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大きな胸がイヤだった中学時代→“セクシーキャラ”で大ブレイク…人妻になった清水あいり(31)が明かす“芸能界デビューの裏側”

文春オンライン / 2024年10月12日 11時0分

大きな胸がイヤだった中学時代→“セクシーキャラ”で大ブレイク…人妻になった清水あいり(31)が明かす“芸能界デビューの裏側”

「関西弁あいうえお」などのセクシーネタでブレイクし、バラエティー番組でも活躍する清水あいりさん(31)。7月には結婚を発表したことでも話題となった。そんな彼女が不審者に襲われ命の危険もあった子供時代、壮絶な家庭環境、芸能界入りのきっかけを語ってくれた。(全3回の1回目/ 2回目 に続く)

◆◆◆

「初共演で打ち解けられるタイプじゃない」実は人見知りな素顔

――清水さんの取材は高校生時代からしていますが、当時は喋らない、おとなしい印象でした。

清水あいりさん(以下、清水) 人見知りがすごかった時代かもしれないです。今でもすごいんですけど。

――現在のテレビでの姿を見ていると、人見知りという印象はないです。

清水 実際は初めてご一緒する共演者さんと打ち解けられるタイプじゃなくて。向こうから来てもらって初めて喋れるみたいな感じなんです。そこは芸能界では致命的だなとは思いながらも、何とか頑張ってます。

「この子は将来変な男が寄ってくる」空手を始めた“きっかけ”

――子供の頃ってどんな子だったんですか。

清水 子供の頃は空手一筋だったので、「空手の師範になるぞ」ってずっと言ってたんです。空手は3歳の頃、母方の祖父が母親に「この子は将来変な男が寄ってくる雰囲気があるから、空手とかやらせとかな」と言って、母親も「じゃあ自分の身は自分で守らなあかんなあ」となり、無理やり習わされました。

 子供の頃は泣きながら空手に通ってました。私が所属していた琉球空手の支部は道場がなくて、工場の駐車場で稽古をしていたんです。真冬や雨の中でも裸足で外に出て空手をやるから寒いし、足はかじかんでつらい。でもだんだんと空手の魅力が分かってきて、いつしか屋内の道場もできて足は痛くなくなりました。

 館長の厳しさは変わらなかったけど、空手がどんどん楽しくなってハマっていきました。型の部門では近畿大会で3連覇しました。

 実際に祖父の言った通り、小学1年生の頃から変な人が付きまとってくるようになりました。家が遠かったので友達とバイバイした後、一人で歩いていると不審者がついてくるので、気持ち悪い変なダンスをして「こちらの方が不審者やぞ」とアピールをしながら下校したりしてました。不審者と言ってもナンパとかじゃなくて、本物の変質者というかそういうヤバい人たちがきてました。後ろから首を絞められたりとか。

「あんた、何してんの!」登校前に突然、男の人に襲われて…

――えっ。それ、生命の危機ですよね。

清水 小学生の頃って、登校する時に同じ学校の生徒と集合してから学校に向かうじゃないですか。私は遅刻するのが嫌いやから、いつも一番で集合場所に行ってたんですけど、なんかベランダから見てくる大学生くらいの男の人がいたんですよ。

 ある日、その集合場所に行ったら、その男の人がいつものベランダにいなくて。「あれ、あの人おらんなあ」と思ったら、いきなり私の後ろから首を絞めてきて。一瞬で金縛りのような感覚になりました。その時いつもご挨拶する近所のおばあちゃんがちょうど掃除をしようと家を出てきたところで「あんた、何してんの!」って言って止めてくれて、助かりました。

「男性が馬乗りになってきた」帰宅中に暴漢に襲われ、撃退

――それは怖い。清水さんは大人になってからも不審者に襲われかけたそうですね。

清水 20代半ばくらいですね。コンビニを出て、人気のない道を帰っていたら、後ろから気配がして。パッと振り返ったら10メートルぐらい後ろにスーツを着た若めの男性が歩いていて。「まあ大丈夫か」と思って進んでたら、また気配を感じて。後ろを振り返った瞬間に首を絞められて、そのまま地面にガンと叩きつけられたんです。

 その瞬間、頭が真っ白になりました。「何が起こったん」って。やっぱりそういう時って助けてとか声が出ないんですよ。「うわっ、小学校の時も、中学校の時もそうだった」って思い出して。「でも今は大人になって力があるぞ」って。男性が馬乗りになってきたときにiPhoneを片手に持っていたので、相手のこめかみの部分をiPhoneの角で殴り続けました。多分10発以上はいきました。

 相手も俊敏な動きをしていて力が強かったし、もしスタンガンとかを持っていたらこれは殺されるかもしれないと命の危機を感じたので必死で抵抗しました。その時、ヒールを履いていたのも良かったです。仰向けで寝転がった状態だったから相手の股間をめがけて、もう取ってやるぞぐらいのパワーで蹴り続けたんですよ。こめかみと股間のダブル攻撃をし続けたら、男性もさすがに痛かったのかあきらめて走って逃げていきました。

