感想戦で永瀬が笑みを浮かべ、藤井が駒をクルクルと…王座戦「リターンマッチ」第1局の後日談を二人に聞いた
文春オンライン / 2024年9月17日 11時0分
藤井聡太王座
〈 「私としては運命的な組み合わせ」藤井聡太王座への“リターンマッチ”。挑戦者・永瀬拓矢九段が胸に秘めていたもの 〉から続く
藤井聡太王座に永瀬拓矢九段が“リターンマッチ”を挑む、第72期王座戦五番勝負第1局。
昼食休憩明け、両者が厳しい表情を見せる中、藤井の巧みな攻めが光った。
永瀬玉を守る金銀を、歩のたたきで上ずらせて乱し、馬金銀の三方取りで銀を打ち、さらに王手で桂を打ち込む。永瀬はあえて狭い9筋に玉を逃げ、底に銀を打って詰めろを受けた。そして藤井玉に反撃、玉頭の金取りに桂を跳ねる。
しかし、藤井が金を逃げたのを見て頭をかかえた。永瀬は迷ったような手つきで端に桂を成り捨てたが、誤算があったことは明らかだ。
最後は予想だにしなかった手で勝負が決まった
永瀬の6四銀と1三成桂、そして藤井の2四金、あちこちで駒取りになっている。予想だにしなかった展開に、控室も驚きながら、ようやく結論を出した。永瀬の攻め駒が2筋で渋滞しているのでこちらは触らず、6四銀を取って藤井玉を右辺に逃がす。自陣の金と飛車が玉を守ってくれるので、藤井が残していると。
ところがどっこいである。102手目、藤井はまったく別のことを考えていた。7七金取りに6八角と打った。そして自陣では爆弾になりそうな成桂を払う。続いて6筋の角を、2筋で走ってきた香と刺し違えると、取ったばかりの香を飛車の鼻先に叩きつけたのだ。攻め駒を消して安全勝ちを目指したように見えて、そうではない。
永瀬は歩を打って金を奪った。永瀬玉は一瞬詰まない。駒台には角角金金がある。藤井、こんな状況で手番を渡して大丈夫なのか? 森内も「危ないけどなあ」とつぶやいた。
ところが調べてみると、攻防手などがあり、藤井玉への詰めろは続かない。永瀬は藤井が読み切ったことを肌で感じたのだろう。持ち時間を使い切り、指したのは金のタダ捨て! 藤井が読んでいない手を、逆転につながるような手を懸命に探していたのだ。こういう手をAIに評価させても意味はない。しかし、時間を5分残していることもあり、藤井は冷静だった。攻防の飛車を打ち、必至をかけ、角のタダ捨ても冷静に逃げた。
20時30分、124手で藤井が開幕局を制した。
張り詰めた空気から一転、リラックスした雰囲気に
終局後、対局室に入ると、まだ張り詰めた空気が流れていた。感想戦は緊張感が残ったまま始まる。だが、7年以上も研究会でお互いを高め合い、気心がしれた2人だ。少しずつ弛緩していき、表情が緩む。永瀬が笑みを浮かべ、藤井が駒をクルクルと回すようになる。心を整理し、折り畳んでいく。見ていてなんだかホッとする。
検討していく中で、83手目に永瀬の打った香が取られる変化が出てきた。香を2八ではなく2六に打つ手をAIが推奨しており……という話になった。「香車は下段に打て」がセオリーなだけに、藤井が「違和感があるような」と言えば、永瀬も「へえー2六なんですかあ」と言って何度も香を2六に打ち付けた。下段の香車がまずかったと言われてもだよねえ。
さて立会人の青野には、まだ大事な仕事が残っている。「ほどよいところで感想戦をお開きにする」という役目が。対局終了からちょうど1時間後、青野が「もうそろそろ」と声をかけ、両者が深々とおじぎをして第1局を終えた。
「公式戦の対局と公務以外はすべて研究会」という凄まじさ
打ち上げにもご相伴させていただいた。ちょうど永瀬の向かいに座ったので、いろいろと話を聞くことができた。食事の席なので、まずは気楽に昼食はどうだったかと聞くと、2人ともボリュームたっぷりの陣屋カレーをほとんど平らげたとのこと。「あの伊勢海老の揚げたものが美味しいんですよ」と永瀬。「今日は久々に食べすぎました」と言う。
「これまでは、ぶどう1房とか、いちご1パックを1回で食べていたんですけど控えるようにして、2ヶ月前から朝ご飯を抜いて1日2食にしているんですよ」
2ヶ月前とは、ちょうど王座戦で鈴木に勝って挑戦者決定戦に進出した後だ。
「5キロほど痩せて標準体重になりました」
今は月に何日研究会をやっているのかと聞くと、永瀬は平然とした顔で答えた。
「2024年に入ってからは公式戦の対局と公務以外はすべて研究会を入れています。はい、明日もです」
ええっ? 毎日のように朝から研究会をやっていて脳がガス欠にならない?
