「私が大学1年のとき、母が自殺で亡くなった」「うつ病と更年期が重なって…」上智卒の筋トレコスプレイヤー(27)が明かす、“優しい母親”が自ら命を絶った経緯
文春オンライン / 2024年10月5日 11時0分
コスプレイヤー、俳優として活動する桃戸ももさん ©文藝春秋/三宅史郎
コスプレイヤー、俳優として活動し、トレーニーとしてベストボディ・ジャパン2019日本大会ベスト4の成績も残す桃戸もも(27)。
うつ病で母を亡くしている彼女に、家庭の様子、母に訪れた変調の数々や親子の仲などについて、話を聞いた。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)
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高校2年生頃から、母の情緒が不安定になり始めた
――お母さんは情緒不安定だったとのことですが、いつぐらいからそうした状態になったのでしょう?
桃戸もも(以下、桃戸) 私が高2の頃あたりからですね。「お母さんヒス構文」ってあるじゃないですか。もともと、ああいう感じの人ではあったんですよ。
――論点をとんでもない方向へ飛躍させたり、「どうせお母さんが悪いんでしょ」と自身を卑下するようで相手を責めるような。
桃戸 そうです、そうです。そういう話し方や振る舞いは前からあったんですけど、急にひどくなって。「そんなことで?」っていう理由で、ものすごく怒るようにもなったんです。
たとえば、用事があって私が横浜にいたんですよ。それで母に電話を掛けて、「横浜にいるから、こっちでご飯食べない?」って提案して。そうしたら、怒りながら横浜に来たんですよ。なんか、むりやり呼び出されたみたいな感じで。「いや、来たくなかったらいいのに」って言ったら、そこでさらに怒ってケンカになったんですよ。
――当初は「今日、機嫌が悪いのかな」と思っていたけど、段々と違和感みたいなものが。
桃戸 こっちがすごく気を使わなきゃいけなくなることが多くなって、「なんか、おかしいな」って。なにかと怒鳴るようになったし、私が出掛けようとしたら「もう帰ってこないんでしょ」みたいなことを言い出したりして。私が高3の頃には、完全にうつモードに入っちゃってました。
看護師だった母が、仕事を辞めて専業主婦になった理由
――お母さんは、ずっと専業主婦を。
桃戸 結婚するまで看護師をやってて、いや、私が生まれるまでかな。いずれにせよ、私が生まれてからはずっと専業主婦でした。
――お父さんは、ずっと勤め人を。
桃戸 会社員だったんですけど、私が幼稚園か小学校低学年ぐらいのときに退社して、自分の会社を始めて。いまも会社を続けてます。
――幼かった頃の桃戸さんから見て、両親や家庭はどういった雰囲気でしたか。
桃戸 いま振り返ると、父は若干ですけど亭主関白というか、「昭和の父親」的なところがあったかな。母が看護師を辞めたのも、家事をやってほしいという父の願いを聞き入れたからだと思います。父はいま70歳を超えていて、考え方が昔の人なので。
母は、明るくて誰からも好かれるような人で、優しかったですね。でも、母親も母親で厳しかったところがありました。
幼い頃は母と仲良くやっていたが…
――桃戸さん自身の幼い頃というのは。
桃戸 友だちが多くて、一緒によく遊んでましたね。小学校から私立で、そっちの友だちは住んでる場所がバラバラだったので簡単には遊べなかったですけど、町内会のお祭りとかで地元の小学校に通ってる子たちと仲が良くなって。その子たちとは、自転車であちこち行ってました。
――社交的だった。
桃戸 どうなんですかね。特に明るい子供ではなかったと思うんですけど。赤ちゃんの頃から幼なじみの男の子が2人いて、その子たちとも遊んでましたし。まあ、小学校のときって男女関係なく、ワーッと遊ぶものじゃないですか。そういうノリについていけてただけじゃないですかね。
――お母さんとも仲は良かったわけですよね。
桃戸 母とはうまくやってましたね。優しかったし、専業主婦で家にいるから、ずっと一緒にいたので。父は仕事で忙しかったので、やっぱり母親のほうになついてて。お母さんと遊びに行ったり、どっか行ったりとかすることは多かったですね。
家族旅行もけっこう行きました。ゴールデンウィーク、夏休みとか、大きな休みになると、ハワイとかグアムとかに行ったり。沖縄には、毎年行ってましたね。
大学受験が終わるまでスマホを持てず…厳しかった母親の教育方針
――「母親も母親で厳しかった」とのことですが、どういったところで厳しかったのでしょう。
桃戸 おおらかな人だったんですけど、変なところで厳しかったんですよ。私、大学受験が終わるまでスマホを持たせてもらえなくて。中学からガラケーは渡されてたけど、周りはみんなスマホに変えてLINEをやっていたけど、私だけガラケーだからLINEができないのが厳しかったですね。「あのときの、あのゲームが」みたいなスマホゲームの話題になっても、そもそもスマホを持ってなかったから話についていけないんですよ。
あと、ネットを見るのを嫌がってましたね。家のリビングにパソコンが置いてあったんですけど、母はWi-Fiルーターに刺さってるカードを抜いて、どこかに隠してから出かけちゃったりするんですよ。隠しているカードを探し出してネットを見てたんですけど、バレちゃって。それから母は、カードを持って出かけるようになって。
BL小説や漫画が見つかり、母から「庭で燃やしなさい」と…
――ちょっとした攻防が。
桃戸 ありましたね。あと、私は腐女子だったんですけど、高校の時に私が持っていたBLの小説とか漫画を母が見つけて。母から「庭で燃やしなさい」って言われて、見つかるたびに自分のBLの本で焚き火をしてました(笑)。ときどき、バーベキューセットを使って燃やしたりもしましたけど。
