「わしもやりゃあできるんじゃのう」でも90代父は道の真ん中で全く動かなくなり…娘が目撃した「老老介護」の“切実さ”
文春オンライン / 2024年10月19日 11時10分
映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』公式サイトより
〈 90代の父は母の異様な寝姿にギョッとするだろうか? 認知症になった80代の母を前に父が放った“意外なひとこと” 〉から続く
「今年はぼけますから、よろしくお願いします」。当時87歳の母は、娘に突然宣言した。フリーの映像ディレクター・信友直子さんが監督を務め、広島県呉市の実家で暮らす認知症の母と耳の遠い父を撮り続けたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は2018年に異例の大ヒットに。同名の信友さんの著書( 新潮文庫 )から一部を抜粋して紹介する。(全4回の3回目/ #4 に続く)
◆ ◆ ◆
父の買い物について行ってみると…
父が食料品の買い物に行くというので、カメラを回しながらついて行ってみることにしました。行き先は、坂道を上ったところにある、実家から500メートルくらい離れたスーパーです。実家は呉市の中心部にあるので、もっと近くにスーパーは何軒もあるのに、
「あそこのレジの子が一番愛想がええけん、わしゃあそこが好きなんじゃ」
と、頑固な父はわざわざ遠いスーパーまで歩いて行っているようなのです。
店に着くと、勝手知ったる、といった感じで店の買い物カートを押して、かごにどんどん食料品を入れていきます。それが早い、早い。けっこう大きいスーパーなのですが、どこに何が置いてあるのか、父が完璧に把握していることに驚きました。牛乳、ヨーグルト、バナナ、リンゴ、大根……。え、お父さん、重たいものばっかりじゃけど、大丈夫なん?
鮮魚売り場では、
「これはどこのサバですかいの?」
と売り場のお兄さんに尋ねていて、
「これはノルウェー産ですね」
とのお答えに、
「はあはあ、ノルウェーのサバはおいしいけんね」
訳知り顔で買い物かごに入れていました。そのちょっと気どった様子が母にそっくりで、私は思わず笑ってしまいました。
お父さん、ノルウェーのサバはおいしいん?私、知らんかったわ。
買い物の帰りが大変でした。父は後先考えず、けっこうかさばる重たいものばかり買ってしまって、大きな袋ふたつ分の大荷物になってしまったのです。
「お父さん、今日は直子は撮影しよるけん、荷物持たれんけど、よう持って帰る?」
「おう、これぐらい平気よ。いつもこれぐらい買うて帰りよるんじゃけん」
「老老介護」の日々の切実さ
男らしいことを言っていた父でしたが、私が試しに持ってみてもずしりと重たい荷物です。父は袋を両手にぶら下げて、えっちらおっちら歩いていましたが、しばらく歩くと、
「やれ、たいぎいのう。ちょっと休もうかのう」
と、よその家の軒先の腰かけに座り込んでしまいました。そうやって、家に着くまでに何度休んだでしょう。だけどしばらく休むと父は、
「立たねば何事も始まらん。頑張るぞ!」
と自分を鼓舞してまた、立ち上がって歩き出すのです。私はそれを撮りながら、ホントはカメラを回してる場合じゃないよなあ、私が荷物を持たなきゃいけないよなあ、と娘としての良心の呵責と闘っていました。
特に、家のすぐそばまで戻って来たときに、父が道の真ん中に立ったまま、荷物を地面に置いて下を向いて動かなくなり、本当にどうしようかと思いました。10秒近く全く動かないのです。私は遠くからカメラの液晶画面越しに見ていたのですが、「あれ、どうしたのかな、やばいな」と不安が募ってきて、カメラがカタッと揺れています。その瞬間「カメラを止めて助けに行こう」と思った自分の心の揺れを、そのカタッと揺れる映像を見るたびに思い出します。
でも……その次の瞬間、父は顔を上げて、また前へと歩き出したのです。
ホッとすると同時に、私は、どうか近所の人が私たちを見ていませんように、と祈るような気持ちになりました。誰かにこんな姿を見られていたら、「信友の娘は何をやっとるんじゃ。親に大荷物を持たせて、遠くからカメラで撮りよったが」などと、変な娘だと噂になるのは間違いないからです。
こんなに大変なことになっていたのか……。私は愕然としました。父は「いつもこれぐらい買うて帰りよるんじゃ」と言っていた。ということは、私がいないときは、毎回こうやって、ふうふう言いながら重たい荷物を運んでいるのか。
カメラを回すという目的があったからこそ、私のいない両親の日常を追体験させてもらえたわけですが、90代の父が母を介護する「老老介護」の日々の切実さを、改めて目の当たりにした思いでした。
娘としては、知るのは辛い事実だけれど、でも知れてよかった。私は、父へのせめてもの償いとして、買い物袋をそのまま入れて押して運べるシルバーカー(手押し車)を、プレゼントすることにしました。最初は、
「わしゃあ、そんな年寄りくさいもんはいらん。カッコ悪いわ」
と拒否していた父でしたが(私が「いや、お父さんはじゅうぶん年寄りなんよ」と心の中でツッコんだのは言うまでもありません)、使ってみると気に入ったらしく、今は買い物だけでなく、どこへ行くにもシルバーカーと共に出かけています。
90代にして一気に開花した父の家事能力
他にも父は、驚くほどいろんなことを始めていました。
あの日買って帰ったサバは、自分で焼いて、ちゃんと大根おろしを添えて母にふるまっていました。母は父が台所に入ってくることにまだ抵抗があるようで、うろうろと父の後ろを歩き回り、自分の存在をアピールしていましたが、目の前のサバを焼くことに集中している父はまるで気づきません。仕方なく母は、さも父を監督しているようなポーズで、
「おいしそうに焼けたね~」
と、父の手際のよさを、ちょっと悔しそうにほめていました。
朝はパン食なので、父は母と二人分のトーストを焼き、牛乳を温め、フルーツを欠かさず用意して、よく母の好きなリンゴをむいてやっていました。私は父が包丁を使う姿を初めて見ました。最初のうちは手つきも危なっかしく、怪我しやしないかと見ている方がハラハラ。仕上がりも、リンゴの皮がところどころに残る雑なものだったのですが、続けるうちに包丁さばきもどんどん上手くなってゆきました。
へえ……人は90代になっても、こんなふうに進化するものなんだ。私は、父の内に秘められていた生活力の高さに、感動すら覚えました。そして父自身も、
「わしもやりゃあできるんじゃのう」
90代にして一気に開花した家事能力に、自分自身で驚き、ちょっと嬉しくなって浮かれているような感じすらあります。そこがまたかわいらしいのです。
〈 「もたもたしとったら上官に殴られるけん、必死で…」80代の母が認知症に→父親が90代で家事全般をテキパキこなすまで 〉へ続く
(信友 直子/Webオリジナル(外部転載))
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