「ええ、燃費が良くなったんでしょうか(笑)。1日1食にするのはやりすぎですかねえ(笑)」
いやいや、「軍曹」という言葉すら生ぬるい。食事については無茶しないでほしいと心配になるほどだ。しかし藤井はニコニコしながら聞いている。そうか、彼にとってそういう永瀬は当たり前なんだろうな。
藤井王座は人とは違う世界をいつも見ている
後日、他棋戦のイベントで藤井と会えたので、改めて話を聞いた。
――序盤はどうでしたか。
「馬を作ってくるのはあるとは思っていましたが、本命ではなかったです。先手にはいろいろな選択肢があったので。その後はその場で考えました。
自陣角を打ったところ(56手目)では、桂跳ねにするか迷っていましたが、桂を跳ねると馬を使って手を作られると考えました。ただ、(角打ちの)感触は悪く、桂跳ねが正着だったかと」
――中盤、両者とも苦しそうな表情をしていましたが、形勢はどう見ていましたか。
「自信はなかったですが、先手から見ても良くするまでは先が長いという印象があります。途中、永瀬さんが継ぎ歩したのは意外でした」
――終盤はどう読んでいましたか?
「▲9八玉(93手目)では、▲7八玉を予想していました。後に角を2八の香と刺し違える順が本線の読みでしたが、形勢は微妙かと。そんなにうまくいっているという感じはしなかったです。▲9八玉からは良くなったかと思います」
――最後の決め方は驚きました。銀を取って、右辺に玉を逃げ出すかと思ったのですが。
「いや、それが本筋でしたね(笑)」
――だけど、113手目の局面で自玉に詰めろがかからないことを読み切っていたわけですよね。
「時間がないので読み切ったとは言えないですが、ニーサンイチニーがある(3二にいた玉を、2三→1二と逃げられるルートがある)ので、危ない形ではなさそうかなと。113手目▲4二金に代えて、▲5三金には△5八飛が攻防手になりますし」
えっ、角角金金と持たれていて、手番を渡して危なくない!? 私は思わず藤井の顔をまじまじと見てしまった。あの局面で、右辺ではなく左辺に逃げる順を読む棋士などいない。藤井は、人とは違う世界をいつも見ている。果たして藤井から見える盤上にはどんな光景が広がっているのだろう。
王座戦五番勝負はこれからだ
立会人の青野にも後日話を聞いた。
「永瀬さんが対局室に早く来ていて、緊張していた様子でしたね。精神的にちょっと追い込まれている感じはしました。初戦を落として永瀬さんは厳しい状況です。ただね、昨年は防衛する、守る立場だったけど、今回はもう失うものはない。勇気をもって藤井さんに立ち向かってほしいですね」
そうだ。五番勝負は始まったばかりだ。永瀬は王座戦挑戦者決定トーナメントで、郷田真隆九段戦、菅井竜也八段戦、そして羽生戦と、3回も後手番で勝ってきたのだ。2人の暑い熱い戦いは、これからだ。
写真=勝又清和
(勝又 清和)
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