 男性が逃げてからすぐに警察が来たんですけど、その道ってカメラがない場所だったんです。だから警察の方も「常習犯で、この場所を狙ってたんじゃないか」と言っていたんですけど、結局相手は捕まらなくて。ただその時、初めて強い気持ちで不審者を撃退できたから、少しは成長したのかなと思いました。あれは空手をやってなかったら多分、力の使い方とか命中率の高さとか、色々な備えがなかったので助かってなかったなと思いました。

ヤンチャな女の子たちの喧嘩を止めていた中学時代

――後に芸能人としての清水さんを救う空手ですけど、実際の命も救っていたわけなんですね。グラビアアイドルとしても活躍されますが、中学時代は目立っていた方だったんですか。

清水 私はヤンチャしてたとかはないですけど、ヤンチャな子が多いクラスで。空手をやってるってだけで単純に強いと思われてたんでしょうね。「あいり、止めて」ってヤンチャな女の子の喧嘩を止める役でした。

 その子たちとも普通に友達なんですけど、喧嘩っ早い子が多くて殴り合いの喧嘩とかもたまにあるんですよ。お昼ご飯の時にお弁当のお箸があるじゃないですか。それを持ってお互い今にも刺しそうな体勢でにらみ合っている間に仲裁に入ったりとかしてました。

祖母が包丁を持って暴れたり…子ども時代の複雑な家庭環境

――間に入る清水さんが一番危険……。クラスもなかなかすごいですが、ご家族もすごいんですよね。

清水 父親は借金があり、色々と大変だったので、小学3年生頃は父方の祖母の家に住んでました。でも祖母は母親に対して包丁を持って暴れたり、私には天使のような笑顔で接したり、天使と悪魔みたいな人でした。

 私には姉がいるんですけど、その姉は母親の前の旦那さんとの間に生まれた子なんです。父方の祖母は私とは血が繋がっているけど、母親や姉とは血が繋がってないという理由で2人を追い込み、母親はストレスで血を吐くまでになりました。

 まだ子供の私の前では避けたかったんでしょうけど「あいりごめんな」と言って突然かなりの量の血を吐いた日もありました。そういうのを小さい頃から長年見ていたので、環境というか祖母から早く抜け出したいというのはありました。

姉に「あんたも東京きいや」って

――そうした思いも中学卒業後の進路に影響したんですね。

清水 姉が先に上京していたので会いに行った時に芸能事務所にスカウトされて名刺をもらってたんですよ。それで空手の強い大阪の高校に行くか、東京で芸能の道に進むか迷ったんですけど、姉はインディーズでクラブシンガーみたいな感じでずっと歌っていて、そこに刺激も受けていて。

 その姉に「あんたも東京きいや」って言われたのが大きくて、上京しました。1人だときっと不安だったけど姉がいなかったら東京に来てなかったかもしれないです。

「泣いて大阪帰ってくんなよ」15歳で上京する娘に父がかけた言葉

――上京について親には反対されなかったんですか。

清水 私は母親が結構年齢いってから産まれた子なので、母親はいつも心配していました。お父さんは逆に何でそんな心配せえへんねんっていうくらいで(笑)。

 私が東京に行くとなった時も「泣いて大阪帰ってくんなよ」ってだけ言って。私は「まだ15歳やで」とは内心思ったんですが「わかった」って返して。でも、その父親の言葉がずっと残っていました。

 その言葉のおかげでつらいことがあっても、東京に残り続けられたのかもなとは今になって思います。「簡単に引き下がれんぞ」っていうのはありましたし、父親は私の事を信頼してくれていたからこそのあの言葉だったのかなと。

東京ヤクルトスワローズのダンスユニットに所属した過去も

――上京してからは東京ヤクルトスワローズのダンスユニット「Swallows Wings」(現Passion)のメンバーもやっていたんですよね。

清水 16歳の頃ですね。当時所属していた事務所に言われてダンスのオーディションに行ったんですけど、飲む方のヤクルトのオーディションだと勘違いしていて「飲むヤクルトにもダンスチームとかあるんや」みたいに思ってました。当時は阪神しか知らなかったんです……。

 ダンスの先生は女性だったんですけど厳しい方々で、広い球場でポジションから数センチズレると怒られる。ただ厳しい人に会うと惹かれちゃうんですよ。厳しくされると空手をやっていた頃を思い出してワクワクする。だから、すごく楽しかったです。

――ただ「Swallows Wings」は1年で辞めてしまいますね。

清水 次のシーズンになるまでに辞めて、ダンス以外のことをしたいなと思って。とある芸能事務所を自分で受けて、合格したんです。入る前には大阪の両親のところにも会いにきてくれて契約したので「ここはちゃんとした事務所だ」って思ってました。だから信じきっていたんですけど……。

撮影=松本輝一/文藝春秋

〈 「私、傘すら買えないんだ」「絶望してコンビニで号泣した」貯金“数百円”の極貧生活…清水あいり(31)が語る、下積み時代の“知られざる苦労” 〉へ続く

(徳重 龍徳)

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