレクチャーを受けて別れると、家族で周辺を散策した。電波も繋がらず、Wi-Fiは不安定どころか何度やっても微弱で編集部とも連絡が取りづらいが、仕方ない。

「魚を獲る」と言ってきかない子供と、川の冷たい水に足を浸しながら、ただただ木や石ころを眺める。シンプルな景色なのに、落ち葉の間にある枯れ枝と思ったものがナナフシだったりして、意外と飽きなくて、あっという間に星がちらつき始めた。

「鹿シチュー作って来たんで、食べましょう」

 キャンプ場にやってきた東出さんは、鍋を掲げながらそう言う。手際よく焚き火を起こすと、オクラや猪鹿ソーセージを焼いてくれる。猪鹿ソーセージは豚のソーセージよりも弾力があり、赤身の旨味が凝縮した感じ。東出さんの鹿シチューは野性味のある鹿肉がハーブと共に柔らかく煮込まれていて、ビーフシチューとはまた違った美味しさだ。子供も気に入ってパンをスープに浸してパクパク食べる。

“東出再婚”の記事が氾濫していることについて

 子供たちを寝かしつけたら、赤ワインで乾杯。お酒が入ると、互いにちょっと饒舌になり、ここでの生活のこと、狩りのこと、先輩猟師のことを聞いた。私も聞かれたわけでもないのに、東京での生活や、仕事のことを取り留めなく話していた。東出さんは薪を割りつつ、うんうんとそれを聞いてくれる。この人には何でも話して大丈夫、という安心感があった。

 途中、東出さんがふらーと席を外したと思ったら、私たちと同じようにキャンプ場でBBQをしていた3人のお客さんを連れて戻って来た。そのうちの一人はキャンプ場のオーナーの息子さんで東出さんとは顔なじみとのこと。そうしてほとんどが「はじめまして」の6人で焚き火を囲む。

 こういう時は普通、芸能人である東出さんに注目が集まるものだが、東出さんに慣れてしまっている地元の方の興味の対象は「文春記者」の私で、質問攻めにあってしまう。その頃にはすでに3リットルあったワインを飲みほしていたので記憶は怪しいが、今“東出再婚”の記事が氾濫していることについて、「なんでこういうことが起こっているのか」とか、そういう話になったのだと思う。東出さんを知る人からしたら、間違った情報ばかり書かれているのだと。

「記者さんの前で言うのもおかしな話だけど…」

 私が何をどこから語れば、と逡巡していると、隣に座った東出さんが、「記者さんの前で言うのもおかしな話だけど」と前置きして、SNS社会とメディアの関係を解説し始める。

「週刊誌やウェブメディアにも問題はあるが、僕の再婚の記事が大衆にこんなにも読まれること自体、不気味に思う。メディアは大衆が求めている以上、書かないわけにはいかない」

 そんなことを言っていた気がする。それが、東出さん自身が大衆の興味の対象となり、バッシングを受け、記者から幾度もの「直撃」を受けるという壮絶な経験をした中で獲得した言葉なのだと思うと、複雑な気持ちになる。今思えば、週刊誌に「人生ぶっ壊された」張本人と、その雑誌の記者が並んでそういうテーマについて語ること自体が不思議な光景だったと思う。

 しかし明日になれば、私は東出さんに聞かれたくないであろうことも聞かなきゃいけない。東出さんも明日には私に聞かれたくないことを聞かれんだろうなと分かっている。でもその瞬間だけは、そんなことは忘れていたかった。

「あの記者さんのことは信頼できるから」

 宴もたけなわで解散となり、「明日はよろしくお願いします」と東出さんを見送った後、一緒に焚き火を囲んでいた地元の方が声を掛けてくれた。

「さっき彼と話してて、『文春の取材を受けるんだ』って言うから、僕ら『大丈夫なの?』って言ったんですよ。でも、彼は『あの記者さんのことは信頼できるから』って。あなたがいないところでそう言うってことは、本当に信頼してるんだね」

 正直に言うと、私は東出さんをそこまで信頼してはいなかったと思う。こんな状況だし、媒体が媒体だから、当日になってキャンセルもあり得ると思っていた。待ち合わせの駅に向かう列車の中、ビル群から田園風景へとあっという間に変わっていく窓の外を眺めながら、「そうなっても押しかけるしかないか」とか「まあページ落としても死人は(多分)出ないし」とか、そんなことをぼんやり考えていた。そんな自分を恥じながら、「なんで東出さんは私を信頼できるのだろう」「なぜここまでしてくれるんだろう」と考えるうちに、眠りに落ちていた。

〈 「住所は別々。まだ籍も入れてないですしね」東出昌大(36)独占告白120分《再婚相手・花林ちゃんのこと、不倫報道後のパニック状態》「“付き合いました#両思い”みたいな年齢じゃないので(笑)」 〉へ続く

(「週刊文春」編集部/週刊文春Webオリジナル)

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