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「事件を起こした人間の肩を持ち過ぎなんだよぉ」山口県の限界集落で起きた連続殺人事件…生き残った住民がこぼした犯人家族の人柄「人んところの米を盗んだりして…」(2013年の事件)

文春オンライン / 2024年9月28日 17時30分

「事件を起こした人間の肩を持ち過ぎなんだよぉ」山口県の限界集落で起きた連続殺人事件…生き残った住民がこぼした犯人家族の人柄「人んところの米を盗んだりして…」(2013年の事件)

周南市の山間部には廃屋が点在し、消滅した集落が目立った(撮影:八木澤高明)

〈 「嫁さんが殺されたんだよ」“住民の3分の1”が撲殺…山口県「現代の八つ墓村」の正体(2013年の事件) 〉から続く

 2013年9月21日、山口県の限界集落で起きた連続殺人事件。当時の様子を調べるために、ノンフィクション作家の八木澤高明氏は2015年9月に現地取材を行う。そこで出会った住民のなかには、なんと妻を殺害された男性も…。生き残った住民たちが語った「犯人家族」の人柄とは? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『 殺め家 』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)

◆◆◆

「事件を起こした人間の肩を持ち過ぎなんだよぉ」

「事件が起きて、加害者が村八分にされておって、事件を起こしただ、みんな好き勝手なことを書いているだろう。事件を起こした人間の肩を持ち過ぎなんだよぉ。村の仕事を人一倍手伝ったなんて書いてあるけど、誰ともそんな付き合いはしておらんよ。あそこの家は土地も持っておらんかったし、農作業なんてしとらん。そもそもあそこのオヤジというのが、ここから少し離れた水上というところから出てきて、まともに仕事をしない、のうてだった。こどもはようけおったから食うに困って、人んところの米を盗んだりして、ろくなもんじゃなかったんだよ」

 のうてとはこの地方の方言で、怠け者を意味する。保見の一家は、水上という集落から郷集落へとやって来たものの、一部の村人との間にトラブルが発生していたのだった。保見の一家は集落の中で新参者であった。ちなみに亡くなった貞盛さんや河村さんは代々この集落で暮らしてきた。

 詳しく話を聞いていくと、保見の父親は近隣の村から竹細工を集めて、村に売りに行くブローカーのような仕事をしていたという。私は元々保見の一家が暮らしていたという水上集落を訪ねてみることにした。

「もうあそこには誰も住んでいませんし、道もないですよ。集落が無くなったのは、もう40年か50年ぐらい前のことじゃないですかね」

 郷集落から車で5分ほど走ると、一軒の民家があり、60代の男性が暮らしていた。そこの家の裏側に水上へとつながる道があったという。今では誰も通う者はおらず、集落はおろか道すらも草木で覆われてしまっているのだった。家の前には、こんもりとした小山があり、そこを指差しで男性が言った。

「あの山は亀石と言って、平家の落人がこの場所まで逃れてきて、休んだという伝承があるんです」

 ここ金峰周辺には平家の落人伝説があり、保見の一族もその可能性もあるのではと思い、平家伝説について尋ねてみると、そんな答えが返ってきた。

 男性によると、水上の集落は山の上にあり、竹細工を生業としていた。古来から竹細工は、大和朝廷に服属した鹿児島の隼人やサンカなどが代々続けてきたという側面もあり、田畑を持つ常民たちから賎業視されてきた。水上集落の人々は里の人々から差別を受け、その鬱屈も事件に繋がった可能性はなかったか。

 金峰地区で取材を続けていくと奥畑という集落で、81歳の古老と出会った。集落には古老と隣りの家に女性が住んでいるだけ、2人しか村人はいないという。

「昔は300人、住んでいて賑やかだったんだが、本当に寂しくなってしまったよ」

 平家の落人、竹細工の職人ということで、他の村との間に差別はあったのだろうか。

「そんなことはなかった。みんな仲良く暮らしていたんだよ。水上には保見姓が多くてな。戦後になってプラスチックの製品が出回るようになると、竹細工で食えなくなって、山を下りて来たんだよ。金峰に行ったものや、奥畑に来た者もいる。中には村会議員を務めた立派な人もいたんだよ」

 古老は差別に関してはきっぱりと否定した。保見の一族は、平家の落人であり、生業が不振となると、近郷の集落へと下りてきて、新たな生活をはじめたのだという。

800年の時を超えた「因縁」

 郷集落の人間から、保見の父親が怠け者と見られたのは、生業を失い、新たな仕事をなかなか見つけることができなかったことが、背景にあったのではないか。

 同じ中国地方を舞台として、村に流れてきて落ち武者が村人たちに騙され落命したことから400年にわたって呪われた映画『八つ墓村』、この事件が現代の八つ墓村と呼ばれた背景には、400年ならぬ800年の時を超えた、因縁があったのである。ただ、土俗的な匂いが濃厚に漂ってくるこの村も五指に満たない村人しかいない状況の中で、いずれ消えてしまう運命にある。

(八木澤 高明,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載))

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