――それ、アイデンティティがどうにかなりませんでしたか。
桃戸 キツいと言えば、キツかったですね。私が好きなものが、けっこう制限されてたところがあったので。ただ、性に対して厳しかったので、見つかったら捨てられるなり、なにかされるなと構えてはいました。
――漫画で、そうした描写があると……。
桃戸 読ませてもらえなかった。母の前で漫画を読んでたり、アニメを見てたりして、そういったシーンが出てくると一気に気まずい雰囲気になりましたね。漫画雑誌で許されていたのは『ちゃお』までで、それ以上は買ってもらえなかった。でも、学校のみんなで貸し借りして読んでましたけど(笑)。
漫画を持ってきちゃいけない学校だったので、ベストの下に隠してたりして持ち寄って。で、アイコンタクトを取って、ササッと交換するんです。
通っていた学校って、いわゆるお嬢様学校だったんですけど、私以外にもそういう子がわりと多かったですね。自由にやらせてもらえてる子は、少なかったかな。
洋服や水着についても口を出すようになっていた
――ほかに、お母さんが厳しかったものは。
桃戸 洋服と水着はうるさかったですね。ちょっと肌が多めに出ている感じだとダメで。大学に入って間もない頃に、みんなで海に行くからって水着を買ったときも「あんまり派手なのはダメ」みたいなことを言われた記憶が。あと、「買ってきた洋服を見せて」ってチェックされたこともありますね。
髪も厳しかったですね。子供の頃、ずっと髪をおろしたかったんだけど、おろさせてもらえなくて、2つ結びだけとか。
――なにかを禁じられて、泣いたり、反抗したりは。
桃戸 どうなんだろう……少しはしてたのかな。子供の頃は、大きい声で泣くことが一切なかったらしいんですよ。赤ちゃんのときからそうだったみたいで、泣いてもわかんないぐらいの声で泣いてたみたいで。でも、母が厳しかったのはそれぐらいだったので。どっちかというと、受験に対して凄かった。
母に言われて中2から大学受験の勉強
――お母さんは教育熱心なところもあったそうですが、それは桃戸さんが小さい頃から?
桃戸 私を小学校から私立に入れたのも、母の希望だったんだと思いますし。やっぱり、大学に関しても熱心でしたね。私は「専門学校でいい」と話してたんですけど、「学歴がないと、この先どうにも生きていけない。大学にはどうしても行ってほしい」みたいに返されて。塾も通いたくなかったんだけど、大学受験に向けて中2ぐらいから通ってましたね。
――お母さんが高学歴ゆえに、娘も同じように大学に進んでほしいと。
桃戸 いや、父も母も専門学校卒なんですよ。母は看護師だったので、その専門学校を出ていて。ふたりとも大学に行ってないからこそ、行ってほしかったみたいですね。
こっちは受験勉強なんてしたくなかったし、「なんで大学に行かなきゃいけないんだろう」って思ってましたけど、母の「勉強をやってほしい」という気持ちがすごく伝わってきたので、やるしかなかったですね。今思えば、勉強をやっていい大学に行けたのはよかったことですが。
――上智大学を卒業していますが、お母さんが上智に行けと。
桃戸 上智一択ではないですけど、「なるべく、いい学校に行け」と言われてましたね。最低でも、MARCH以上。それで、私の成績でギリ受かりそうなのが上智かな、みたいな。でも、「とりあえず4年制の大学に行ってくれればいい」って感じでしたけどね。
リストカットしたり、橋の上に立ったり…母のうつ病が悪化してしまったワケ
――高2の頃からお母さんの情緒が不安定になったとおっしゃっていましたが、大学に入ってからはどのような状態に?
桃戸 高3あたりから、かなり重くなっていましたね。更年期障害も始まってたし、そこにうつ病も重なってしまってたので。で、家出をするようになったんです。買い物に行ったきり、帰ってこなかったり、線路のそばにずっと立っていたり、橋の上に立っていたところを警察に保護されたりとか。それで電話が来て、引き取りに行きましたし。あと、リストカットもするようにもなって。
――お母さんのメンタルが急激に悪化したきっかけみたいなものは、なにか思い当たりますか。
桃戸 私が大学に入ったタイミングで、看護師に復帰したんですよ。でも、あまりにブランクがありすぎたのと、離れていた20年の間にシステムがすべて電子化しちゃっていて、ついていけなかったんです。それで、うつ病が重くなった気がしますね。
働けないことに対して自信がなくなって、「自分の価値って、どこにあるんだろう」となっちゃったんじゃないかなって。その考えがどんどん大きくなって、家事もできなくなった感じですかね。
――「線路のそばに立ったり、リストカットをしていた」というのは、希死念慮があったわけですよね。
桃戸 そうだと思います。私が大学1年のときに、自殺で亡くなりましたから。
撮影=三宅史郎/文藝春秋
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【厚生労働省のサイトで紹介している主な悩み相談窓口】
▼いのちの電話 0570-783-556(午前10時~午後10時)、0120-783-556(午後4時~同9時、毎月10日は午前8時~翌日午前8時)
▼こころの健康相談統一ダイヤル 0570-064-556(対応の曜日・時間は都道府県により異なる)
▼よりそいホットライン 0120-279-338(24時間対応) 岩手、宮城、福島各県からは0120-279-226(24時間対応)
〈 「帰宅したら、家の中が血だらけになってた」“うつ病の母”が度重なる自殺未遂の末に自死…上智卒の筋トレコスプレイヤー(27)が語る、“母親の死後”に抱いた複雑な思い 〉へ続く
(平田 裕介)
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